2009年01月23日(金)
松本隆〜「はっぴいえんど」を語る
今日ご紹介する映像に、余計な説明は要らない。まずは、下の映像をご覧頂こう。



一言付け加えさせていただくと、クラシックであれロックであれ、日本人が洋楽を志すということは、歴史も風土も文化も異なる異国の音楽を「輸入」し、自分なりに「噛み砕く」ということに他ならない。

生涯にわたって「ラディカル」であり続けた作曲家の柴田南雄先生(1916 - 1996)は、自らの作風を4期に分け、第3期までを「西洋音楽演習の時代」と呼んでおられた。その「演習時代」の最後の大作となったのが、1973年度の第22回尾高賞を受賞した「コンソート・オブ・オーケストラ」である。実に柴田先生が57歳の時の作品である。この作品には、まさに1960年代の「前衛音楽」のあらゆる手法が凝縮されているのだ。そして、同じく1973年に作曲された「追分節考」から、漸く第4期へと移行し日本的伝統への「回帰」が始まるのである。

「はっぴいえんど」が、日本のロック界のみならずポップス界に残した足跡も、おそらく柴田先生の言われる「演習時代」と同様、ロックの「受容期」の先端的な試みとして捉えられるべきだと、私は思う。“cutting-edge”とは、まさにこういうことを言うのである。
2009-01-23 20:26 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2008年05月22日(木)
柴田南雄の音楽
私が、柴田 南雄(しばた みなお、1916年9月29日 - 1996年2月2日)さんのことを、いつも柴田先生と呼んでいるのは、その著作を通して教えられるところが多かったからである。つまり、“自称”弟子であって、直接の師弟関係はない。柴田先生は天国で私を見て、馬鹿な奴だと思っておられるかもしれないのである。

その証拠に、私は柴田先生の作品をほとんど聴いたことがないのであった。まだ、黛 敏郎(まゆずみ としろう、1929年2月20日 - 1997年4月10日)さんが元気で、「題名のない音楽会」の司会をなさっていた時に、柴田先生が出演されていたことがあり、その時に先生の作品を聴いたかもしれないが、記憶には残っていない。それ以外には、「フォンテック・サンプラー 日本の作曲家21」という試供品のCDで、「北園克衛による3つの詩:『黒い距離』」を聴いたぐらいであった。まことに不肖の「弟子」である。

それがこのたび、【タワーレコード・オリジナル企画】ビクター×タワーレコード〜タワーレコード“ヘリテージ・コレクション”Vol.5のうちの一組として「柴田南雄の音楽」というCD3枚組の作品集が出たので、遅まきながら買って聴いてみた。これは、CD3枚組にもかかわらず、2,500円と非常に安価なので実にお買い得である。

この作品集は、1948年から1975年までに作曲されたものから厳選された12曲を収録しているが、必ずしも年代順に曲が収められているわけではない。ディスク1は主に管弦楽曲と器楽曲、ディスク2は声楽曲、ディスク3は日本的な題材を用いた楽曲という構成である。解説も充実しており鑑賞のための恰好の手引きとなる。例えばディスク1の「シンフォニア」(1960年)と「コンソート・オブ・オーケストラ」(1973年)を比較して、佐野光司さんは次のように書いておられる。

「作曲界の状況全体を眺めた場合、《シンフォニア》(1960)における柴田の位置と、《コンソート・オブ・ミュージック》におけるそれとは全く異なると言ってよい。1960年初めに、柴田より前衛的な手法で書いていた若い作曲家の何人が、1973年に柴田よりなお前衛的であり得たろうか。」

柴田先生自身が、「わたくしは西洋音楽ではある時代、たとえば一九三〇年代なら一九三〇年代、六〇年代なら六〇年代は、一つのはっきりした音楽上の趣味、音楽観、音楽上の想念を所有しており、それが作曲家にも影響し、作用し、その結果、たとえば一九三〇年代の作曲様式と演奏様式とは、おたがいに多くの共通した要素や特徴を具有していると思う。」と書いておられるように、自分の音楽を、それが属する時代の様式を意識しつつ創作し、かつ、それに納まり切ることなく新しい地平を開拓されていたことを感じるのである。

なお、ディスク2に収められている「三つの無伴奏混声合唱曲」(1948年)は、柴田先生が「近代の画家の手になる非常に写実的なデッサンというものは、また一種変った興味を与えるものだが、僕がこの自分の合唱曲を何年ぶりかで取りだして眺めた感じも、いくらかそれに近いと思う」と述べられているように、伝統的な機能和声法によるすがすがしい合唱曲で、終戦直後の「未来への希望」を現しているかのようである。北原白秋の詩集「海豹と雲」「水墨集」の詩に曲がつけられている。

十二音技法、ミュジック・セリエル、トーン・クラスター、電子音楽、偶然性の音楽等々、戦後の音楽様式の変遷を一人の作曲家が体現した歴史的かつエポック・メイキングなディスクである。
2008-05-22 20:48 | 記事へ | コメント(4) | トラックバック(0) |
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2007年07月05日(木)
柴田南雄先生について
私は、柴田先生が亡くなられた1996年にはアメリカの子会社の駐在員をしていた。ただ、日経新聞だけは現地法人でも購読していたので、それで先生の訃報を知った。私は先生がベートーヴェンの交響曲は、現代の肥大化したオーケストラで演奏すべきではないと書かれていた頃から、ずっとその言論には一目置いていた(私如きがこういうことを言うのもおこがましいが…)。

そして、最も印象に残っているのは「レコード芸術」誌に掲載されていた「演奏における時代様式の変遷」という小論文である。(これは音楽之友社から出ている「わたしの名曲・レコード探訪」に再録されている。)先生独特の巧妙な語り口で、作曲様式と演奏様式の間には相関関係があるということを、具体的な演奏者名をあげて分かり易く説明なさっていた。音楽評論家というのは、「精神性」だとか「音楽性」とかいう曖昧模糊とした表現でレコード批評をしている人種だと思っていた私は、先生の客観的な論理構成に思わず唸ってしまった。「これは只者ではないぞ」と思った。そしたら、案の定、先生は作曲家でしかも東大の理学部植物学科を卒業されただけではなく、東大の文学部美学美術史学科も卒業されていることを知って、さも有りなんと思った。

それ以降、先生は私の「レコード探訪」の案内役となったのである。今は音楽の基礎にもう一度立ち返って勉強してみようと思い、先生の「西洋音楽の歴史 上」を読了し、「西洋音楽の歴史 中」を読んでいる最中である。
2007-07-05 20:38 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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ニックネーム:風街ろまん
性別:男性
年齢:56歳
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