2009年03月22日(日)
ハイドンの「交響曲第1 - 5番」
季節の変わり目というのか、暖かくなったり寒くなったりすると体の調子が悪い。何となく、だるいのである。そこで、シャキッとしようと選んだのがハイドンの交響曲集である。

しかも、このディスクは、交響曲第1番から第5番までを収めたものである。全部で100曲以上交響曲を残したハイドンだが、余程のハイドン・ファンか交響曲の愛好家でもない限り、これらの交響曲を頻繁に聴くことはないと思う。

事実、私も交響曲全集は持っていないし、これらの初期の交響曲を聴くのは今回が初めてである。この後の、交響曲第6番、第7番、第8番はそれぞれ「朝」、「昼」、「夕」という標題が付いているのでディスクを持っているのだが、第1番〜第5番に関しては分売されているものがほとんどないのではないかと思う。

私が持っている「朝」、「昼」、「夕」のディスクは、クリストファー・ホッグウッド指揮エンシェント室内管弦楽団によるピリオド楽器による演奏であるが、今日ご紹介するのはパトリック・ガロワ指揮シンフォニア・フィンランディアという組み合わせである。

シンフォニア・フィンランディアは正式名称を“Sinfonia Finlandia Jyväskylä”と言い、1955年に設立された総勢38名からなる小規模モダン・オーケストラである。最近は19世紀の音楽の演奏を専門に行なっているようである。その名前が示すように、フィンランドの“Jyväskylä”という街の楽団で、1965年に初めて市営に移行した。

2003年からは、フランス人のパトリック・ガロワが主席指揮者を務めている。ご存知の方も多いと思うが、ガロワはパリ音楽院でジャン=ピエール・ランパルに師事したフルーティストで、21歳の時にフランス国立管弦楽団の主席フルート奏者に任命された人物である。

さて、そのコンビが聴かせてくれるこのディスクに収められているのは、以下の曲である。

1.交響曲第1番 ニ長調 Hob.I:1
2.交響曲第2番 ハ長調 Hob.I:2
3.交響曲第3番 ト長調 Hob.I:3
4.交響曲第4番 ニ長調 Hob.I:4
5.交響曲第5番 イ長調 Hob.I:5

やはり、ハイドンの初期の交響曲を聴くには、これ位の小規模オーケストラが適している。チェンバロの音が管弦楽に埋もれてしまうことなく、終止はっきりと聴き取れる。また、モダン・オーケストラとはいいながらも、昨今のピリオド奏法とは無縁ではなく、弦楽器のヴィブラートも極力抑えられていてシャキッとした音作りである。

ずっと以前にホッグウッド&エンシェント室内管弦楽団の演奏を聴いた時よりも、より一層清涼感に溢れた爽やかな気分になれたのは、私の今の心理状態のせいか、それともガロワ&シンフォニア・フィンランディアの手腕のなせる業か。

いずれにしても、若きハイドンの初々しさを活き活きと表現した名演であろう。
2009-03-22 20:10 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| ハイドンについて / 交響曲について |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/Kazemachi/trackback/565/
2009年03月03日(火)
二通りのハイドン「ピアノ・ソナタ集」
ハイドンの「ピアノ・ソナタ集」と何気なく書いてしまったが、これは実に興味深いピアノ・ソナタ集なのである。なぜなら、2枚組のこのソナタ集には5曲ずつ同じ曲目が収録されているからである。ピアニストはいずれも Eva Mengelkoch という女性であるが、片方はフォルテピアノ、もう一方はピアノでの演奏なのである。

彼女がどこの生まれの人なのか分からない。分かっていることは、彼女がアメリカのメリーランド州ボルチモアにあるタウソン大学でピアノの教鞭を取っていることと、メリーランド州芸術協議会(the Maryland State Arts Council)から、2008年の演奏芸術家賞を授与されていることである。

彼女の経歴を拝見すると、ドイツのエッセンでイギリス人のピアニスト Michael Roll に教えを受け、その後インディアナ大学で Leonard Hokanson からピアノを、 Elisabeth Wright からフォルテピアノとハープシコードを学んでいる。彼女の活躍の場は、イギリス、ドイツ、インド、ハンガリー、ニカラグアと実に多岐に亘っている。

そんな彼女が、上述したように同じ曲を二通りに演奏したのが、この2枚組のディスクである。収録曲は以下の通り。

1.ピアノ・ソナタ No. 60 in C major, Hob.XVI:50
2.ピアノ・ソナタ No. 38 in F major, Hob.XVI:23
3.ピアノ・ソナタ No. 33 in C minor, Hob.XVI:20
4.ピアノ・ソナタ No. 30 in D major, Hob.XVI:19
5.ピアノ・ソナタ No. 47 in B minor, Hob.XVI:32

Disc1 も Disc2 も、同じ曲順である。

19世紀初頭以前の初期ピアノはフォルテピアノであるから、フォルテピアノでの演奏のほうがハイドンの聴いていた音に近いのは間違いない。ピッチも明らかに違う。ただ、予想に反してモダンピアノのほうが軽やかで柔らかに響くのである。それに、音楽的な表情にも富んでいる。

これが、奏法の違いによるものなのか、楽器の性能から来るものなのかは分からないが、彼女の演奏は「どちらもハイドンなのよ」と言っているかのようである。ある意味ではピリオド奏法のブームに警鐘を鳴らしているようにも聴こえるし、ジャケットの絵のようにハイドンという一人の作曲家を、ただ単に別の角度から照らし出してみたかっただけかも知れない。

天国のハイドンは、どちらの演奏を聴いても「これがわしの書いた曲か?」と戸惑うかもしれないが、そんなことはどうでも良いのだ。現代人の耳に、心地よく響けば。
2009-03-03 22:35 | 記事へ | コメント(2) | トラックバック(0) |
| ハイドンについて |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/Kazemachi/trackback/545/
2009年03月01日(日)
ハイドンの「2台のリラ・オルガニザータのための協奏曲」
リラ・オルガニザータ(Lira organizzata)とは何か。これはれっきとした楽器の名前である。今ではすっかり廃れてしまって、その姿を観ることもないし音を聴くこともないが、ハイドンはこの楽器のために協奏曲を残しているのである。

これは、「手で回す円盤で弦をこすって発音し、鍵盤で音程を変える楽器」だそうで、音を出す仕組みは、どことなく以前にご紹介した「ハーディ・ガーディ」に似ているようだ。

ハイドンがリラ・オルガニザータのための曲を何曲書いたのか定かではないが、ミュラー=ブリュール&ケルン室内管弦楽団の演奏で「2台のリラ・オルガニザータのための協奏曲集 Hob.VIIh:1-5」に5曲が収録されている。しかし、この演奏は残念ながら、リラ・オルガニザータのパートをリコーダー、フルート、オーボエで代用している。

今日ご紹介するディスクは、リラ・オルガニザータを実際に使用した演奏で「2台のリラ・オルガニザータのための協奏曲第1番」が聴けるほか、「2台のリラ・オルガニザータのためのノッテュルノ第3番」も聴くことができる。演奏は、リモージュ・バロック・アンサンブルとモザイク・クァルテットの合奏で、収録曲は以下の通り。

1.2台のリラ・オルガニザータのための協奏曲第1番 ハ長調 Hob.VIIh:1
2.バリトン八重奏曲 イ長調 Hob.X:3
3.ノッテュルノ第8番 ハ長調 Hob.II:27
4.バリトン八重奏曲 ト長調 Hob.X:12
5.2台のリラ・オルガニザータのためのノッテュルノ第3番 ハ長調 Hob.II:32

実際に音を聴いてみた限りでは、リラ・オルガニザータはハーディ・ガーディよりも洗練された響きで、木管楽器と弦楽器の中間的な音色である。リコーダーなどで代用された演奏を聴きなれている人には、他の弦楽器との区別が際立たず色彩感が乏しいと感じられるかもしれない。しかし、幸いなことに私はハイドンのこれらの曲を聴くのは初めてなので、特に違和感はない。

なお、2曲目と4曲目のバリトン(baryton:下の写真の右端の楽器)というのも、今では見かけることのない楽器である。この楽器はヴィオール属の楽器で、ヨーロッパでは18世紀の終わり頃まで使用されていたが、演奏が非常に困難なため廃れてしまったという。

いずれの曲もハイドンらしい、したがって古典派らしい格調高い形式美に溢れた曲であり、演奏も珍しい楽器を滑らかに弾きこなして自然なくつろぎを聴く者に与えてくれる。フランスのミュルーズにある聖ヨハネ教会で録音されたこの演奏には、遠くで咆える犬の声まで収録されている。敢えて録り直さなかったのは、あまりにも見事に演奏に溶け込んでいるからか。

2009-03-01 20:03 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| ハイドンについて / 古楽について |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/Kazemachi/trackback/543/
2009年02月25日(水)
バッハ以降のチェンバロ協奏曲集
「バッハ以降の」といった場合、バッハは含むのである。そして、このディスクはその名の通りちゃんとバッハの作品を含んでいる。しかし、ここでいうバッハはC.P.E.バッハのことである。すなわち、このディスクではバロックと古典派の中間点に位置するC.P.E.バッハから古典派の作曲家のチェンバロ協奏曲までを収録しているのである。

チェンバロの演奏は中野振一郎さんで、オーケストラはコレギウム・ムジクム・テレマンである。コレギウム・ムジクム・テレマンは、1963年に延原武春さんによって設立された国際的なバロック音楽演奏団体「日本テレマン協会」の傘下にある。モダン楽器で演奏する時はテレマン室内管弦楽団と称し、ピリオド楽器で演奏する時にはコレギウム・ムジクム・テレマンとなるのである。

したがって、このディスクはピリオド楽器によるピリオド奏法のチェンバロ協奏曲集である。収録曲は以下の通り。

1.C.P.E. バッハ:チェンバロ協奏曲 ハ短調 Wq. 37, H. 448
2.J.A. ベンダ:チェンバロ協奏曲 ト長調
3.F.J. ハイドン:ヴァイオリンとチェンバロのための協奏曲 ヘ長調 Hob.XVIII:6
4.G. パイジェルロ:チェンバロ協奏曲 イ長調

いずれも初めて聴く曲である。しかも、ベンダやパイジェルロは名前さえ聞いたことがなかった。そこで調べてみると、おもしろいことが判った。

イジー・アントニーン・ベンダ(Jiři Antonín Benda, 1722 - 1795:右の肖像画)は現在のチェコの西部・中部地方に当たるボヘミアの音楽家一族として知られるベンダ家の出身で、ドイツ名はゲオルク・アントン・ベンダ(Georg Anton Benda)である。チェコにもドイツのバッハ一族と同じように、多数の音楽家を輩出した家系があったのである。

ジョヴァンニ・パイジェルロ(Giovanni Paisiello, 1740 - 1816)はイタリアの作曲家で、年代的にも音楽様式の上からも古典派に属する。タラントで生まれ、そこのイエズス会で教育を受けた。1754年にはその歌声の美しさが認められ、ナポリの音楽院(Conservatorio di S. Onofrio)に入学して晩年のフランチェスコ・ドゥランテ(Francesco Durante, 1684 - 1755)の教えを受けている。

ベートーヴェン(1770 - 1827)は、パイジェルロの歌劇“La molinara”の中の“Nel cor più non mi sento(邦題は「うつろな心」)”という曲に基づいて変奏曲を書いているそうだが、私は原曲もベートーヴェンの変奏曲も聴いたことがない。

こうしてこれらの曲を通して聴いてみると、やはり一際輝いているのはハイドンの曲で、古典派らしい端正な様式美が一種の風格をこの曲に与えている。C.P.E. バッハの曲は、シュトルム・ウント・ドランク期の作品のようで、情感がこもっているだけにやや足取りが重いような気もするが、鍵盤楽器を得意とした彼の面目躍如たる作品である。

ベンダの作品はもっと軽妙で、目まぐるしく動き回るチェンバロの音がスピード感を伴って疾駆する。逆にオーケストラの伴奏が、やや物足りない。パイジェルロの作品はそれほど技巧を誇示しない曲想で、明るい伸びやかさを感じられる。チェンバロとオーケストラが、交代で主役を務めるような展開になっている。第1楽章と第2楽章は切れ目なく続くが、その繋ぎ目のチェンバロがカデンツァのように聴こえる。

関西を拠点に活躍している日本テレマン協会に拍手喝采を送りたい。
2009-02-25 20:09 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| C.P.E.バッハを聴く / 古楽について / ハイドンについて |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/Kazemachi/trackback/539/
2009年02月10日(火)
ハイドンの交響曲第22番「哲学者」を聴きながら哲学を考える
私がこのディスクを選んだ理由はいたって簡単である。このディスクに収められている交響曲は全て、私の持っているフランス・ブリュッヘンの「ハイドン交響曲選集」に収録されていないからである。収録曲は以下の通り。

1.交響曲第22番変ホ長調「哲学者」
2.交響曲第55番変ホ長調「校長先生」
3.交響曲第64番イ長調「時の移ろい」

演奏は、ハルトムート・ヘンヒェン(Hartmut Haenchen:右下の写真)指揮のカール・フィリップ・エマヌエル・バッハ室内管弦楽団(Carl Philipp Emanuel Bach Chamber Orchestra)である。カール・フィリップ・エマヌエル・バッハというのは、かの大バッハ(ヨハン・ゼバスティアン・バッハ)の次男である。その名前を冠したオーケストラなのでピリオド楽器による楽団かと思うと、さにあらず。

このオーケストラは1969年に創設された。近年の音楽学上の発見にも関心を払い、モダン楽器を使用しつつもピリオド奏法を取り入れて、ドラマティックで活力溢れる演奏を繰り広げる、と紹介されている。確かに、このディスクの冒頭から実にキレのよい、贅肉を削ぎ落とした演奏に接することができる。

私はハイドンの熱心なファンではないので、彼の交響曲に付けられた標題が作曲者自らが付けたものか、曲想から連想されるものが、いつとは知れずに「ニックネイム」として定着してしまったのか、よく知らない。何せ、番号が付いているものだけでも104あるのだから、特徴のある曲想の交響曲は、「ニックネイム」で呼んだほうが自他共に分かり易かったのかも知れない。

交響曲第22番変ホ長調「哲学者」は、おそらくこの第1楽章の掴みどころのない望洋とした調子が、思索にふける哲学者のように感じられたために命名されたものと思われる。私は哲学者という人とあまり付き合いがないのでよく知らないが、高校の同窓生でカントやヘーゲルを始めとするドイツ観念論を研究しているEくんとは、同窓会の時に少しばかり話をしたことがある。

高校時代はお互いに全く話をしたことがなく、文学部文化歴史学科哲学倫理学専修の教授というのもどこか近寄り難い感じがしたが、話してみると意外と気さくな人であった。別に哲学論議に花を咲かせたわけではない。「『私は何をなすべきか』という問いは、哲学の根本的問題の一つでありつづけてきた。」と彼は書いているが、哲学は意外に私たちに身近な学問なのである。

また、それは一種の精神的な「遊び」でもあると私は思う。「遊び」というと、すぐ「飲む、打つ、買う」と思う人がいるが、「私は何をなすべきか」とか「個人と社会や国家との関係とは如何なるものか」とか、実生活にすぐに役立つものではないけれども、生きていくうえで糧になるようなことを考えるのが本当の「遊び」だと思っている。

実利性と効率性の追求のみを考える最近の風潮の中では、こういう「遊び心」を持った人が実に少ない。私が現在の大阪府知事を支持しないのは、彼がこの種の「遊び心」を著しく欠いているからである。今ちょうど受験シーズンであるが、受験勉強というのは試験に出る箇所を重点的に効率よく勉強すれば受かるものである。

しかし、「人間とは何か」、「私は何をなすべきか」とかいう根源的な問題を一切考えることなく、ただ受験技術だけを磨いて有名大学に入学した人に、私は尊敬の念を抱くことができないのである。
2009-02-10 22:28 | 記事へ | コメント(2) | トラックバック(0) |
| ハイドンについて / 交響曲について |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/Kazemachi/trackback/524/
次へ
HMV
ジャパン
にほんブログ村 クラシックブログへ

ニックネーム:風街ろまん
性別:男性
年齢:54歳
都道府県:大阪府

»くわしく見る