アントン・ブルックナー(Anton Bruckner, 1824 - 1896)の交響曲を聴かなくなってから久しい。今まで、様々な指揮者による異なる版・稿の演奏を聴いてきたので、私の関心はもはや稿の相違などにはない。
しかし、NMLの「新着タイトル」で「交響曲第1番(1866年版)」などと書いてあるディスクを観ると、やはり聴いてみたくなるのである。
ブルックナーの交響曲第1番に関しては、彼がリンツで活動していた時に作曲されたために「リンツ稿」と呼ばれる稿が使用されることが多い。しかし、この「リンツ稿」というのが曲者で、ロベルト・ハース(Robert Haas, 1886 - 1960)やレオポルト・ノヴァーク(Leopold Nowak, 1904 - 1991)によって「リンツ稿」とされたものには、ブルックナー自身が1877年に行った改訂が含まれているそうである。
私の手元にある朝比奈 隆さんのディスクを観ると、「第1稿によるハース版」と書いてあるので、これはおそらく、一番初めのオリジナル版ではなく、1877年の改訂を含むハースの校訂による「リンツ稿」ということであろう。
しかし、このディスクには“orig. 1866 unrevised Linz version, prep. W. Carragan”と書いてあるので、ブルックナーが最初に書いた「リンツ稿」で、その後の改訂を一切含まないヴァージョンであることを意味している。
ここで“W. Carragan”と書いてあるのは、ウィリアム・キャラガン(William Carragan)のことを指し、キャラガンがハースの校訂報告をもとに1866年のオリジナル版を復元したことを示している。しかし、この「純粋な」リンツ稿による演奏はこのディスクが初めてではなく、ゲオルク・ティントナー(Georg Tintner, 1917 - 1999)もこの稿を使用してレコーディングを行なっている。
したがって、私の関心はこの「純粋な」リンツ稿にあるのではなく、それを演奏しているマルクス・ボッシュ(Marcus Bosch, 1969 - )指揮アーヘン交響楽団(Sinfonieorchester Aachen)の演奏にあった。
というのは、私が今まで好んで聴いてきたブルックナーは、そのほとんどが、私より遥か年上のヴェテラン指揮者による演奏だったからである。ギュンター・ヴァント (Günter Wand, 1912 - 2002)の指揮するブルックナーも私は好きだったが、やはりティントナーと同じく1910年代の生まれなのだ。
フィリップ・ヘレヴェッヘ(Philippe Herreweghe, 1947 - )などは若い部類に属するが、それでも私よりは8歳年上である。したがって、私より14歳も年下のドイツの指揮者がどんな演奏をするのか、大いに興味があったのである。ただし、このコンビによるブルックナーの交響曲を聴くのは初めてではない。
ちょうど1年前の2011年1月17日に、このコンビによる「交響曲第2番(1872年版/キャラガン版)」を聴いている。その時の印象は、「若々しく活気に満ちたものであるが、テンポの速い楽章でやや『勇み足』になり、つんのめりそうな印象を与える箇所がある」ということと、「テンポの動かし方に不自然な箇所がある」ということであった。今回の演奏では、その辺りが改善されているのか気にかかるところである。収録曲は以下の通り。
1.交響曲第1番 ハ短調 WAB 101 (1866年版)
演奏は上記のように、マルクス・ボッシュ指揮アーヘン交響楽団である。1枚のディスクに演奏時間47分の交響曲第1番が収録されているだけだが、余計な「附録」がないほうが潔く感じられる。
まず出だしから印象的なのは、オーケストラの響きが透明感に溢れており、厚ぼったい感じを与えないことだ。
往年の名指揮者の演奏を聴き慣れた人には少し物足りなく感じられるかも知れないが、習作である「交響曲ヘ短調」(俗に言う「交響曲第00番」)の次に書かれた初期の作品であることを考えれば、妙に重厚な響きで演奏する必要はない。
昨年「交響曲第2番」を聴いた時とは違って、テンポの動かし方に不自然さを感じることはなくなった。
第2楽章の“Adagio”は響きの透明感が奏功して流麗な演奏になっているが、ブルックナーの要諦は押さえられているので、抒情性と威厳を兼ね備えている。
第3楽章の“Scherzo”は早目のテンポで推進力をもって音楽が演奏されていくが、ゆっくりとした速度の中間部のトリオを挟んでも、テンポが不自然に変化することがない。そういう意味では、ボッシュのブルックナー解釈が深まったと考えることができよう。
第4楽章の“Finale”も、オーケストラの透明な響きに変わりはない。少し滑らかに事を運び過ぎているような気がしないでもないが、音楽が上滑りすることなく、きちんと地に足が着いた演奏になっている。ブルックナーがこの交響曲を作ったのと同じ年代になったボッシュは、この録音でブルックナーの交響曲全集を完成することになったのである。
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2012-01-17 23:08
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私がこのところ、ピリオド楽器による古典派からロマン派にかけての音楽を採り上げるのは、現在の私たちが普通に聴いているモダン・オーケストラによる「絢爛豪華な」演奏が、果たしてどこまで作曲者の意図した音楽と一致し、あるいは一致していないのかを確かめたいからに他ならない。
今日はそうした流れに沿って、ブルックナーの交響曲第7番を採り上げたい。演奏はフィリップ・ヘレヴェッヘ指揮のシャンゼリゼ管弦楽団(Orchestre des Champs-Elysées)である。録音は、2004年4月19日と20日にオランダのユトレヒトにあるフレデンブルグ音楽センターで行なわれている。ノヴァーク版による演奏である。
ライナーノートによれば、この録音も、大規模モダン・オーケストラにおける弦楽器群と管楽器群との間の音量のアンバランスを解消し、程好いバランスを取った上で、ガット弦ならではの音色を用いることによって、新たな魅力を聴き慣れたこの曲から引き出そうと試みたものである。
したがって、第1ヴァイオリン(12人)、第2ヴァイオリン(10人)、ヴィオラ(8人)、チェロ(8人)、コントラバス(6人)という弦楽器の構成になっている。これは、1881年当時のライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の編成を再現したものだという。弦楽器群だけで合計44人ということになる。
それに、フルート(2人)、オーボエ(2人)、クラリネット(2人)、ファゴット(2人)、ホルン(4人)、ワーグナー・チューバ(4人)、トランペット(3人)、トロンボーン(3人)、チューバ(1人)、ティンパニ(1人)という管楽器群と打楽器が加わる。したがって、総勢68人のオーケストラである。さすがに、後期ロマン派となるとワーグナーの場合より大人数となるが、現在のウィーン・フィルのメンバーが120人程度なので、それに比べるとかなり編成が小さい。
さて、演奏はどうか。私は専門的なことは解らないが、ブルックナーの場合、「スコアから音が見えてこない」ということ、朝比奈先生の言葉を借りれば「これ音楽になるのかしらというようなもの」、「文章のまずい人の小説みたいなものでね、二、三頁読んでも、何が始まるのかさっぱりわからないような」代物である。
したがって、各々の楽器の動きを束ね損なうと、聴くに堪えない演奏になってしまう。それが、唯一の心配事であった。
しかし、このディスクを聴き始めた途端、そうした不安は解消した。「ブルックナー開始」から次第に音量を増していく出だしの部分の実に柔らかい弦楽器と管楽器のハーモニーを聴いただけで、ヘレヴェッヘがブルックナーの要諦を押さえていることが明らかになる。管楽器も決して騒がしくがなり立てることなく、音量の割にはうるさく感じられない。ブルックナーが想定した弦と管のバランスはこんなものだったんだなあと納得させる説得力のある演奏である。演奏時間は59分54秒と1時間以内に収まっているが、せかせかした不自然なテンポの速さを感じさせない。
ブルックナー演奏に新しい光を当てた名演であり、ヘレヴェッヘという指揮者の「守備範囲」の広さにも驚嘆したディスクである。
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2008-12-29 19:00
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ブルックナーは聖フローリアン修道院で幼少時代は少年聖歌隊に所属し、青年になってからは付属教会のオルガニストとして過ごした。彼は当時最も腕の立つオルガニストであったらしく、彼の作曲した交響曲にオルガンの響きとの関連性を指摘する人も多い。
しかし、実際にオルガン用に編曲した彼の交響曲のレコーディングがあることは知らなかった。今日ご紹介するのがそれである。編曲者が誰かは判らないが、オルガンを弾いているのは Lionel Rogg という人である。ジャケットの絵を見る限り、聖フローリアン修道院のブルックナー・オルガンのように思えるが、実際にどこのオルガンを使って演奏されたのかも不明である。
ただ、私がこの演奏を聴いてみようという気になったのは、このディスクがスウェーデンの“BIS”レーベルから出ているからである。私はこのレーベルに一目置いているのだ。鈴木雅明&バッハ・コレギウム・ジャパンの一連のバッハ演奏も、このレーベルから出されている。北欧の様々な作曲家の作品も、このレーベルのカタログにある。カール・ニールセンの四つの弦楽四重奏曲集などという、普段あまり聴く機会がないディスクも“BIS”から出ていた。
そして何よりもこのレーベルの姿勢を端的に表しているのが、曲が終わった後の「余白」の長さである。いくら名演奏でも、演奏が終わった途端、ディスクが音を立てて停止してしまうのは興醒めである。“BIS”はたっぷりと「余白」をとることによって、演奏によってもたらされた感動の余韻を味わう時間をわれわれに与えてくれるのである。
さて、この演奏を聴いた感想であるが、まず第一に全体的にオーケストラの演奏より響きが柔らかく感じることである。「角が取れた」ような印象を受けるのである。出だしの箇所は例の「ブルックナー開始」と呼ばれる部分であるが、オーケストラの演奏とさほど変わらないように聴こえる。オルガンは実に多様な音を生み出せるのだなあと感心した。
やがて、確かにオルガンの響きだと感じるが、オーケストラの演奏を聴きなれた耳にも違和感はない。次第にオルガンの生み出す音響空間に吸い込まれていくような感じである。残響も充分に捉えられている。
フィナーレは重厚な低音に支えられて、壮大な宇宙空間をわれわれに垣間見させてくれる。ブルックナーの作品ほど、演奏者を選ぶ音楽は他にない。誰でもそこから感動を引き出せるというわけではないのだ。 Lionel Rogg は、ブルックナーの演奏者として適任だと思う。
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2008-09-15 19:10
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ギュンター・ヴァント (Günter Wand, 1912年 - 2002年)のブルックナーについては語り尽くされている感がある。しかし私が、最後の最後になって、もうすでに彼が亡くなってから「ヴァント」を「発見」したたために、彼に対する寂寥の感は決して消え去ることがなく、あえて屋上屋を架す次第である。
実は私は、LPの時代に彼の指揮するケルン放送交響楽団の演奏で、ブルックナーの交響曲第1番は聴いていた。しかし、そのときは堅実な演奏だなと思っただけで、それほど強く惹き付けられたわけではなかった。そして、私の中で第一次ブルックナー・ブームが終わりを告げようとしているときでもあった。
「ウィキペディア(Wikipedia)」によると、「彼は、1つの楽団に集中しない現代の指揮者の在り方に対して批判的であって客演は少なかった」そうだが、実際には様々なオーケストラを指揮してブルックナーを演奏している。先ほど挙げたケルン放送交響楽団を筆頭に、北ドイツ放送交響楽団(主席指揮者)、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団、シュトゥットガルト放送交響楽団等を指揮して、ブルックナーの交響曲の録音を残している。
ケルン放送交響楽団とは「交響曲全集」(ただし、第00番、第0番は含まれていない)を残しているし、北ドイツ放送交響楽団とは「交響曲選集(第3番〜第9番)」を残している。また、同楽団とは、2000年の秋に来日し、その様子はDVDでも残されている。晩年のシュレスヴィヒ・ホルシュタイン音楽祭における同楽団との演奏が、DVDで残されているのは、ヴァント・ファンにとってはこの上もない幸せである。
私はベルリン・フィルとの共演盤は、オーケストラが一人歩きしているような感じであまり好きではない。やはり、北ドイツ放送交響楽団との相性が一番良かったようで、画像を観ていても阿吽(あうん)の呼吸が伝わってくる。「ザ・ラスト・レコーディング」も、北ドイツ放送交響楽団との「ロマンティック」とシューベルトの第5番シンフォニーであった。
「指揮者は年齢と共にテンポを落としてゆくのが通例だが、ヴァントの場合は1950年代でも1990年代でもそれほど大きな差がない。」と「ウィキペディア(Wikipedia)」にあるが、唯一の例外が、シュトゥットガルト放送交響楽団との共演による「オットーボイレン・ライヴ(1979年、右の写真)」であろう。ここには、まさに荒れ狂う嵐の如き壮絶なヴァントがいる。私はヴァントのブルックナーの中で、この演奏が一番印象に残っている。
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2007-10-02 19:54
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私は疲れ果てていた。1年以上も音楽を聴かなかった。それでも、何かしないとこのまま駄目になってしまうと思い、必死でもがいていた。そして、ティトナーのブルックナーに出会った。そこから堰を切ったように、ブルックナーをめぐる第二の旅が始まった。今まで聴いたことのないようなブルックナーを聴きたい、という思いで一杯であった。
そして、次に巡り合ったのがスタニスワフ・スクロヴァチェフスキ(Stanisław Skrowaczewski, 1923 - )である。しかし、私は彼の全集を駆け抜けただけだった。そんなに聴き込むほどの余裕はなかった。「ヴァントのブルックナーも聴かなくては…」と思いつつ、ただひたすらノルマを果たすように、スクロヴァチェフスキのブルックナーを「消化」していった。
だから、私にはミスターSのこの全集について語る資格はないのかも知れない。印象に残っているのは、全曲を通して均一感があり、出来不出来の差があまりないこと、基本的には最終稿を使っているので良くも悪くもブルックナーの「あく」がないこと、そして以前にも書いたが、朝比奈氏の第3番「ワーグナー」やティントナーの初稿を聴いた後では、やはり「ワーグナー」が少し物足りないと感じたこと、その3点ぐらいである。
ザールブリュッケン放送交響楽団の音を聴くのは初めてであったが、優れたアンサンブルをもって、ミスターSの指揮に応えていた。第00番「ダブル・ゼロ」が含まれているのも、この全集の長所である。
今度、ブルックナーを聴きたくなったら、じっくりと聴き直してみたい全集である。
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2007-10-01 20:07
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