オットリーノ・レスピーギ(Ottorino Respighi, 1879 - 1936)の交響的印象「教会のステンドグラス」というのは結構有名な曲らしく、ウィキペディアにも楽曲解説が載せられている。
しかも、このディスクは1984年1月1日に録音されているので、かなり古い録音である。したがって、今さらこのディスクを紹介しても、「それなら聴いたことがある」と仰る方が多いかも知れない。
しかし、私はこの曲を聴いたことがないし、NMLに登録されている同曲のディスクの中では最も優れた演奏だと思われるので、やはりご紹介することにした。この前にも書いたように、最近の私は室内楽や器楽曲に関心が傾いているので、たまには大管弦楽による迫力のある演奏を聴きたいのだ。
私がレスピーギの作品の魅力を知ったのは、2010年5月11日に「ミクソリディア旋法の協奏曲」と「5声の協奏曲」を収めたディスクを聴いてからなので、まだ2年も経っていない。したがって、彼が残した多くの作品のうち、私が聴いたことのあるのはほんの一部にしか過ぎない。
私は最近の音楽ジャーナリズムの動向を全く知らないので、レスピーギの作品が今の日本で頻繁に演奏されているのかどうかも知らないし、彼の作品を収めたディスクが売れているのかどうかも全く知らない。
しかし、「教会のステンド・グラス」に関するウィキペディアの解説には、「この曲は半世紀の間、日本では知名度はきわめて低かった」という記述があるので、少なくとも私の生まれた頃に、この曲を知っていた日本人は少なかったようである。
そもそも、イタリアの音楽界ではオペラが圧倒的な勢力を持っていたが、オペラを聴かなかった私の父は、ヴェルディやプッチーニの音楽とは無縁な存在だったのである。したがって、私が小学校の高学年の頃に父のレコード・コレクションを物色していても、ヴィヴァルディの「四季」ぐらいにしか巡り会えなかった。
斯く言う私も、ヴァーグナーの「指輪」を聴くためにレーザー・ディスク・プレイヤーを買ったぐらいだから、イタリアのオペラにはほとんど興味がなかった。私がイタリア語のオペラとして親しんだのは、モーツァルトの「フィガロの結婚」、「ドン・ジョヴァンニ」、「コシ・ファン・トゥッテ」などで、ヴェルディやプッチーニの歌劇は鑑賞したけれども、マスカーニ、レオンカヴァッロ、ジョルダーノまで手を広げようとは思わなかった。
したがって、オペラ一辺倒のイタリア楽壇に風穴を開けようとしたレスピーギの存在を知ったことは、私にとって驚きであったとともに、埋もれていた宝物を探し当てたような気持になった。しかも彼は、ただ単に20世紀の新しい手法を習得しただけではなく、17世紀のイタリアの音楽を研究することによって、独自の作風を打ち立てたのである。
私はもう若くはないので、レスピーギに関心を持っても、彼の作品ばかりを集中的に聴いたりすることはしない。しかし、たまにNMLに登録されているディスクを眺めていて、レスピーギの作品を見つけると聴いてみたくなるのだ。ということで、28年以上前の録音だが、このディスクを聴いてみることにした。収録曲は以下の通りである。
1.交響的印象「教会のステンド・グラス」 P. 150 (1925)
2.フラジルの印象 P. 153 (1928)
演奏は、ジェフリー・サイモン(Geoffrey Simon, 1946 - )指揮フィルハーモニア管弦楽団である。私はこの指揮者の演奏を聴くのは初めてだが、オーストラリア出身の指揮者で現在はロンドンに在住しているとのこと。
さて、「教会のステンド・グラス」は、レスピーギ自身のピアノ曲「グレゴリオ聖歌による3つの前奏曲(1919年)」を管弦楽用に編曲し、終曲を新たに書き加えて第4楽章にした作品である。
大規模な楽器編成だが、規模が大きいだけでなく様々な楽器が用いられている。特に、打楽器はティンパニ、シンバル、銅鑼(大・中・小)、大太鼓、鉄琴が要求されているし、それ以外にハープ、チェレスタ、ピアノ、オルガンも加わる。
だが、元々はグレゴリオ聖歌に基づいた作品なので、大音量で絢爛豪華な音響空間を生み出しているが、どこか古風で落ち着いた佇まいが感じられるのだ。したがって、マーラーが自身の交響曲第8番「千人の交響曲」で表現しようとした「大宇宙が響き始める」という発想とはやや異なっている。
4つの楽章は、「 I. エジプトへの逃避 - II. 大天使ミカエル - III. 聖クララの朝の祈り - IV. 大聖グレゴリウス」という標題が付けられているが、浅学菲才の私にはそれぞれの楽章がどのように関連しているのか解らない。確かに綿密に組み立てられた密度の高い作品であるが、大宇宙が拡散していくような曲想ではなく、求心力を持ってステンドグラスに凝縮された美しさを表現しているように感じられる。
「フラジルの印象」は、「 I. 熱帯の夜 - II. ブタンタン - III. 歌と踊り」の3曲から構成されるが、全体がサンバのようなリズミックで明るい音楽ではない。最初の2曲は燦々と降り注ぐ灼熱の太陽の光というイメージとは程遠く、特に「ブタンタン」では ベルリオーズの「幻想交響曲」の第5楽章でも引用されているグレゴリオ聖歌の「怒りの日」の旋律が引用されている。
いずれにしても、斬新な音作りと古典主義を見事に融合させて、レスピーギが器楽音楽の復興に尽力していたことが窺えるのである。これらの作品は、実演で聴いてこそその魅力が実感できるのだと私は思った。
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2012-03-26 23:07
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オットリーノ・レスピーギ(Ottorino Respighi, 1879 - 1936)というと、オペラ一辺倒だったイタリア楽壇で器楽音楽を復興させた作曲家として知られる。
しかし、私は彼がヴァイオリンの名手だったことを知らなかった。したがって、私は今まで、彼が生涯に何曲の「ヴァイオリン協奏曲」を書いたかについては全く無関心だった。
そこで、利用可能となったWIKIPEDIA(英語版)で調べてみると、彼はヴァイオリンと管弦楽のための作品を、全部で6曲残していることが判った。しかし、その中で有名なのは「古風な協奏曲(Concerto all'antica :1908年)」、「グレゴリオ聖歌風(Concerto Gregoriano :1921年)」、「秋の詩(Poema Autunnale :1925年)」の3曲であろう。
しかし、それ以外にも彼の作品の中には、ヴァイオリンと管弦楽のための作品があるのだ。それが今日ご紹介する「ヴァイオリン協奏曲 イ長調」である。おそらくこの作品が、彼の最初のヴァイオリン協奏曲であろう。だが、残念なことにこの作品は彼の手によって完成されることなく、未完成のまま残された。
彼は1903年にこの作品の作曲に取り掛かったが、最初の2つの楽章を完成させたものの、第3楽章はピアノ譜だけしか残しておらず、数小節だけにオーケストレーションが施されているだけだった。彼がこのヴァイオリン協奏曲を完成できなかったのは、他の作品に注力するためだったと考えられている。
したがって、未完成の「ヴァイオリン協奏曲 イ長調」が補筆完成されたのは、漸く2007年になってからのことで、その作業に携わったのは、ニューヨーク室内管弦楽団の音楽監督兼指揮者であるサルヴァトーレ・ディ・ヴィットリオ(Salvatore Di Vittorio, 1967 - :右下の写真)である。
そして、ヴィットリオ&ニューヨーク室内管弦楽団がこの曲の初演を行ったのが、2010年2月13日のことだった。まさに、100年以上の歳月を経て、レスピーギの最初のヴァイオリン協奏曲は「完成」されたのである。したがって、このディスクも世界初録音である。収録曲は以下の通りである。
1.アリア ト長調 P. 32 (1901 :編曲 S. ディ・ヴィットリオ)
2.ヴァイオリン協奏曲 イ長調 P. 49 (1903 :補完 S. ディ・ヴィットリオ)
3.弦楽のための組曲 P. 41 (1902 :復元 S. ディ・ヴィットリオ)
4.ロッシーニアーナ P. 148 (1925)
演奏は、上述のサルヴァトーレ・ディ・ヴィットリオ指揮ニューヨーク室内管弦楽団(Chamber Orchestra of New York)である。「アリア ト長調」もやはり世界初録音だが、私はこの曲の原曲を聴いたことがないので、ディ・ヴィットリオによる編曲(transcription)によってどこがどう変わったのか分からない。
同じように、3曲目の「弦楽のための組曲」も復元(revision)されているのだが、編曲(transcription)とどう違うのか不明である。
「ロッシーニアーナ」以外の曲は全てディ・ヴィットリオの手が加えられているので、原典を尊重する方々のお気には召さないかも知れない。
しかし、始めから通して聴いてみると、各々の曲想が異なる割りには全体として統一が取れているように感じる。
「アリア」は弦楽合奏だけの作品だが、どことなく物憂い感じの出だしで始まる。ゆったりとした抒情的なメロディーが、聴く者を捉えて離さない。
「ヴァイオリン協奏曲 イ長調」はそれに比べると、非常に明るく快活な印象を受ける。
第1楽章は、「アリア」での憂鬱を吹き飛ばすように、力強く明るく始まる。この曲では管楽器も加わっているので、仄暗い室内から明るい屋外に出た時のような晴れやかな気分になる。
第2楽章は緩徐楽章で落ち着いた曲想なので、鳥のさえずりが聞こえるような田園風景を想い起こさせる。しかし、単に静かなだけではなく、中間部の“Agitato”では感情の大きな高まりを感じさせる。第3楽章が補筆完成された楽章だが、ここではまた第1楽章のように明るく躍動的な曲想に戻るので、聴いていて飽きることがない。小規模オーケストラでの演奏だから、響きがあまり厚ぼったくならないのも好ましい。
「弦楽のための組曲」はバロックの合奏協奏曲のような曲想で、レスピーギがこの頃から、ヴィヴァルディに代表されるイタリアの古楽に興味を持っていたことを示している。ユーロ危機の渦中にあるイタリアだが、このディスクを聴いていると彼らの持つ文化の底力を感じないわけにはいかないのだ。
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2012-01-19 22:46
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