さて、本ブログの残り容量が少なくなってきたので、今日でこの「第2楽章」を終了させて頂きます。
想い起こせば、2007年6月30日に「クラシック音楽の小窓」を書き始めた頃には、私は失意の底から漸く立ち直りつつありました。今から想えば、極めて個人的な事柄で、語るに足るようなものではありません。
しかし、私は「躓きの石」に足を取られ、失意の底へ転落しました。2003年5月26日に私はその石ころに躓き、自分を見失い始めました。それ以降、深くて暗い森の中を当て所もなく彷徨い、2006年1月31日にその災厄の種が姿を消してからも、私は人生の活力を取り戻すことはできませんでした。
しかし、最近になって漸くその「躓きの石」の正体が、朧げながらにも解ってきました。石ころは所詮、石ころです。それが芦屋の高級住宅街に転がっていようと、私の家の近くに転がっていようと、全く変わりはないのです。
光があれば必ず陰が生じます。私はその陰の部分を、一身に引き受けていたのです。アメリカ人の積極思考(positive thinking)は、光の部分だけを観て闇の部分を観ようとはしません。そういう意味で、それは極めて偏倚的な考え方です。だからそれは、他人を傷つけても、決して自分が傷つかないように出来ているのです。
しかし、私はこれから先も、光が当たった部分と同時に、陰の部分にも視線を注ぎながら総合的に物事を判断して行きたいと考えています。何か取り留めのない話になりましたが、解る人にはご理解頂けると思います。
さて、「第2楽章」が終わると本来は「第3楽章」へと進むはずですが、2009年4月4日に「第2楽章」を書き始めた後に、ZAQ のブログ・サーヴィス(BLOGari)の容量が拡張されたため、元々の「クラシック音楽の小窓」に、103,410KBの空き容量が生じております。
したがって、その空き容量を使い尽くしてから、「第3楽章」を開始したいと思います。そのため、本日以降は下記のリンク先にて駄文を書き綴っていきますので、ご了解のほどお願い申し上げます。
なお、下の映像はヨハン・プファイファー(Johann Pfeiffer, 1697 - 1761)の「ヴィオラ・ダ・ガンバ協奏曲 イ長調」の一部です。
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2011-06-26 07:44
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6月ももうすぐ終わるが、梅雨はまだ明けていない。そんな時に晴天に恵まれると、私はうれしいというより、亜熱帯化した日本の夏の到来を予感して、却って憂鬱になるのだ。
そんな時に、たまたま目に付いたディスクが、パウル・ヒンデミット (Paul Hindemith, 1895 - 1963)の「管楽器とピアノのためのソナタ集」である。最初の曲が「フルート・ソナタ」だったので、非常に涼しげな感じがする。
ということで、今日は何も考えずに、このディスクの最後まで聴いてしまった。このディスクは昨日ご紹介した“ARTS Music”というレーベルから出ていて、この「管楽器とピアノのためのソナタ集」はCD2枚に収められている。そして、今日聴いたのはその第1集である。
それは、この第1集に収録されているのが、フルートを始めとする木管楽器が中心で、唯一の金管楽器もホルンだからである。因みに、第2集に収められているのは、トランペット、トロンボーン、コールアングレ、アルト・サクソフォン、バス・チューバのためのソナタ集なので、私としては避暑のためにこちらのディスクを選んだのである。収録曲は以下の通り。
1.フルート・ソナタ (1936)
2.オーボエ・ソナタ (1938)
3.ファゴット・ソナタ (1938)
4.クラリネット・ソナタ (1939)
5.ホルン・ソナタ (1939)
マッシミリアーノ・ダメリーニ(Massimiliano Damerini)のピアノは全ての曲に共通しているが、フルートはアンヘロ・ペルシキッリ(Angelo Persichilli)、オーボエはピエトロ・ボルゴノーヴォ(Pietro Borgonovo)、ファゴットはリーノ・ヴェルニッツィ(Rino Vernizzi, 1946 - )、クラリネットはミケーレ・カルッリ(Michele Carulli)、ホルンはルチアーノ・ジュリアーニ(Luciano Giuliani)という面々がそれぞれの楽器の演奏を受け持っている。
私はこれらの演奏者のうち誰一人として知らないが、名前から推測するとほとんどがイタリア人ではないかと思う。作曲年代をご覧いただければお解かりのように、これらの曲が作られた頃には、ドイツは既にナチスの支配下に入っており、ヒンデミットの作品もナチスから「頽廃音楽」のレッテルを貼られて弾圧されていた。
それは、ヒトラー内閣が成立した翌年の1934年に、「ヒンデミット事件(Der Fall Hindemith)」と呼ばれるヒンデミット排斥事件として、具体的にその姿を現わしていたのである。この事件は、当時新進気鋭の作曲家だったヒンデミットが創作していた歌劇「画家マティス」を巡って起こった。
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団とベルリン国立歌劇場の音楽監督の地位にあったヴィルヘルム・フルトヴェングラー(Wilhelm Furtwängler, 1886 - 1954)は、この歌劇の素材を再構成する形で作曲された交響曲「画家マティス」を1934年3月に初演したが、それがヒトラーの不興を買ったのである。
もともと、ヒンデミットはユダヤ人音楽家と弦楽三重奏団を組んでレコーディングしたりしていたので、かねてからヒトラーは彼のことを快く思っていなかったのだ。
そこで、この独裁者は因縁を付けて、歌劇「画家マティス」の上演禁止を命じた。
指揮者フルトヴェングラーは「ドイツ一般新聞(Deutsche allgemaine Zeitung)」にヒンデミットを擁護する記事を掲載した。しかし、ナチスの宣伝相であったヨーゼフ・ゲッベルスによって、フルトヴェングラーはベルリン・フィル及びベルリン国立歌劇場の監督を解任されてしまった。
ヒンデミットは1935年にトルコ政府からの招聘でトルコに渡り、その後、1938年にはスイスへ亡命している。したがって、これらの作品は、彼が1940年にアメリカに亡命するまでの間に作られたヨーロッパでの最後の時期に作られたのである。
しかし、これらの作品はナチスによる弾圧の影を引き摺っておらず、まことにすっきりと纏まっている。むしろそれが、ヒンデミット流の抵抗の姿だったのかも知れない。全ての曲が、20世紀初頭に現われた主情的なドイツ表現主義に対抗するために形成された新即物主義(Neue Sachlichkeit)の作風を端的に示している。
だが、既存の秩序や市民社会に対する反逆を目指したドイツ表現主義が、ナチスの精神的支柱となったのは、ヴァイマル共和国に対する不信感が当時のドイツの市民社会に広まっていたからである。
したがって、ナチスが政権を掌握してからは、表現主義であろうと新即物主義であろうと、気に食わない芸術家を葬り去るための手段として「頽廃芸術」のレッテルを利用したに過ぎない。そういう意味では、ナチズムやスターリニズムは決して過去の遺物ではないのだ。
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2011-06-25 21:15
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ヒンデミット /
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私の職場には魑魅魍魎が跋扈しているので、帰宅すると必ず「除霊」を行なわねばならない。私の場合、そうしないと悪霊によって心身が腐敗してしまうからである。だから、私のこのブログも、そうした作業の一環として書かれている。
さて、NMLに6月21日から“ARTS Music”というレーベルが参加したので、このところ毎日そのレーベルから多くのディスクが「新着タイトル」として登録されている。
このレーベルは元々はイタリアのレーベルだが、現在はドイツに本拠を移しているらしい。これらの「新着タイトル」の中には私の持っているディスクも何枚か含まれているので、必ずしも新録音だけが「新着タイトル」に登録されているわけではないようである。
このレーベルから出ているディスクのジャケットは美しいものが多いので、CDショップの棚に並んでいると、つい手が出てしまうものが少なくない。しかし、そんな中で一際人目を惹くディスクが目に留まった。何とも、殺風景なジャケットなので、誰の作品を収めたディスクなのかと目を凝らしてみると、ルチアーノ・ベリオ(Luciano Berio, 1925 - 2003)とピエール・ブーレーズ(Pierre Boulez, 1925 - )の作品を収めたディスクであった。
ということは、さぞかし前衛的な作品を満載したディスクだろうと思ったが、最初のベリオの「フォーク・ソングズ」を聴いてみるとそれほど先鋭的な作品のようには思えなかった。したがって、結局最後まで聴き通してしまったわけである。収録曲は以下の通り。
1.ベリオ: フォーク・ソングズ (1964)
2.ベリオ: セクエンツァ VI (1967)
3.ベリオ: 言葉は消える(Les mots sont allés... : 1978)
4.ブーレーズ: デリーヴ I (Dérive I : 1984)
演奏は、マウロ・チェカンティ(Mauro Ceccanti)指揮コンテンポアルトアンサンブル(Contempoartensemble)で、「フォーク・ソングズ」ではルイザ・カステラーニ(Luisa Castellani)のソプラノ独唱が加わっている。
ベリオは1950年に声楽家のキャシー・バーベリアン(Cathy Berberian, 1925 or 1928 - 1983 : 右下の写真)と結婚し、彼女のために多くの声楽曲を残しているが、この「フォーク・ソングズ」もそうした作品のうちの一つである。
作曲者はベリオになっているが、作詞者の欄には伝承曲(Traditional)と書かれているので、古くから伝わるヨーロッパ各地の民謡を基に作曲されたものと思われる。全部で11曲の「フォーク・ソング」から構成されており、各曲のタイトルは以下のようになっている。
No. 1.Black is the Colour
No. 2.I Wonder as I Wander
No. 3.Loosin Yelav
No. 4.Rossignolet du bois
No. 5.A la femminisca
No. 6.La donna ideale
No. 7.Ballo
No. 8.Motettu de tristura
No. 9.Malurous qu'o uno fenno
No. 10.Lo fiolaire
No. 11.Azerbaijan love song
1曲目と2曲目は英語のタイトルで、歌詞も英語で歌われている。しかし、次の3曲目の歌はどこの国の言葉か分からない。4曲目はフランス語、5曲目はイタリア語のようであるが、私にはそうと言い切る自信はない。
最後の11曲目は「アゼルバイジャンの恋の歌」と題されているが、アゼルバイジャン語を知らない私にとっては、アゼルバイジャン語で歌われているのかどうかは分からない。
私が先に「ヨーロッパ各地の民謡」と書いたのは、このような曲の構成のためである。そもそも、ベリオの妻であったバーベリアンはアメリカのマサチューセッツ州で生まれているが、アルメニア系で驚異的な語学力を駆使して多彩な表現が出来る声楽家であった。
したがって、このような多言語を用いてそれぞれの民俗性を表現した「フォーク・ソングズ」を歌うことが出来たのであろう。というか、逆にバーベリアンがいたからこそ、ベリオはこういう曲を構想できたのかも知れない。1964年に作られた曲のわりには耳に馴染み易く、日本人の私にさえ、異国情緒とともに郷愁のようなものを感じさせる。
「セクエンツァ VI」は一連のシリーズの中の一曲で、この「VI」はヴィオラ独奏のための作品である。これはまさしく1960年代の前衛音楽を体現したアグレッシヴな響きである。
次の「言葉は消える」はチェロ独奏のための作品だが、「セクエンツァ VI」ほどの激しさはない。ただ、それが作曲年代のせいなのか、楽器の特質によるものなのか、私には分からない。
最後に収録されているブーレーズの「デリーヴ I」を聴けば、60年代のラディカリズムは影を潜め、1970年代を境に、時代は新しい潮流へ身を委ねたと考えるべきなのかも知れない。
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2011-06-24 22:53
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現代音楽について |
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ハインリヒ・フォン・ヘルツォーゲンベルク(1843 - 1900)に関する日本語版ウィキペディアの解説には、「博学ではあったが限られた才能の作曲家」とか「ブラームスのエピゴーネン」などという記述が観られる。
確かに以前に彼の「弦楽五重奏曲 ハ短調」を聴いた時には、ブラームスの「弦楽五重奏曲第2番」とカップリングされていて、ブラームスのような曲想だと思ったが、「限られた才能の作曲家」という印象は受けなかった。
ということで、今日はたまたま目に付いたヘルツォーゲンベルクのピアノ三重奏曲集を、改めて聴いてみることにした。このディスクは彼のピアノ三重奏曲だけを収めたディスクなので、彼独自の室内楽の世界を知ることが出来ると思ったのである。
前回にも書いたように、ヘルツォーゲンベルクはヴァグネリアンからブラームスの崇拝者へと転身を遂げた。そして彼は1866年に、ブラームスのピアノの弟子だったエリザベート・フォン・シュトックハウゼン(Elisabet von Stockhausen, 1847 - 1891)と結婚しているのだ。ブラームスとヘルツォーゲンベルク夫妻の間で交わされた往復書簡は、嗜好を同じくする人々の愉悦に満ちているという。
そんな彼が作ったピアノ三重奏曲は少なくとも3曲は存在するが、そのうちの一曲は、ピアノ、オーボエ、ホルンのための三重奏曲という一風変わった編成を採用している。今日のディスクは、それを除いたピアノ三重奏曲を収めており、言うまでもなく楽器編成はピアノ、ヴァイオリン、チェロという通常の編成を採用している。収録曲は以下の通りである。
1.ピアノ三重奏曲第1番 ハ短調 Op. 24 (1877)
2.ピアノ三重奏曲第2番 ニ短調 Op. 36 (1884)
演奏は、アトス三重奏団(Atos Trio)である。この三重奏団は、2003年に結成された極めて若々しいトリオであるが、著名コンクールで数々の栄誉ある賞を獲得したそうである。
どちらの曲も短調の三重奏曲であるが、暗い情念が渦巻くような曲想ではない。そういう意味ではブラームスより「軽い」感じはするが、それは軽佻浮薄ということを意味するのではなく、若々しい希望のようなものを感じさせるからに他ならない。
どちらも4楽章様式で、このディスクでは第1番が34分49秒、第2番が29分08秒という演奏時間である。
因みに、これらの曲はヘルツォーゲンベルクが30代半ばと40代初めに作曲したもので、特に第1番は妻のエリザベートに献呈されている。
したがって、第1番の冒頭こそ仄暗い情念を感じさせるものの、それが内向して鬱積することはなく、明るい未来へと解消していくのである。
右の写真はヘルツォーゲンベルク夫妻の写真であるが、4つしか年齢差がないにも拘らず、ハインリヒのほうが随分と老けて見えるのは、顔面を覆う髭(beard & mustache)のせいであろう。
ピアノ三重奏という演奏用式にしては全体の音響に厚味があるが、全2曲8楽章を続けて聴いても、グッタリと疲れることはない。ブラームスの直系でロマン派の正統的な継承者であるが、ヘルツォーゲンベルクの若さは、伸びやかに未来への憧憬を謳い上げているのである。
フランス貴族の末裔で、オーストリアの貴族でもあったヘルツォーゲンベルクは、ハンブルク生まれのドイツ人ブラームスに強く影響されながらも、独自の道を歩んだのである。彼は、決してブラームスの単なる亜流ではないのだ。
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2011-06-23 21:53
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ヘルツォーゲンベルク /
ロマン派について |
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私が高校に入学した1971年に買った岩波書店の「広辞苑 第二版」によると、「政局」とは「政治の局面。政界のなりゆき」と書いてあるだけである。
しかし、昨今のマスメディアには、「政局」という言葉が頻繁に登場する。そこで改めて、YAHOO JAPAN の辞書で調べてみると、上記のような意味の他に次のような意味が加わっていた。
「大辞泉」では、「政党内・政党間の勢力争い。特に、与党内での主導権争い。多く、国会などでの論戦によらず、派閥や人脈を通じた多数派工作として行われる」と定義されている。これが「大辞林」になるともっと具体的で、「首相の進退をめぐって、政治の主導権をめぐる争いが表面化すること」と書いてあった。
いずれにしても、政局とは政治の局面であると考えていた私は、大きくその考えを修正しなければならない。だが一方で、首相の進退を巡る政党・派閥間の抗争などというのは、「政局」の矮小化に過ぎないような気がしないでもない。政治家を選出したのが国民である以上、国民が評論家的かつ傍観者的な立場でいる限り、政治は少しも流動化せず、「政局」は「コップの中の嵐」に終わってしまうからである。
さて、なぜ私が政治について語り始めたかというと、今日採り上げるのが、神聖ローマ帝国の皇帝たちによる宗教作品を収めたディスクだからである。もとより、彼らの本分は帝国の統治であるから、音楽的にどれだけ有能であったのかは副次的な問題である。
しかし、1806年8月6日にフランツ2世(Franz II., 1768 - 1835)が退位と帝国の解散を宣言するまで、8世紀以上に亘って中央ヨーロッパに君臨していたこの「帝国」の皇帝たちが、どのような宗教音楽を作曲したのか聴いておいても損はないと思った。
以前にも書いたように、私は世界史の勉強をサボっていたので、神聖ローマ帝国の皇帝の名前を問われても、一人としてその名前を答えることはできない。そこで、このディスクを聴きながら、その音楽的足跡を辿るとともに、名前を頭に刻みつけようと思ったのだ。収録曲は以下の通りである。
1.神聖ローマ皇帝フェルディナント3世: 「すべての者の贖い主なるキリスト」
2.神聖ローマ皇帝フェルディナント3世: 「神よ、御身の戦士の」 (4声)
3.神聖ローマ皇帝フェルディナント3世: 「人間の救済」 (8声)
4.J.H.シュメルツァー: フェルディナンド3世の死に寄せる哀歌
5.神聖ローマ皇帝ヨーゼフ1世: 「天の女王、喜びませ」
6.神聖ローマ皇帝レオポルト1世: ソナタ・ピエーナ
7.神聖ローマ皇帝レオポルト1世: 「僕たちよ、主をほめたたえよ」
演奏は、マルティン・ハーゼルベック(Martin Haselböck)指揮ヴィーン・アカデミー管弦楽団(Orchester Wiener Akademie)で、曲によってはソプラノ、バリトン、バスの独唱陣にカウンター・テナーや聖フローリアン少年合唱団が加わっている。
作曲者の中で、4曲目の「哀歌」を作ったヨハン・ハインリヒ・シュメルツァー(Johann Heinrich Schmelzer, 1623 - 1680)以外は、全て神聖ローマ帝国の皇帝である。皇帝たちの生没年と在位は以下の通りである。
フェルディナント3世(Ferdinand III., 1608 - 1657 : 在位 1637 - 1657)
ヨーゼフ1世(Joseph I., 1678 - 1711 : 在位 1705 - 1711)
レオポルト1世(Leopold I., 1640 - 1705 : 在位 1658 - 1705)
したがって、このディスクでは、作品が在位の順番に並んでいるわけではない。
フェルディナント3世の2番目の息子がレオポルト1世で、そのレオポルト1世の長男がヨーゼフ1世なのである。したがって、この作品集は、親子三代に亘る神聖ローマ皇帝の宗教作品集なのである。
ウィキペディアの記述によると、フェルディナント3世は48歳で亡くなっているが、後継者に決められていた長男が20歳の若さで急逝したため、次男のレオポルト1世が皇位を継承することになった。
しかし、そのためにフェルディナント3世とレオポルト1世の間には、1年間の空位の時期があった。このディスクの3人の皇帝の中では、このレオポルト1世(右上の肖像画)が文人として有名で、作曲をしたことも判っている。だが、皮肉なことに文人にして平和愛好家であったレオポルト1世の治世の大半は戦争に明け暮れていたそうである。スペイン継承戦争(1701 - 1714)の途中で彼が亡くなったため、その後を継いだのがヨーゼフ1世である。
収録曲の中で、シュメルツァーの「哀歌」とレオポルト1世の「ソナタ・ピエーナ」は器楽曲で、その他は声楽曲である。当時のことだから、歌詞は全てラテン語である。戦乱のきな臭さを少しも感じさせないこれらの宗教曲を聴いていると、神への信仰が皇帝たちの心の支えになっていたことが窺える。ただし、当時の民衆もまた神への信仰を心の支えとしていたことを思えば、政治の愚かさがいつの時代にも平穏な生活を理不尽に破壊することに気付くのである。
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2011-06-22 22:55
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