2009年01月07日(水)
ジョン・レノン & ジミ・ヘンドリックス・バンド(?)
何気なくYouTubeを観ていたら、“John Lennon & the Jimi Hendrix Band”と題する映像があった。あのジョン・レノンとジミ・ヘンドリックスが共演しているのかと思って観てみた。



ご覧いただければお判りのように、これはジョン・レノンと「ジミ・ヘンドリックス・バンド」の共演ではない。

しかし、これは今ではもう二度と見られない豪華な組み合わせによるセッションである。冒頭のジョン・レノンとミック・ジャガーの会話からも解るように、ジョン・レノンとともにギターを演奏しているのは、若かりし頃のエリック・クラプトン(Eric Patrick Clapton CBE、1945 - )であり、ベースはローリング・ストーンズのキース・リチャーズ(Keith Richards, 1943 - )である。そして、ドラムスがミッチ・ミッチェル(Mitch Mitchell, 1946 - 2008)で、彼がジミ・ヘンドリックスと活動をともにしていたのである。

エリック・クラプトンの紹介のときに、“Cream”が登場するのが、この映像収録時の時代を物語っている。クリーム(Cream, 1966 - 1968)は、クラプトンとジャック・ブルース、ジンジャー・ベイカーの三人で結成されたイギリスのロック・グループで、イギリスのロック・シーンを語る上では無視できない大きな存在である。

なお、ジョン・レノンとミック・ジャガーの会話で、ミックがジョンのことを“Winston”と呼んでいるのは、ジョン・レノンの本名が“John Winston Lennon”だったからであり、後に“John Winston Ono Lennon”となる。また、ジョンがミックのことを“Michael”とか“Mike”とか呼んでいるのは、彼の本名が“Michael Philip Jagger”だからであり、今ではさらにその前に“Sir”が付くのである。

クラシック音楽界ではジョン・エリオット・ガーディナー、コリン・デイヴィス、ロジャー・ノリントン、ネヴィル・マリナーらがこの称号を授与されており、もう亡くなったけれど、ゲオルグ・ショルティもそうであった。ビートルズのポール・マッカートニーも“Sir”と呼ばれる「ナイト(Knight)」のうちの一人である。

私はイギリスのこの制度について詳しく知らないが、日本の文化功労者に与えられる称号のようなもので、イギリス中世の騎士階級に由来しているそうである。「不良少年」も、漸くその功績が認められたということか。

なお、エリック・クラプトンの名前の後についている“CBE”は、“Commander of the Order of the British Empire”の略で、「大英帝国第三級勲位」のことだそうである。

なお、今日の NIKKEI NET の報道によると、ビートルズのメンバーは1965年に“MBE - Member of the Order of the British Empire”「大英帝国第五級勲位」を授与されたが、ジョン・レノンはヴェトナム戦争に対する英政府の支持などに抗議して、1969年にその勲章をエリザベス女王に返還しており、それがセント・ジェームズ宮殿で先頃見つかったそうである。
2009-01-07 21:13 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2008年10月07日(火)
スライド・ギター
この間から、珍しい楽器をご紹介してきたので、今日ご紹介する「スライド・ギター」もそんな楽器のひとつだと思われるかも知れない。しかし、「スライド・ギター」とは楽器の名前ではなく、ギター奏法の名前である。これも「百聞は一見に如かず」ということで、下の映像をご覧頂こう。演奏はスライド・ギターの奏者として有名なライ・クーダー(Ry Cooder, 1947 - )である。



ご覧のように、ギターは普通のフォーク・ギターである。違うのは、左手小指にはめた筒状の物体である。これはもともと薬品や酒類の瓶の「首」の部分をカットしたものでできていた。したがって、別名「ボトルネック・ギター bottleneck guitar」とも呼ばれる。弦の上を、この「ボトルネック」をスライドさせて音を変化させるので、ハワイアン・ミュージックで使用されるスティール・ギターのように、音を微分音的に連続させて変化させることができる。

若い方はご存じないだろうが、かつて「和田弘とマヒナスターズ」というグループが、スティール・ギターを使って「ムード歌謡」というジャンルを確立し、一世を風靡したことがあった。それと同じような奏法である。

この映像で見る限り、ライ・クーダーが使っているのはただのボトルネックではなくて、少し加工を施してあるように見える。今では、スライド・ギター用の金属製のスライドバー(右の写真)を使用することが多い。この独特の“キュィーン”と音が引き上げられる感じを巧みに使いこなし、ヴィブラートを織り交ぜて、独自の世界を築き上げているのがライ・クーダーの魅力である。このスライドバーの特長は、反面でフレットを押さえることの制約ともなるので、弦はオープン・チューニング(開放弦で鳴らしても調和音になるチューニング)を用いることが多い。

こういう「渋い」音楽を私に紹介してくれたのは、予備校時代からの友人であるN君である。ライ・クーダーは今でも彼のお気に入りで、「やっぱり、ライ・クーダーはええな〜」とこの間も(と言っても一年以上前かもしれないが…)言っていた。私は彼の手ほどきで、「カントリー・ブルーズ」の素晴らしさに開眼したのであった。

この曲は、彼の有名なアルバム「紫の峡谷 INTO THE PURPLE VALLEY」に収録されている。当時の国内盤LPでは、“Vigilante Man”は「自警団員」と訳されている。ウディ・ガスリー("Woody" Guthrie, 1912 - 1967)の初期の作品で、1930年頃、労働組合が盛んに作られていった時に、そうした組合つぶしのために会社によって雇われたのが“Vigilante Man”なのである。

因みに、ウディ・ガスリーは社会主義者であると同時に労働組合活動家としても知られており、彼のギターには、“This Machine Kills Fascists この機械はファシストたちを殺す”と書かれている。

2008-10-07 21:26 | 記事へ | コメント(2) | トラックバック(0) |
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2008年05月08日(木)
なにわのブルース
昨日に続けて、日経新聞の記事をご紹介しましょう。これは、ちょっと前で4月28日の夕刊に載っていた上田正樹さん(キー坊)です(この記事は関西版にしか載っていないかもしれませんが…)。この人は、4月11日に当ブログでご紹介した方です。あの時のキー坊は、サウス・トゥ・サウスというバンドで大ブレイクした頃のものでした。私には、あのロン毛のキー坊のほうが、印象に残っています。今でも、たまにテレビでは見かけますが、この人、割といい歳の取り方してますよね。風貌にそれが出ています。

もともとは京都のご出身ですが、「風呂へ行ってくるわ」と言って風呂道具一式とギターを抱えて大阪に出てきたらしいです。そして、天王寺公園で、ホームレス(といえば聞こえはいいけれど、)要は路上生活者をしていたのです。今はもう、天王寺公園は有料になって、ホームレスの人たちも追い出されていますので、マネをして天王寺公園で寝泊りしようと思わないで下さいね。

因みに、天王寺公園の側に天王寺動物園があり、大阪市立美術館もありますが、通天閣をシンボルとした「新世界」があの一帯にはあり、昔ながらの串かつ屋、芝居小屋や将棋をさす場所などがあります。動物園、美術館と「新世界」が共存しているところが、実に大阪的であり、一種独特の雰囲気を醸し出しております。なお、ジャズのディスクで有名な澤野商会は、通天閣の下の商店街にあります。以前は「澤野商会」の看板も掛かっていなくて、ただの履物屋さんにしか見えませんでしたがでしたが、最近は「澤野商会」の看板が掛かっています。あそこまで行くと、日本橋の電気屋街はもう目と鼻の先です。

それはさておき、オール阪神・巨人、笑福亭鶴瓶、島田神助、赤井英和らが結成した「上田正樹を男にする会」の支援を得て、なにわのブルース・シンガーとなった彼は、「悲しい色やね」で大ヒットを飛ばし一躍有名になりました。といっても、私はこの「悲しい色やね」という曲はちゃんと聴いたことないですが…。

「大阪はもともとアクの強い分だけ他(の街)より特徴が残っているとは思うけれど、やはり波に流されて『らしさ』を失いつつある。」というのは、キー坊のコメントです。私も同感。

大阪人からすると、「よう気位の高い京都から、大阪まで出てきはったな」という気もしますが、今では大阪人になりきっているようで、「もしグラミー賞をとったら、受賞のあいさつで『日本から来た』とは決して言わない」と心に決めているそうです。

じゃあ何と言うか?
決まってるじゃないですか。「オオサカから来た上田正樹」です。
2008-05-08 21:41 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2008年04月11日(金)
ぼちぼちいこか
大阪・ミナミの老舗飲食店「くいだおれ」(大阪市中央区道頓堀1、TEL 06-6211-5300)は4月9日午後、山田昌平社長らが記者会見を行い、今年7月8日の閉店を正式に発表した。私たち大阪人にとっては淋しいことである。とりわけ、あの「くいだおれ人形」の行方が気になるところだ。あれは、まさに大阪のシンボルだからである。

ということで、今日は思い出したように上田正樹と有山淳司による「ぼちぼちいこか」というLPをレコードキャビネットからごそごそ捜し出し、聴いてみた。ジャケットから、こてこての「大阪」を想像されるかもしれないが、これはカントリー・ブルーズを大阪風にアレンジしたものである。収録曲は以下の通り。

1. 大阪に出てきてから
2. 可愛い女と呼ばれたい
3. あこがれの北新地
4. Come on おばはん
5. みんなの願いはただひとつ
6. 雨の降る夜に
7. 梅田からナンバまで
8. とったらあかん
9. 俺の借金全部でなんぼや
10.俺の家には朝がない
11.買物にでも行きまへんか
12.なつかしの道頓堀

基本的には上田正樹(キー坊)がヴォーカル担当、有山淳司がアコースティック・ギターを弾いているが、有山が歌っている曲もあるし、上田が語っている曲もある。「合唱」もある。7曲目の「とったらあかん」は上田の語りが、上方落語の口調である。また、4曲目の「Come on おばはん」と11曲目の「なつかしの道頓堀」には、「くいだおれだいこ」なるものが演奏に参加している。「ヤンキーのあんちゃん」、「道具屋筋に問屋筋 人形買うなら松屋町(まっちゃまち)」、「同伴喫茶は千日前 連れ込みホテルは桜の宮」と大阪人には馴染みの言葉がぽんぽん出てくる。

基本的に、大阪人とアメリカ人とはよく似ている。自分の喋っている言葉が「標準語」だと思っているので、誰に対しても同じ調子で語りかける。今はテレビで大阪弁を聴く機会も多いと思うので、たいていのことは他の地方の人にもわかると思うが、8曲目の「俺の借金全部でなんぼや」の「なんぼ」は「いくら」という意味である。因みに、この曲の作詩は、知る人ぞ知るあの三上寛(みかみ かん)である。

「かいせつ」によると、「そして'74年6月上田正樹とサウス・トゥ・サウスを結成するに至っている。今やトップ・バンドとして日本のロック界に君臨しているサウス・トゥ・サウスだが、結成後まだ1年という驚異的なスピードで全国各地に多くのファンを獲得した裏には、上田正樹の豊富なキャリアが大きくものをいっているといえるだろう。」とある。ということは、このディスクは1975年ごろの発売であると思われる。

まあ、いずれにしても古きよき時代の大阪の“Blues”である。
2008-04-11 20:42 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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