本籍東宇和郡・高校は熊本高校卒の「宇都宮健児」という弁護士
日本弁護士連合会の新しい会長に“宇都宮健児”という人がなったが、この名前は変わった事件に手を出す弁護士がいるなあと、前から知っていた。
この人が手がけた事件は、豊田商事事件、地下鉄サリン事件、オレンジ共済事件、KKC事件、日栄事件、全国八葉物流事件、五菱会闇金融事件、商工ファンド事件など、弁護士としてはあまり金にならない事件が多い。
彼は今回、反主流派から立って、再選挙で選ばれたらしい。
《 日本を支えているのは名もなき大多数の人間 》と思って弁護士の仕事をしている彼のインタビューを読むと元気が出ます。
5回にわたっていて長いけど、これを読んで、この列島で暮らすんは捨てたもんやないと思いました。
インタビューは2006年4月当時のもの。
弁護士を目指したのは、親の背中を見て育ったから
弁護士になって30年以上経ちますが、最初から弁護士を目指していたわけじゃないんですね。弁護士という仕事は大学に入ってから初めてその存在を知ったくらいですから(笑)。元をたどれば、幼少時代から親の背中を見て育ったことが大きいんじゃないかと思います。
私の父親は復員軍人、しかも傷痍軍人だったんです。若いときに兵隊に行って、10年くらい戦争に従事したんですが、途中で爆撃機の操縦士になってね。それで終戦直前にアメリカの戦闘機に撃たれて、足を負傷したんです。野戦病院に入っているときに終戦になって命が助かるわけですけど、同僚のほとんどは特攻隊で死んでいます。
で終戦後、田舎へ帰ってきた。田舎は愛媛県の小さな漁村でしてね。すごく畑の少ないところで、海岸は段々畑でね。そこで農家をやっていたんですね。でも父は7人兄弟の6番目だったから、田舎に帰ってきても畑がないわけですよ。だから他人の畑を借りて芋や麦を作ったりしてたんですね。
インタビューの続きはこちらをどうぞ。
Wikiによると、「1946年、愛媛県東宇和郡高山村(現西予市明浜町)に傷痍軍人の長男として生まれる。故郷の田之浜浦は江戸前期に開発された半農半漁の地だった。1955年、一家で大分県に開拓入植。
1959年、熊本県に住む母方の叔父の元に預けられる。中学、高校、大学と卓球部に所属。1965年、熊本高校卒。東京大学合格、学資を稼ぐため1年間入学猶予。1966年、東京大学入学、駒場寮で暮らす。
1968年、司法試験合格。1969年、経済的事由により大学中退、司法修習生となる。1971年、弁護士登録(東京弁護士会)。岡安法律事務所に入所。1979年、佐藤法律事務所に入所。1983年、宇都宮健児法律事務所を開設、後に東京市民法律事務所とする。」
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2010年3月12日
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