一般にグレン・グールドの弾くバッハの「ゴルトベルク変奏曲」は、彼の名前を一躍有名にした1955年のニューヨークの「30丁目スタジオ 30th Street Studio」で録音された演奏と、彼の死の約一年半前の1981年に同じスタジオで録音された晩年の演奏が有名である。
彼の演奏活動の出発点となり終着点ともなったこの曲を、彼はよほど好んでいたらしく、この両者以外にも「ゴルトベルク変奏曲」の録音は存在する。それが、今日ご紹介するこのディスクである。
そもそも、彼が晩年にこの曲を再録音したのは、1955年の旧録音を聴き直したのが、きっかけであったといわれている。彼はこのとき、旧録音は「とてもよかったが、独立心の強い小品たちが自分勝手に振舞っている」と感じたそうである。私も今聴くと、同じ感想を抱く。
因みに、旧録音は彼の愛器であった“STEINWAY”で演奏され、演奏時間は38分26秒であった。それに対し、新録音は1975年製の“YAMAHA”のピアノで演奏され、演奏時間は51分14秒である。実に1.34倍以上に演奏時間が延びている。
私はこの新録音(1981年)を初めて聴いた時、あまりにもテンポが遅いので一瞬戸惑ったのを覚えている。しかも、“YAMAHA”で弾いているとは思っていなかったので、何となく違和感を感じた。それまでの、「グールドのバッハ」とは違う響きがしたのである。
それでは、今日ご紹介する1954年のディスクはどうか。これは彼がカナダ放送協会(CBC)の放送用に残した1954年6月21日の録音である。聴いた感じでは、ご愛用の“STEINWAY”で演奏しているようだが、彼独特のハミングは入っていない。演奏時間は42分03秒である。
音質はお世辞にもいいとは言えないが、演奏そのものはまさしくグールドの演奏である。ただ、「独立心の強い小品たちが自分勝手に振舞っている」という感じはなく、曲全体にある種の統一感がある。しかも、彼独自の躍動感溢れる演奏は、ここでも精気を失っていない。おそらく、有名な1955年の演奏の時よりも短時間で収録されたものと思われ、そのため、自然に全体的な統一感が得られたのだと思う。
1955年の録音を先に聴いてしまったわれわれの中には、物足りなく感じる人もいるだろうが、これでも立派に伝統破壊的な演奏である。繰り返し聴いても飽きの来ない演奏ではなかろうか。
なお、このディスクには他に以下の曲が収録されている。
平均律クラヴィーア曲集第2巻 - 第14番 前奏曲とフーガ 嬰ヘ短調 BWV 883
平均律クラヴィーア曲集第2巻 - 第7番 前奏曲とフーガ 変ホ長調 BWV 876
平均律クラヴィーア曲集第2巻 - 第22番 前奏曲とフーガ 変ロ短調 BWV 891
平均律クラヴィーア曲集第2巻 - 第9番 前奏曲とフーガ ホ長調 BWV 878
BWV883,876,891は1954年2月28日の録音、BWV878は1952年10月21日の録音である。
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2008-12-16 20:24
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グレン・グールドについて /
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ここに興味深いディスクがある。収録されているのは全てベートーヴェンの作品で、演奏しているのはあのグレン・グールドである。しかも、モノラル録音で、全部が同じ時期に録音されたかどうかわからないが、収録曲のうち何曲かは1952年10月であることが判明しているので、他の曲もほぼ同時期に録音されたものと思われる。あの衝撃的な「ゴルトベルク変奏曲」でのデビューより、3年前の録音である。
これらは、CBC(Canadian Broadcasting Corporation:カナダ放送協会)の放送用録音を音源としている。しかし、聴いているとLPレコード独特の一定の間隔でのノイズが入っているので、マスターテープから採られたものではなく、LPの演奏をマイクで収録したような感じがする。
しかし、これは紛れもないあのグールドの演奏である。速い曲はより速く、遅い曲はより遅く、ノン・レガートでそれぞれの音を際立たせるように演奏する彼の奏法は、この時点ですでに聴き取れるのである。収録曲目は以下の通りである。
1.6つのバガテル Op. 126
2.ピアノ・ソナタ第28番 イ長調 Op. 101
3.ピアノ・ソナタ第4番 変ホ長調 Op. 7 第2楽章
4.ピアノ・ソナタ第19番 ト短調 Op. 49
5.ピアノ三重奏曲 変ロ長調 WoO 39
6.ピアノ三重奏曲第5番 「幽霊」 ニ長調 Op. 70 No. 1
三重奏の時のヴァイオリンは Alexander Schneider 、チェロは Zara Nelsova となっている。
印象に残ったのは、「ピアノ・ソナタ第28番 イ長調」第3楽章“Adagio, ma non troppo, con affetto”で、冒頭は実にゆっくりと実に抒情的に始まるが、途中で指が目まぐるしく動き回り出し、やがてバッハのフーガのように音の重層構造が構築され頂点を築き上げた後、最後には撃鉄を三回打ち下ろして曲は終わるのである。
また、ピアノ三重奏曲第5番 「幽霊」の第2楽章も、誇張ではなく、実際に幽霊が出てきそうな雰囲気で演奏されている。私はこの曲を初めて聴いたので、他の演奏は知らない。ウィキペディア(Wikipedia)には、「実際はそれほど不気味とはいえない」と書いてあるが、私には十分不気味だと思えた。
なお、このレコーディングで、私が今まで聴いた多くのグールドの演奏と違うところがある。それは、彼の「鼻歌」が一切入っていないことである。
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2008-09-07 20:39
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「グールドのショパン」と聴いてただ通り過ぎるだけの人たちは、おそらくグールドに興味がないのだろう。逆に「え!」とか「ふむ」とか言って立ち止まる人たちは、「グールド通」の人々だろう。
ピアノを学ぶ者にとって、ショパンは「ピアノの詩人」と呼ばれ、多くのピアニスト達にとって最高到達点でもある。少なくとも、小学生の時にピアノを習っていた私の目には、そのように映った。今は知らないが、あの頃はピアノの楽譜には“A・B・C”の難易度ランクが付けてあって、ショパンの楽譜は全部といっていいほど最高難度の“C”であった。
だから、グレン・グールドのように、ほとんどショパンのレコーディングを残さなかったピアニストは、希少な存在である。しかし、私はさして不自然とも、不思議とも思わない。私自身の音楽的嗜好が、彼と同じように非常に偏っているからである。
グールドは、シューベルト、シューマン、ショパン、リストなどのロマン派ピアニズムを代表するような作曲家たちの作品を好まず、基本的に演奏はしなかった。彼の言葉によるとそれは、「基本的には構成の問題です。私の好む音楽に比べると(中略)引き締まり方が足りないし、十分に組織されているとは言えない。詩的なところも足りません。拍節上のパルスの強さも、私が求める程度に及びません」(ジョン・ロバーツ編「グレン・グールド発言集」所収−宮澤淳一訳)という理由からだそうである。
そんな彼が、プロになって初めてショパンを演奏したのは、漸く1970年になってからのことで、CBC(カナダ放送協会)のラジオ番組でショパンのピアノ・ソナタ第3番ロ短調Op.58の演奏を披露した時だそうである。この YouTube での演奏がそのときのものかどうか明らかではないが、参考までにお聴きいただければと思う。
私もディスクはたくさん持っているが、ショパンのものはほとんどない。(親父の遺品のディスクには少しあるかもしれないが…。)したがって、この演奏が「正統的な」演奏からどの程度外れているのか、全く見当が付かない。そんなに変な演奏とも思えない。
私の場合は「構成の問題」云々より、基本的に、自らの技巧性を誇示するような作曲家の曲は好きではないのだ。高度の技巧性が要求される曲を作ることと、それを「ひけらかす」ことを目的に作曲することとは全く違う。それに、幼い頃住んでいた家の隣家の娘さんがピアノが上手で、毎日のように彼女の弾くショパンを聴いていたのも原因のひとつかもしれない。「もう、ええわ」という感じである。
だから、パガニーニのヴァイオリン曲も聴く気がしない。サラサーテの「ツィゴイネルワイゼン」も同様である。私は協奏曲でも、独奏の楽器を伴奏のオーケストラが「引き立てる」という構造の曲は嫌いで、独奏楽器とオーケストラが渾然一体となって一つの塊りとなるような「協奏」を好む。そういう意味では、ブラームスのヴァイオリン協奏曲のほうがずっといい。あれは、協奏曲の形をとった交響曲である。
ただ、ブラームスは渾身の力をこめて演奏すると「重く」なり過ぎるので、比較的小編成のオーケストラによる演奏のほうが好ましい。私の推薦盤は、ヒラリー・ハーン(Vn)の独奏とマリナー指揮アカデミー室内管弦楽団の演奏である。
なお、私はチャイコフスキーも、今では全く聴かない。中学生の頃は、交響曲第4番、第5番、第6番と聴き、ピアノ協奏曲第1番も聴いた。確かに彼の作品は親しみやすい。しかし、ブルックナーやブラームスより後に生まれた作曲家として聴くと、彼の作風はあまりにも物足りない。彼が19歳の時に、ワーグナーはすでに「トリスタンとイゾルデ」を完成し、「指環」の作曲に取り掛かっていたのだから。バレー音楽でも、チャイコフスキーの「白鳥の湖」より、プロコフィエフの「ロメオとジュリエット」のほうが、断然おもしろい。
こういうのって、変かなあ
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2008-07-29 09:12
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グレン・グールドについて /
ショパン |
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ベートーヴェンの三大ピアノ・ソナタというと、「悲愴」、「月光」、「熱情」である。しかし、私はこれらの曲をちゃんと聴いたことがない。ベートーヴェンのピアノ曲の中で一番良く聴いたのは「エリーゼのために」である。それは、私が小学生の頃ピアノを習っていて、繰り返し練習したからである。その頃の私にとってはそれが精一杯で、「悲愴」、「月光」、「熱情」などというのは遠い世界の話であった。だから、年に一度の演奏会の時に、上級クラスの人たちが弾いていた曲が、脈絡なく断片的に記憶に残っているだけである。
そんな私が、ベートーヴェンの三大ピアノ・ソナタを聴いてみようという気になったのは、6月29日にご紹介したグレン・グールドの演奏を改めて聴いてからである。日本独自企画の完全生産限定盤と銘打ったこのディスクの帯には、「グールドが既存の概念を打ち破るテンポで弾いた三大ソナタ」と書いてある。それを、既存の演奏をよく知らない私が聴くとどう感じるのか、試してみたかったのである。
ジャケットには、「月光」、「熱情」、「悲愴」の順にタイトルが書いてあるが、収録は「悲愴」、「月光」、「熱情」の順番である。まず、一番最初の「悲愴」の出だしは、実に強烈である。これは「トーン・クラスター」ではないかとさえ思ったほどだ。しかし、この曲は全く初めて聴く曲ではない。どこかで聴いたことがある。テンポが尋常ではないといっても、どこがどうおかしいのかは判らない。第3楽章がやけにリズミックで、まるでバッハの演奏のように聴こえる。とはいえ、「聴くに堪えない」という類の演奏ではない。
次の「月光」も第1楽章はよく知った曲なので、グールドによるモーツァルトの「トルコ行進曲付き」の演奏を始めて聴いた時のような違和感を感じるかと思ったが、そんなことは全くなかった。第2楽章、第3楽章とも聴いたことのある曲である。
「熱情」も同様である。「この曲はこんな曲じゃなかったはずだ」という抵抗もなく、すんなりと聴けた。
ただ、全体を通して感じるのは、バッハを弾く時とピアノの音色が違うことである。グールドの場合、1960年以来レコーディングではほとんど同じピアノを使っていた(90%ぐらいは)ので、チューニングを変えていたのか、ペダルの使い方を変えていたのか、それとも曲自体が持つ性格によるものなのかよく判らない。ただ、明らかにバッハを弾く時のような、どちらかというとハープシコードに近いような音色とは異なる。
これらは1966年と1967年に録音されているので、私が中学進学と同時にピアノを習うのを止めたのと、ほぼ同時期である。ピアノの先生が、「こんな演奏もあるのよ」といってグールドの演奏を聴かせてくれていたら、私ももう少しピアノをやってみようと思っていたかもしれない。
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2008-07-14 20:02
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このディスクは、グールドの死後に発売されたもののようである。というのは、吉田秀和さんの解説が、「グレン・グールドが、ある秋の日、心不全か何かで、あっという間にこの世界から姿を消してしまってから、そろそろ2年になる。」という書き出しで始まっているからである。
グールドの死を追悼してCBS/SONY INC.から出版された小冊子にも、「1982年7月2日と9月1日〜3日に録音予定であった。詳細不明」とか「録音済。詳細不明」とか記されているだけである。
しかし、このディスクに収めれれている二曲、「ピアノ・ソナタ ロ短調 作品5」と「ピアノのための5つの小品 作品3」はちゃんと録音されていたのである。前者は上記小冊子の記述通り、1982年7月2日と9月1日〜3日に録音されている。後者は、1979年4月23日、8月6日、9月5日に録音されている。
リヒャルト・ゲオルク・シュトラウス(Richard Georg Strauss, 1864 - 1949)といえば、「英雄の生涯」に代表されるような交響詩や「薔薇の騎士」に代表されるようなオペラが有名で、ピアノの独奏曲があることも知らなかったし、聴いたこともなかった。
それもそのはずで、これらのピアノ曲のうち作品5が16歳の時の作品、作品3がその翌年の作品である。いわゆる、後の巨匠の「若書き」の作品なのである。したがって、ベートーヴェン、シューベルト、メンデルスゾーン、シューマンたちの影響が色濃く出ている作品群である。
グールドがなぜこれらの作品を取り上げたのかよく判らないが、ひとつには、若きシュトラウスがこれらの作品に込めた熱意に惹かれたことがあげられるのではないかということ。もうひとつは、「ピアノのための5つの小品」の第5曲に見られるようなポリフォニックな構造が、フーガを好むグールドの趣味に適ったのではないか、ということである。
話は少しそれるが、昔、黛敏郎さんの「題名のない音楽会」で作曲家の「駄作」特集をやっていたことがあった。その時、槍玉に挙げられていたのが、モーツァルトの歌劇「後宮からの誘拐」の序曲であった。黛さんは、モーツァルトはこの序曲を実に安直に作っていると解説したうえで、実際にオーケストラの演奏を聞かせていた。私はその時、黛さんの説得力に頷くばかりであった。しかし、後年、これをカール・ベーム指揮のバイエルン国立歌劇場管弦楽団のLD(劇場公演ライヴ録画)で聴くと、全く印象が違った。実に堂々とした、非の打ち所のない演奏であり、決して「安直な作品」とは思えなかった。
おそらく、シュトラウスのこれらの作品群も、他のピアニストが弾いていたら、もっと退屈な「どっかで聴いたような曲」を継ぎはぎした曲に聴こえたかもしれない。しかし、グールドはこれらの作品に「生命」を与えた。私はこの演奏に、若き日のシュトラウスの漲る情熱と躍動感、そしてロマンティシズムを目の当たりにする。
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2008-07-09 20:22
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