ニックネーム:風のうたをききながら
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都道府県:神戸市
落語大好き少年?!本業は声楽家!!

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バイオグラフィー
時田直也

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バイオグラフィー
体全身をたいせつに 1960年11月、私は生まれました。
未熟児網膜症だとわかったのが生後2か月
何を見せても何の反応も無い赤ちゃんに両親は何かおかしいと感じました。最初は「網膜に出来たガンで、摘出手術をしなければ命が危ない」と言われたこともありました。その後様々な病院で見て頂き、同じ診断が下されていきましたが、最後に行った大阪の病院でこう診断されました。「これはガンではありません。未熟児網膜症です。念の為に左目を摘出して調べてみますが、命には別状はありません。しかし、誠に残念ですが今の医学ではどうずることも出来ません。つまり視力の回復は全く望めません・・・」
今、私の左目は義眼が入っています。つまり、この義眼とはもう48年のお付き合いです。私にとっても両親にとってもとても大切なことをその時主治医の先生がおっしゃいました。
「お父さん、お母さん、目だけにとらわれてはいけません。体全身を大切にして育ててあげて下さい。」
この言葉は今も私の心の中で響き続けています。
五月の風に吹かれて生まれて6か月で未熟児網膜症と診断を受けました。両親はこの現実に押しつぶされそうになったようです。何をみせても何の反応も示さない我が子を見て、「どうしたらこの子が笑うことが出来るのだろう?喜ぶということが出来るのだろうか?せめてちょっとだけでも見えてほしい!」という気持ちでいっぱいだったそうです。

五月のある日、父は重い気持でいつものように私を抱いて近くにある小高い丘へ散歩に行きました。丘の中腹に来て一息入れようと立ち止まった時そよ風が吹いてきました。その風に吹かれた瞬間、父の腕のなかで初めて手足をバタバタさせて喜びを体全身であらわしている私を見て、父はどれほど嬉しかったか。「これからお前を育てて行こう。」「これからお前を育てていける。」という思いをこの時、強く抱いたといいます。

五月が来ると今は亡き父がいつも話してくれたこの一コマを思い起します。
「願い星 願い花」 小学校五年の頃私が小さい頃、隣の家に一人暮らしのおばあちゃんが住んでいました。お医者さんの奥様でご主人と死別し子供さん達も遠く離れていたようです。

おばあちゃんの家の縁側にお医者様が診療の時に使う丸い椅子が置いてありました。私はその椅子に座ってグルグル回るのが好きで毎日のように「おばあちゃ〜ん!!」といっておじゃましてはその椅子に座りいろいろとしゃべったものでした。小さな子供の大好きなおばあちゃんは私の話をよく聴いて下さいました。私もおばあちゃんが大好きで学校でのこと、家のこと、友達のこと、食べ物のことなど楽しくて何でも話をしていました。

小学校五年のある夏の日いつものように遊びに行くと「直ちゃん、この詩に作曲してくれない?」と一篇の詩を私に手渡してくれました。大好きなおばあちゃんの頼みとあって、詩を繰り返し読みながら作曲をしてみました。

「願い星 願い花」

一人暮らしの寂しさや悲しさが静かに伝わってくる詩でした。夏に向かうこの季節になるとしみじみと思い出します。

その頃はおばあちゃんの寂しさや悲しさがわかりませんでしたが、年を重ねた今、切々と迫ってくような思いがします。

また、折にふれ、これから歌い続けてゆきたい一曲です。

男は勇気が肝心や!!暑い夏になるとプールに行って泳ぎたいような気分になります。水の中に入るととても自由な空間を感じ、泳ぎ終わった後は心地よい疲れをおぼえます。この季節になると中学の頃のほろ苦く、またほっと暖かくなる出来事を思い出します。当時の私は、水に顔をつけるということに大変な恐怖を感じていました。・・・耳に水が入って、耳まで聴こえなくなったらどうしよう!!・・・

という言い知れない怖さに体育の時間は水の中には入るのですが、友人たちが水音をたてて泳いでいる様子に、一人取り残されている寂しさと、顔を浸けることへの恐怖感がないまぜになって複雑な思いでいつもプールのすみっこで震えながら佇んでいました。

K先生から声が飛びます

「時田!!何をしとんや! はよ、こんかい!」
(何をしているんだ! 早く、来い)

「顔をつけな、泳がれへんやないか!
 (顔を浸けないと泳げないじゃないか)」

・・・という声を聞きながら体育の時間が終わって行きます。
見るに見かねたK先生が心配そうに

「お前、見るも哀れやぞ〜、何でそんなに怖いんや?」

優しい声音で本当に心配して下さっているのが伝わってくるのですが、恐怖心だけが心を占めている私は体育の水泳の時間は無くなって欲しいといつも思っていました。

ある日、T先生がいつものようにプールの隅っこにいる私に

「時やん。おまえ、何が怖いんや?」

 とやさしく声をかけて下さいました。

私はただただ怖くて、泣いていました。

「泣いとったって、わからんやないか。」

いつの間にか耳を押さえて涙が止まりませんでした。

「お前、顔を浸けると耳まで聞こえんようになってしまうと思ってるんやないか? 大丈夫や水が入ったら先生がとったる。だから、安心して耳まで浸けてみろ!!」

・・・・

「耳まで5回浸けてみろ。そしたら今日は終わっていい」

それでも、中々決心がつかず、躊躇している私を先生はじっと待っていて下さいました。

まず、思いきって一回、顔を浸ける

T先生の「よっしゃ!!」

二回目、
「やっしゃ!!」

三回、四回、
「よっしゃ!!」

また、しばらく躊躇していると

T先生小声で

「男はひとりでやってみる。 男は勇気が肝心や!」

五回目・・・

T先生の言葉に押し出されるようにして
かなり時間がかかりましたが・・・
とりあえず、五回顔を浸けることが出来ました。

「今日はそこまでにしよう。」

と言われてその日はそれで終わりました。

これが、しばらく繰りかえされる内に水に対する恐怖心が少しずつ薄れていきました。泳げるようになるまでには時間がかかりましたがK先生、T先生、S先生方の忍耐と愛情の御蔭でひとつづつハードルを超えることが出来ました。

ハードルの手前で躊躇している私に

<太>「男はひとりでやってみる。男は勇気が肝心や!!」</太>

が、先生方の共通の私への「励まし言葉」となっていました。

顔を浸け、
泳げるようになり、
そして、飛び込みも出来るようになりました。
始めて飛び込んだ時は周りの友達が拍手と歓声で共に喜んでくれました。

今も思い出すと暖かい気持ちになるひとコマです。

「男はひとりでやってみる。男は勇気が肝心や!!」

この言葉を思い出す時、中学の頃のプールでの出来事がよみがえってくるのです。
そして、心をふるい立たせてくれる言葉のひとつとなりました。
君にはまだまだ可能性がある!天高く馬肥ゆる秋
読書、スポーツ、芸術活動・・・・味覚の秋
色々なことが充実してくるこの季節
また、いろいろな事を思い出します。

私の高校時代はこれからどういう道に進もうかという具体的なイメージが無く、なんとなく過ぎて行く日々でした。
勉強にも身が入らず、体育も苦手、卓球部には入っていましたが練習もそれほど打ち込んでいたわけではありません。
試験も情けない数字が続いていました。

そんな中、高校二年の期末試験、返ってきた英文法の答案用紙に担当のM先生から一言コメントが書かれていました。

「君にはまだまだ、可能性があるはずだ!」

この短い一言に私の心はとても新鮮な感動を覚えました。
自分はこれからどうやって生きていけばいいんだろうか?
という漠然とした不安の中にいた私を元気づけてくれる言葉でした。

この一言で音楽への道を歩んでみようという希望が心のなかに湧いてきたのです。

周りからは「石の地蔵」と言われ、行動を起すのが鈍い私でしたから成績がすぐに良くなったという訳ではありませんでしたが、心の中に温かな光が差し込んだ出会いでした。
迷う時には迷えばいい大阪音楽大学声楽家に入学した喜びも大きかったわけですが、音楽で生計を立てていくということの難しさを日々感じていました。大学では声楽のレッスンの他にピアノは必修科目、そして副科で何か楽器を選考することも出来るという事で、私は一回生の時、クラリネットを選びました。クラリネットの音色は大好きで特に長年ベルリンフィルで吹いていたカールライスターの演奏に魅せられて、よく聴いていました。しかし、吹いたことがありません。担当のクラリネットの小川哲生先生は素人の私に丁寧に手をとって教えて下さいました。 
「誰でも最初は初めてです。一緒にがんばりましょう!」と、言って下さって・・・
そしてクラリネットの最後の授業の時、先生は私達学生に
「皆さん!クラリネットの授業を選んでくれたことを感謝しています。」とおっしゃって下さり、恐縮する思いでした。授業の後、喫茶店でお茶を御馳走して下さり、先生を囲んで色々な話をすることが出来ました。話が将来の進路の事になった時、先生が私に
「時田君、迷う時には思いっきり迷ったらいいよ。迷わないようにしようと思わない方がいい。どっしりと迷うことで新たな道が開けてくるものだ。」
この言葉は私の肩を軽くしてくれました。思い出深く今も心に響いています。
昨年新作オペラ「淀屋橋の上で」で御一緒した時、久し振りの再会に懐かしい思いでいっぱいになりました。ひとと人との出会いは神様の不思議な導きの中にあるようです。