2012年05月12日(土)
自己満足


今年は色鉛筆で風景画を描こうと思って取り組んだ
第一作目。名前は、「竹林を抜けて」

さてこの力作を女房殿に見せたら、
「この場面は私も知ってる。」と。
「でも、真ん中の紺色の部分は川のように見える、
余りにも実際とかけ離れてるから、評価しない」と
おっしゃる。

紺色の部分は、散歩道。その両側に小さな
竹林があって、この道を通り抜けると
ぱっと視界が開ける、時々行く公園の一風景。
それを描きたかった。

確かにぱっと開ける視界の部分の描き方が
不十分だとは思ってたけど。。。。

川のように見えるから気に食わぬというのは
女房殿の感性の問題。
川のように見えるならそれはそれで
楽しめるのでは。。。と思ったが。。。。

娘二人にメールに添付して送ったら、
構図が良いし、配色もいい、見ていて
気持ちが和らいでくると評価された。

携帯でも風景を撮っておいてそれを
写真にするか、PCに取り込んで
じっくり色鉛筆で工夫しながら描いていくのは
けっこうエネルギーを使うし疲れるが
出来上がるとじっと観察してて自己満足に浸れる。

娘達はそんな趣味が発見出来て良かったねと
言ってくれる。

「竹林を抜けて」という題名を頭の中に
置いておいてじっと眺めてると
ここは、もうちょっと大きく、ここは色を
もう少し工夫せねば、全体的には
大目に見ればまあまあかとか、色々
自問自答してると楽しい。

結局は自己満足に浸ってるのだが
そういう一時があってもいいだろうと自分を慰めてる。

女房殿の見方も一つの方法だが、
実際を忠実にというのなら写真を楽しめばいい。
絵はどちらかというと作者の感性によって
エモーション(情)に重点を置いて
作成されてると思う。
だから想像力を駆使して作者の気持ちを理解
するのも楽しいものだろう。
必ずしも実際とは同じでなくてもいいと思ってる。

無論写真も撮影者の撮り方で感情表現も
十分出来る。でもやはり人間が機械を使わずに
簡単な道具だけで表現するものには
温もりというものが伝わってくる。

やっぱり自己満足かな〜?

とまあ、なんだかんだと自己弁護と
自己満足に浸ってる絵である。

2012年5月12日 14時39分 | 記事へ | コメント(17) |
2012年05月06日(日)
いつか行って見たいと思ってた町 3


ここは本州の最西端の地、下関市の壇ノ浦。
源平合戦で平家が滅亡した所です。
幼少の安徳天皇が二位の尼に抱かれて
入水させられた場所でもあります。

その霊を慰める為毎年5月に女官が十二単を纏って
赤間神宮(下関市阿弥陀寺町)に参拝する
先帝祭も行われてます。

対岸の門司とは僅か数百メートルしかない
非常に狭く急流の関門海峡です。

東側の周防灘の方からかなり大型の船が
入ってきました。この狭い海峡の真上には
関門橋が架かってます。
旨く通り抜けられるのでしょうかね。



おおーっ、どうにか通り抜けましたね。

この橋は国道が走ってます。
しかし、この橋の真下の海底にも
トンネルが通ってます。
国道、新幹線、人道と三つの機能が
作られてます。この橋とトンネル、
昭和30年頃には既に完成してました。
早いですね。

本州と九州は歩いても渡れるということですね。




もう一つ、ここ壇ノ浦は幕末の長州藩が
尊皇攘夷を叫んでこの海峡を通過する
外国の商戦を砲撃した下関戦争の場所で
砲台の有った所です。
少し離れた前田という所にもありました。

後日外国の連合艦隊が来て砲撃戦となりましたが、
結果は長州藩の惨敗。
実力の差を見せ付けられそれからは開国派になり
明治維新から日本の近代化への道をひた走り
昭和20年の終戦まで良くも悪くも
色んな事のあった町です。

下関市を見れば少しは歴史の勉強になるかも。

まだまだ沢山見る所はありますが今回はここまで。
2012年5月6日 14時13分 | 記事へ | コメント(10) |
2012年05月01日(火)
いつか行ってみたいと思ってた町 2
下関市長府侍町。



乃木神社。



乃木希典の育った家。
毛利邸を見た後だったからでしょうか、
以外と小さく中もみすぼらしい。



乃木希典の父と母。



手前が乃木希典、奥が母

父が希典と母(妻)に向かって何か読み聞かせてる
ように見えます。学問をしてるんですね。
漢詩でも読んでるのでしょうか。
武士の出ですから文武両道ということでしょうね。

幼少の頃の希典は虚弱体質で臆病者だったそうです。
そんな彼を父は決して甘やかすことなく
非常に厳しく育てたそうです。

冬、寒い寒いと言う希典を、
寒いなら暖かくしてやろうと言って
希典を井戸端に連れて行き
頭から冷水を浴びせたそうです。

こんな時代に生まれてなくてよかった。
寒がりの私には地獄。
多分凍死してるだろう。
2012年5月1日 15時56分 | 記事へ | コメント(8) |
2012年04月21日(土)
一度行って見たいと思ってた町
墓参と知人のお見舞いとを兼ねて行って来ました。



取敢えずは大阪空港から福岡空港へ。
雲の上はいつも快晴です。約一時間で着きます。

空港からは地下鉄で博多駅へ。空港からすぐです。

博多駅からJRの在来線で北九州市の八幡へ。
市立の墓地へはタクシーで。もう随分昔に来ただけで
ご先祖様は兄弟達に任せっきり。
墓石は大分古びてたが雑草は殆ど無くゴミも無く
きちんと整備されてるのが一目で分かった。

「ご先祖様、長い間放りっぱなしで申し訳ありません。
やっとお参りに来ました。ご無沙汰をお許し下さい。」と
深くお詫びしました。

再びJRで山口県の下関市へ。
ここにはお世話になった叔母が94歳で老人ホームへ
入ってる。多少、痴呆症の気があるが、
何度も繰り返して話しかけるとつじつまの合う会話が
出来、食べ物も美味しいと言うし、
土産に持って行った和菓子も美味しいと言って
食べてくれた。

しかし、顔はほっそりとして昔のふっくらとした
柔らかさは失われてるし、ベッドからの起き上がり、
トイレなどはかなりきつそう。イベントがある時以外は
一日中室内でテレビをみてるか、たまの
見舞い客と話をするだけで、寂しそうだった。

あぁーっ、近くに居れば毎日でも覗いて
話をしてやれるのにな〜と切ない気持ちになる。
ヘルパーさんと24時間ホームのセキュリティーが
あるので安全性には心配無いが。。。

叔母には子供が居ない。さぞかし辛いだろうな〜と
思いつつもどうにもしてやれないのが悲しい。
今はとにかく長生きしてくれるのを祈るばかり。

「また来るからね」と言って心を鬼にして
分かれたが悲しさがいっそう募った。
必ずまた行くから元気でいてよ〜!!!

さてここからは長年私が言って見たいと
思ってた町に行く為一泊。

その町とは



山口県下関市長府侍町。
下関市は県庁所在地ではないけど
山口県で最大の都市。
人口約30万。本州の最も西に位置する。
源平合戦で破れ、時の安徳天皇を抱いて女官が
入水し、奢る平家も滅亡した所です。

下関市は萩市などと並んで長州藩で幕末、
明治維新、日清戦争、日露戦争を経て日本の
文明開化にも大いに貢献した歴史豊かな所です。

戦後も北九州、山陽の重工業地帯の一翼を担い
戦後日本の復興にも大いに貢献した市です。
今もその面影は色濃く残り、水産や観光都市としても
大変元気の或る地方都市です。

私が見たかったのは下関市の郊外にある
城下町長府の武家屋敷の跡が沢山残ってる
侍町です。

長州藩は毛利藩の子藩です。堂々たる毛利家の邸が
残っており、その威容は戦国大名で外様大名として後に
徳川幕府を倒し明治維新を成し遂げた気迫を強く感じさせ、
武家屋敷の名残をあちこちに見る事が出来る立派な町です。



石垣と白壁、奥行きは楽に100mは有りそうです。



毛利邸正面入り口。これは城ではありません。
長府毛利家14代当主の毛利元敏公が建てた邸宅です。
明治天皇の行在所としても使われたそうです。

また津軽家に嫁がれ、常陸宮華子妃殿下のご生母となられた
久子様もこの御屋敷で幼少時代を過ごされたそうです。

邸内の庭園はシットリとした日本庭園のたたずまいを
感じさせてくれます。

この毛利邸を囲んで高級家臣と思しき侍達が多く住んでいたと
思われる通りがあちこちに見られます。





今は高級住宅地に成ったような場所もあります。
出来たらそんな事はして欲しくない。
保存に努力して欲しいな〜。

まだ他にも行きましたがそれは次回に譲りましょう。



2012年4月21日 13時11分 | 記事へ | コメント(2) |