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2011年12月14日(水)
言うまでもなく、ヨハン・ミヒャエル・ハイドン(Johann Michael Haydn, 1737 - 1806)は、フランツ・ヨーゼフ・ハイドン(Franz Joseph Haydn, 1732 - 1809)の弟である。
しかし、5歳しか年齢が違わないのに、ミヒャエル・ハイドンは兄に比べると異常に影が薄い。WIKIPEDIA(ドイツ語版)でも、兄のフランツ・ヨーゼフに比べると、ミヒャエルに関する記述は著しく少ない。
したがって、そんなミヒャエル・ハイドンの作品の中でも、よりによって初期の交響曲を集めたディスクを企画するというのは狂気の沙汰か、余程の物好きだと思われた。しかも、ジャケットには“World Premiere Recording (世界初録音)”と書いてあるではないか。おそらく、ハンガリーの大レーベル“Hungaroton”は採算など度外視してこのディスクを発売したのであろう。
しかし、今日は特にこれを聴きたいという音楽もないので、私はこの「世界初録音」の交響曲集に耳を傾けてみることにした。兄のヨーゼフ・ハイドンに比べると彼の作曲した交響曲の数は少ないが、それでも44曲ほどの交響曲を残している。しかも、彼の「交響曲第25番 ト長調」は、モーツァルトが序奏を付けて自分のコンサートで演奏したため、長い間、モーツァルトの「交響曲37番 K.444」として知られていた。
20歳ほども年下のモーツァルトの作品と間違われたのは、ミヒャエル・ハイドンにとっては自慢にはならないかも知れないが、このことは、作品の出来がモーツァルトと同水準にあったことを物語っている。彼らは互いに親交があり、モーツァルトはミヒャエル・ハイドンの作品を高く評価していたのである。さらに、ミヒャエルはカール・マリア・フォン・ヴェーバー(Carl Maria von Weber, 1786 - 1826)やアントニオ・ディアベリ(Antonio Diabelli, 1781 - 1858)の師匠でもあったのだ。
しかし、今年の7月31日にも書いたように、彼は自作のテーマ別目録を編纂せず、誰かにそれを依頼することもなかったので、1907年になって漸くローター・ペルガー(Lothar Perger)による作品目録が完成された。もちろん、これは完全な作品目録ではなかったため、このディスクのように21世紀になってから「世界初録音」の交響曲集が制作されるのである。
今日ご紹介するディスクは、前回に聴いたディスクと同じ演奏者による演奏だが、収録されているのは1750年代後期から1760年代に掛けて作曲された交響曲のようである。収録曲は以下の通り。
1.交響曲 ハ長調 MH 23 (P. 35 : 1758 ?)
2.交響曲 ヘ長調 MH 25 (1758 ?)
3.交響曲 ト長調 MH 26 (1763)
4.交響曲 ハ長調 MH 37 (P. 2 : 1761)
演奏は、パル・ネメト(Pál Németh)指揮サヴァリア・バロック管弦楽団(Savaria Baroque Orchestra)である。なお、1915年にアントン・マリア・クラフスキー(Anton Maria Klafsky)によって編纂された作品目録があるが、これも完全なものではない。
ペルガーによる作品目録は管弦楽作品を纏めたものだったが、クラフスキーの作品目録は声楽を伴う宗教音楽の編纂を行なっている。
しかし、いずれの作品目録も完全なものではなく、ミヒャエル・ハイドンの作品目録は1991年に漸く充実したものとなったようである。その最新版の作品目録番号が「MH番号」なのだろう。
いずれの曲も「急 - 緩 - 舞 - 急」という4楽章構成であり、典型的な古典派の交響曲の様式を示している。
このディスクの演奏はピリオド楽器によるもので、チェンバロが伴奏に加わっているためにやや古風な印象を受けるが、チェンバロはもはや通奏低音の役割を担っていない。
兄のフランツ・ヨーゼフよりも先に亡くなったミヒャエルは、それでもモーツァルトが没してから15年近くも活躍しているので、古典派からロマン派への移行期に彼が果たした役割は無視できないのだ。
惜しむらくは、彼にモーツァルトほどの「茶目っ気」がなかったことであろうが、人にはそれぞれの個性があり、その個性を見極めるために、この初期交響曲集は有益だと思うのである。
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2011-12-14 23:02
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2011年11月24日(木)
フランツ・ヨーゼフ・ハイドン(Franz Joseph Haydn, 1732 - 1809)のチェロ協奏曲というと、余りにもありきたりで今さら採り上げる必要がないように思える。
しかし、私が初めてハイドンの「チェロ協奏曲」を聴いたのは、父が亡くなって遺品のLPレコードの中から見つけ出したジャクリーヌ・デュ・プレ(Jacqueline du Pré, 1945 - 1987)の演奏を聴いたのが初めてだったので、ほんの12年ほど前のことである。
その時は、ジャケットにも「チェロ協奏曲 ニ長調 作品101」と書いてあるだけだったので、これがハイドンの唯一のチェロ協奏曲だと思っていた。しかし、今日のディスクにはハイドンのチェロ協奏曲が3曲も収められているではないか。それで調べてみると、ウィキペディアでは、ハイドンのチェロ協奏曲として6曲が列記されているが、そのうちの1曲は紛失して現存していない。
そして、私が長い間、彼の唯一のチェロ協奏曲だと思っていたのは、「チェロ協奏曲第2番」だということになっている。さらに、「チェロ協奏曲第1番」は1961年になって漸くプラハで筆写譜が発見され、その後、彼の真作であることが確認されたという。したがって、この2曲については、今日ではハイドンのチェロ協奏曲として認知されているようである。
「チェロ協奏曲第3番」はやはり紛失して現存しないが、「チェロ協奏曲第4番」が今一つはっきりしない。ウィキペディアにはジョヴァンニ・バッティスティ・コスタンツィ(Giovanni Battisti Costanzi, 1704 - 1778)の作品だと書いてあるが、WIKIPEDIA(英語版)には、偽作である(spurious)としながらも、“written by G.B. Constanzi ? in 1772 ?”という注釈が付いている。
因みに、WIKIPEDIA(ドイツ語版)には、“von G.B. Costanzi ?, 1772”と書いてある。このことは、現在に至ってもまだ、この「チェロ協奏曲第4番」がコスタンツィの作品であって偽作なのだと断定できていないことを示している。「G.B.コスタンツィの作品かも」という感じなのである。大体、コンスタンツィ(Constanzi)なのか、コスタンツィ(Costanzi)なのか、「コンスタツィ」なのかさえ、はっきりしないのだ。
おそらく、新たな物証でも発見されない限り、この宙ぶらりんの状態は今後も続くに違いない。しかし、物事がはっきりしてからしか行動できないのであれば、この世はまことに味気のないものになってしまう。このディスクの製作者がそう思ったのかどうかは知らないけれども、「とにかく聴いてみましょ」ということで「えいや!」と録音したのがこのディスクだということだろう。収録曲は以下の通りである。
1.チェロ協奏曲第2番 ニ長調 Hob.VIIb:2 (1783)
2.チェロ協奏曲 ニ長調 Hob.VIIb:4 (1772 ?)
3.チェロ協奏曲第1番 ハ長調 Hob.VIIb:1 (1761 - 65)
演奏は、ヘルムート・ミュラー=ブリュール(Helmut Müller-Brühl, 1939 - )指揮ケルン室内管弦楽団で、チェロ独奏はマリア・クリーゲル(Maria Kliegel, 1952 - )である。モダン楽器による演奏だが、オーケストラが小規模なのでハイドンらしい典雅さと勇壮なチェロの響きが愉しめる。
問題の「チェロ協奏曲第4番」は、2曲目の「チェロ協奏曲 ニ長調 Hob.VIIb:4」である。3楽章様式で「I. Allegro - II. Adagio - III. Allegro」という構成を採っている。
チェンバロが使用されているが、バロック音楽のような曲想ではなく、チェロがホモフォニックに旋律を奏でる。第1楽章の終わり近くではカデンツァも演奏されて、結構、野太いチェロの響きを聴くことができるのだ。
これを聴いても、果たしてハイドンが作曲したものかどうか私には判断できないが、古典派の作曲家の作品であることに違いはない。
最後に収録されている「チェロ協奏曲第1番」も同じく3楽章様式であるが、このディスクの演奏ではチェンバロは使われていない。有名な「チェロ協奏曲第2番」よりも20年ぐらい前に作られているが、「チェロ協奏曲第4番(コスタンツィの作品かも)」よりもずっとハイドンのイメージに近い。
私が聴いた限りでは、2曲目の「第4番」が少し異質に聴こえるが、チェンバロが加わっているからそう思うだけかも知れない。何よりも、堂々として伸びやかなクリーゲルのチェロの演奏が、曲想の違いを超えてこれらの3曲を固く結び付けているのである。
彼女の使用楽器は、モーリス・ジャンドロン(Maurice Gendron, 1920 - 1990)が30年以上にも亘って使っていた1693年製のストラディヴァリウス「エクス・ジャンドロン(ex Gendron)」だそうである。しかし、演奏者の力量がなければ、これほどの名演奏は生まれなかったことは言うまでもない。
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2011-11-24 22:40
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2011年10月24日(月)
休み明けは、体がだるい。特に、今年は夏から秋への転換期に、私の体がうまく付いて行っていない。
9月の中旬に尿管結石を発症し、半日会社を休んだ。先週も耳下腺炎のような症状で、1日会社を休んだ。抗生剤のお蔭で腫れは退いたが、体のだるさはその代償かも知れない。
ということで、週の頭から前衛的かつ戦闘的な音楽は聴く気がしない。そこで、あれこれ考えあぐねて辿り着いたのがこのディスクである。フランツ・ヨーゼフ・ハイドン(Franz Joseph Haydn, 1732 - 1809)のピアノ曲は今までにも聴いたことがあるが、彼の変奏曲というのは聴いたことがないなぁと思って聴いてみることにした。
私がピアノを習っていた時にも、ハイドンの変奏曲というのにお目に掛かったことはないし、それ以外でも私の記憶の中にはないのだ。ハイドンだからフォルテピアノの演奏でも探そうかと思ったが、このディスクを選んだのは、奇を衒ったところのないごく普通の演奏に聴こえたからである。
全てのピアニストがグレン・グールドのようであるならば、ピアノを聴くという行為は相当に労力を要するはずである。それぞれの個性があるからこそ、各々が存在意義を持つのである。ピアノ演奏にも流行というのはあるだろうが、芸術の分野では「多数派」は必ずしも優れているとは限らない。
要は、「数の論理」が通用しないのが芸術の世界であり、それぞれの音楽家は自分の個性を磨くことに専念すれば良いのである。したがって、「多数派工作」に鎬を削る政治の世界とは対極に位置するのだ。
ただ、政治の世界でも数さえ集めれば良いというものではない。結局、個人個人の成熟がなければ、「民主主義」という名の衆愚政治に行き着くだけである。それが「独裁」と裏腹の関係にあることは言を俟たない。
ということで、今日は肩の力を抜いて、ハイドンのピアノ変奏曲集を聴いてみることにした。収録曲は以下の通りである。
1.アリエッタと20の変奏 Hob.XVII:2
2.主題と6つの変奏 「やさしく快適」 Hob.XVII:5
3.カプリッチョ 「8人のへぼ仕立屋に違いない」 XVII:1
4.アリエッタと12の変奏 XVII:3
5.「神よ守りたまえ」のテーマによる変奏曲 Hob.III:77: II
6.ディヴェルティメント 「先生と生徒」 Hob.XVIIa:1
ピアノ独奏は、イェネ・ヤンドー(Jenő Jandó, 1952 - )であるが、最後の「ディヴェルティメント」は連弾用の曲で、ジュジャンナ・コッラール(Zsuzsa Kollar)が加わっている。
やはり、変奏の数が多くなると演奏時間が長くなる傾向があり、収録曲の中では最初の「アリエッタと20の変奏」が最も長い。
それでも演奏時間は17分だから、後の曲はもっと短い。次に長いのは4曲目の「アリエッタと12の変奏」で、16分04秒である。
したがって、バッハの「ゴルトベルク変奏曲」のような大作ではなく、いずれもピアノのための小品である。
「ゴルトベルク変奏曲」はグレン・グールドの演奏によって現代に蘇ったが、あれをチェンバロの典雅な演奏で聴いたら、現代人の多くは眠気を催すであろう。
すなわち、変奏曲は理論上はいくらで積み重ねて行くことができるが、ハイドンの時代の人々にとっては、これくらいの長さが適当だったということであろう。
ハンガリー生まれのヤンドーは、主題を演奏するときは極めて優しい音色を聴かせるが、次から次へと変奏が進んで行くに連れて、次第に熱気を帯びてくる。しかし、彼のピアニズムは重くなり過ぎることなく、ハイドンのピアノ変奏曲の特長を巧く引き出している。何よりも、ピアノの響きの美しさがこのディスクの最大の魅力なのである。
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2011-10-24 22:27
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2011年08月11日(木)
このディスクは、NMLで今日の「新着タイトル」として掲載されていたものである。ジャケットに一番大きく書いてある“Ensemble PhilidOr (アンサンブル・フィリドール)”というのが演奏者の名前で、その下には“On periodic instruments”と書いてある。
おそらくこれは、“On period instruments (ピリオド楽器による)”という意味であろう。そしてその下に書いてあるのは“Armonia della Notte”で、これはイタリア語で「夜のハーモニー」という意味である。
それでは作曲家の名前はどこに書いてあるのかというと、ジャケットの一番下に小さな字で列記されているのだ。すなわち、このディスクの主人公はあくまでも演奏者の「アンサンブル・フィリドール」であり、作曲家たちは添え物のような扱いを受けているのである。
しかし、その作曲家たちの中には、フランツ・ヨーゼフ・ハイドン(Franz Joseph Haydn, 1732 - 1809)やヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart, 1756 - 1791)も含まれているのだから、彼らが生きていてこのディスクを観たなら、自尊心を傷つけられて大いに憤慨するかも知れない。
なぜかというと、それ以外の作曲家は、ヴァーツラフ・ハヴェル(Václav Havel, 1788 - 1832)、フランティシェック・ブランカ(František Braňka)、フランツ・クロンマー(Franz Krommer, 1759 - 1831)、アントニオ・サリエリ(Antonio Salieri, 1750 - 1825 ;右下の肖像画)という面々だからである。
ヴァーツラフ・ハヴェルとフランティシェック・ブランカはチェコ人人のようだが、ほとんど無名の存在である。特に、フランティシェック・ブランカは、このカナ表記が正しいのかどうかさえ、私には解らない。もちろん、ネットで検索しても、彼らのことは見つからない。
ということで、取り敢えずこのアンサンブル・フィリドールの演奏を聴いてみることにした。収録曲は以下の通りである。
1.F.J.ハイドン: パルティータ ロ長調 Hob.II:B7
2.V.ハヴェル: ラ・パストレッラ (La pastorella)
3.F.ブランカ: カッサティオ ロ長調
4.モーツァルト: セレナード第10番 変ロ長調 「グラン・パルティータ」 K. 361(抜粋)
5.F.クロンマー: パルティータ ハ短調
6.モーツァルト: 歌劇「皇帝ティートの慈悲」 K. 621 - 第1幕 行進曲
7.A.サリエリ: しじまのひとときに寄すハルモニー (Armonia per un tempio della notte)
アンサンブル・フィリドールは管楽アンサンブルなので、6曲目のモーツァルトの「皇帝ティートの慈悲」からの行進曲も、管楽合奏用に編曲されたものである。
編曲したのはゴットフリート・リーガー(Gottfried Rieger, 1764 - 1855)というモラヴィア系のドイツ人作曲家であるが、寡聞にして私はこの人のことも知らない。
また、モーツァルトの「グラン・パルティータ」は第3楽章「アダージョ」、第4楽章「メヌエット アレグレット」、第6楽章「主題と変奏」、第7楽章「モルト・アレグロ」が収録されているだけである。
モーツァルトの「グラン・パルティータ」の全曲を収録せずに、知名度の低い作曲家の作品を収録したアンサンブル・フィリドールの意図がよく解らないが、このディスクのレーベル“ArcoDiva”がチェコのプラハのレーベルであることから、自国の知られざる作曲家たちの作品を、広く世に知らしめる意図があったのかも知れない。
何気なく聴いていても、モーツァルトの「グラン・パルティータ」が始まると、他の作曲家の作品との違いをはっきりと感じないわけにはいかない。しかし、この曲集の中でモーツァルトの曲だけが浮き上がることなく、全体的な統一感が保たれているのは、アンサンブル・フィリドールの力量に因るところが大きいと思われる。
最後に、サリエリの「しじまのひとときに寄すハルモニー」という6分弱の曲で締めくくるところが、彼らのセンスの良さを示しているのだ。
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2011-08-11 22:55
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2011年07月31日(日)
今年は平年より13日も早く梅雨が明けたので、カレンダーを眺めながら「まだ7月か」と思わず溜め息をついてしまう。
私が夏を嫌う理由は、暑さのために気持ちがだらけてしまって、ただでさえ回らない頭が余計に働かなくなるからだ。こういう時には、気分をシャキッとさせる必要がある。
そして、そういう場合には、ピリオド楽器による古典派の交響曲なんかを聴いてみたくなるのだ。しかし、古典派の交響曲といえば有名な曲はほとんど聴いたことがあるので、たまたま目に留まったこのディスクを聴いてみることにした。ご存知のように、ミヒャエル・ハイドン(Michael Haydn, 1737 - 1806)は、「交響曲の父」と呼ばれるフランツ・ヨーゼフ・ハイドン(Franz Joseph Haydn, 1732 - 1809)の弟である。
しかし、兄のフランツ・ヨーゼフがあまりにも有名になってしまったために、弟のミヒャエルは今まであまり顧られることがなかった。斯く言う私も、ミヒャエルの作品を系統的に聴いてきたわけではないし、交響曲もほとんど聴いていないはずである。ということで今日は、西洋音楽史上の盲点になりそうなミヒャエル・ハイドンの交響曲集を聴いてみることにした。
現代の感覚では、ハイドン家には兄のフランツ・ヨーゼフとミヒャエルの他に、子供がもう1人か2人ぐらいはいただろうと思うのが普通である。しかし、J.S.バッハが生涯に2度の結婚で合計20人の子供を儲けたように、ハイドン家も実に子沢山だった。
彼らの父マティアス・ハイドン(Mathias Haydn, 1699 - 1763)は、妻マリアとの間に12人の子供を儲けた。しかし、そのうち6人は幼時に亡くなっており、成人したのは6人だけだった。最初の子供は娘フランツィスカ(Franziska, 1730 - 1781)で、フランツ・ヨーゼフは2番目の子供だそうである。
そしてフランツ・ヨーゼフより5歳年下のミヒャエルは第6子で、さらにその下にヨハン・エヴァンゲリスト(Johann Evangelist Haydn, 1743 - 1805)という3番目の息子がいたという。
しかし、母親のマリアは1754年に47歳で逝去したので、ミヒャエルは16歳にして母を失うこととなった。
ミヒャエルが音楽家を職業として選択したのは、兄フランツ・ヨーゼフの影響に因るところが大きい。フランツ・ヨーゼフはヴィーンにあるシュテファン大聖堂の聖歌隊員であったが、長じるに及んで高音が出せなくなったため、ミヒャエルがそれを補う形になった。当時の兄弟を知る人は、ミヒャエルのほうが兄のフランツ・ヨーゼフより快活で利口だったと伝えている。
しかし、ミヒャエルは自分の作品のテーマ別目録を編纂せず、誰かにそれを依頼することもなかったので、彼の作品目録が最初に作成されたのは、彼の死から2年が経過した1808年のことである。その後、1907年にローター・ペルガー(Lothar Perger)によって、ジャンル別・作曲年代順の「ペルガー作品目録(Perger-Verzeichnis)」が作成された。
しかし、この目録にも多くの間違いがあるようで、われわれは未だにミヒャエル・ハイドンの全貌を掴んでいないというのが現実のようである。ということで、今日ご紹介するディスクにもペルガー目録の番号は振ってあるが、「交響曲第○○番」とは書かれていない。収録曲は以下の通りである。
1.交響曲 ニ長調 P. 41 (1771)
2.交響曲 イ長調 P. 6 (1771)
3.交響曲 ト長調 P. 8 (1772)
4.交響曲 ニ長調 P. 11 (1774)
5.交響曲 ニ長調 P. 42 (1778)
演奏は、パル・ネメト(Pál Németh)指揮カペラ・サヴァリア(Capella Savaria)である。カペラ・サヴァリアは1981年にフルーティストでもあるネメトによって創設されたハンガリーの古楽アンサンブルである。
なお、3曲目の「交響曲 ト長調 P. 8」は単一楽章で弦楽合奏だけの演奏なので、WIKIPEDIA(英語版)の「ペルガー目録」の解説に書いてあるように、カンタータの前奏曲である可能性が高い。
それ以外の曲は基本的に4楽章様式であるが、最後の「交響曲 ニ長調 P. 42」だけは3楽章様式である。
作曲年代から計算すると、いずれの曲も彼が30代半ばから40代初めに掛けて作られた曲である。
したがって、生涯に少なくとも40曲の交響曲を作ったと言われる彼の作品の中では、中期に属する作品群である。すなわち、これらの曲が、交響曲のジャンルで彼の到達した最終地点を示すものではないのだ。
なお、このディスクには含まれていないが、俗にミヒャエル・ハイドンの「交響曲第25番 ト長調 P16 (1783)」と言われる交響曲は、かつてはアマデウス・モーツァルトの「交響曲第37番」と考えられていた。それは取りも直さず、ミヒャエル・ハイドンの作風がモーツァルトのそれに似通っていたことを示しており、彼が5歳年上の「パパ・ハイドン」よりも、19歳も年下のモーツァルトに親近性を持っていたことを物語っている。
実際にミヒャエルはモーツァルトと親交があり、モーツァルトもミヒャエルの作品を高く評価していたのである。カール・マリア・フォン・ヴェーバー(Carl Maria von Weber, 1786 - 1826)が彼の弟子であったことを考えれば、ミヒャエル・ハイドンは単にF.J.ハイドンの弟というに留まらず、未来志向の作曲家だったのではなかろうか。
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2011-07-31 21:29
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