今週の火曜日にメンデルスゾーンの「6つの前奏曲とフーガ」をご紹介した時に、「モーツァルトもヴァイオリン、ヴィオラ、チェロのための『6つの前奏曲とフーガ K. 404a』を書いている」と私は書いた。
確かに、WIKIPEDIA(英語版)には、“Preludes and Fugues for Violin, Viola & Cello, K. 404a”と書いてあり、日本語版でも「K. 404a」は「6つの前奏曲とフーガ」とされている。
しかし、このディスクのジャケットをよく観ると、「6つの前奏曲とフーガ」ではなく、「6つのアダージョとフーガ(6 Adagios und Fugen KV 404a)」と書いてあるではないか。因みにWIKIPEDIA(ドイツ語版)には、この作品の記述がない。
このディスクは“New Classical Adventure”というレーベルから発売されており、曲目がドイツ語で書かれていることからもお解りのように、ドイツのレーベルである。ハンブルクに本拠を置いていて、「ドイツ国内の放送局との提携録音を含め、かなり興味を引かれるアイテムが多く」とNMLの解説には書いてある。
浅学菲才の私としてはどちらを信じたら良いのか分からないが、先日の記事を読んで「これは間違いではないか」というご指摘を受ける前に、この場でお断りしておきたいと思った次第である。
いずれにせよ、このレーベルの「レパートリーは少々マニア向けのアイテムが多い」と書かれているので、作品そのものがほとんど聴かれることがないのかも知れない。
ジャケット表面には大きくヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart, 1756 - 1791)と書いてあるが、ブックレットの収録曲目一覧を観ると、“Adagio und Fuge d-Moll”とか“Adagio und Fuge F-Dur”という風に書かれており、しかも作曲者は“Mozart?/J.S.Bach”という書き方になっているのだ。
したがって、これらの曲はモーツァルトの作曲もしくは編曲によるものかどうかも疑わしいということになる。NMLの収録曲一覧を観ると、「アダージョとフーガ」のうちフーガは全て、J.S.バッハもしくは長男のヴィルヘルム・フリーデマン・バッハ(Wilhelm Friedemann Bach)の作品を基に編曲されているようである。NMLの方式に倣って収録曲を記すと、以下のようになる。
1.6つのアダージョとフーガ, K. 404a (1782)
アダージョ No. 1
フーガ No. 1 (J.S.バッハのBWV 853による)
アダージョ No. 2
フーガ No. 2 (J.S.バッハのBWV 883による)
アダージョ No. 3
フーガ No. 3 (J.S.バッハのBWV 882による)
アダージョ No. 4
フーガ No. 4 (J.S.バッハのBWV 527による)
アダージョ No. 5
フーガ No. 5 (J.S.バッハのBWV 526による)
アダージョ No. 6
フーガ No. 6 (W.F.バッハのフーガ F 31/8による)
2.アダージョとフーガ ハ短調 K. 546 (1788)
演奏は、レザデュー(Les Adieux)という古楽アンサンブルである。しかし、演奏者の名前はヴィオリン2人とヴィオラ、チェロが各1名ずつしか書かれていないので、弦楽四重奏の編成と同じである。
収録されているフーガのうち、バッハ作品目録番号(BWV)が800番台の曲は、「平均律クラヴィーア曲集第1巻&第2巻」の中に含まれるクラヴィーア曲であり、500番台の曲はオルガンのための「6つのトリオ・ソナタ」である。
また、W.F.バッハの作品は、やはりチェンバロのための8つのフーガの中の一曲である。
最後の「アダージョとフーガ ハ短調 K. 546」はモーツァルトの自作で、1783年に書かれた「2台のクラヴィーアのためのフーガ K. 426」を弦楽合奏用に編曲し、新たに52小節からなるアダージョの序奏を書き加えた作品だそうである。
したがって、最後の曲はモーツァルトの円熟期の作品で、元々の楽器編成は「ヴァイオリン2、ヴィオラ、チェロ、コントラバス」である。すなわち、この曲は元来は弦楽オーケストラのために書かれているのだ。それを、このディスクでは弦楽四重奏で演奏している。
「6つのアダージョとフーガ」では、モーツァルトもメンデルスゾーンの場合と同じように、フーガでバッハの世界に浸り切っているが、アダージョになるとモーツァルトらしさが窺えるのである。
モーツァルトのジュピター交響曲の最終楽章の壮麗な曲想は、このような一見地味な曲作りによって培われた能力を最大限に発揮して生まれたのだろう。ポリフォニーとホモフォニーの融合が、二人の天才の出会いによって成し遂げられたのである。
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2012-02-03 23:08
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今週は長い一週間だった。1月は営業日が少ない上に、内部監査と子会社の総務・経理係を兼務しているので、一日の内で一回は頭を切り換えねばならない。
「グループ経営の観点から必要」という高尚な理由付けは単なる建前であって、現実には子会社の経理要員の人件費をケチっているだけに過ぎない。
「内部監査の専門職的実施の国際基準」に違反してまで現状の体制を維持するのは、会社に基礎体力が欠けていることの証左に他ならず、経営層の見識さえ疑われかねないことを彼らは知るべきであろう。 そして、今日は1月1日付で内部監査部門に配属されたNくんの歓迎会だった。Nくんは私より1年後輩だが、年齢は1つ上である。
ということで、今日の宴席でも、現在56歳の私が最も若いという状態である。私は自分自身がオッサンでありながら、オッサン同士の宴会は嫌いなので、一週間の終わりにどっと疲れが出るのである。オッサン同士の話は昔話で盛り上がるが、何も得ることがないので私は嫌いなのだ。
さて、そんな状態でこのまま就寝するのも何となく物足りないので、やはりいつものように音楽を聴いてみることにした。今日1月27日はヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart, 1756 - 1791)の誕生日なので、モーツァルトの音楽を聴いてみようと思いながらNMLの「新着タイトル」を眺めていたら、彼の「オルガン曲集」を見つけた。
そう言えば、私は今までモーツァルトのオルガン曲を聴いたことがない。ジャケットはあまり見栄えしないが、モーツァルトの意外な側面が窺えるだろうということで、聴いてみることにしたわけである。
ただし、NMLでは誤まって別のディスクのジャケットが表示されているが、本当のジャケットは左上に掲げたジャケットである。ただし、内容は間違いなく、モーツァルトのオルガン曲集である。収録曲は以下の通り。
1.イントラーダとフーガ ロ長調 K. 399
2.教会ソナタ ハ長調 K. 336
3.幻想曲 ヘ短調 K. 594 (1790)
4.アンダンテ ヘ長調 K. 616 (1791)
5.幻想曲 ヘ短調 K. 608 (1791)
6.アダージョ ハ長調 K. 356
7.アレグロ ト長調 「ヴェロナ風のアレグロ」 K. 72a
8.ジーグ ト長調 「ライプツィヒ・ジーグ」 K. 574
9.フーガ ト短調 K. 401
10.アダージョ ロ短調 K. 540
11.アダージョとロンド ハ長調 K. 617
オルガン独奏は、ミシェル・ルクレール(Michelle Leclerc)である。使用楽器は、フランス東部ブルゴーニュ地域圏のサンス(Sens)という町にある大聖堂のオルガンである。
どうやらモーツァルトのオルガン曲はあまり有名ではないらしく、ウィキペディアで調べても、限られた曲しか記載されていない。
上記の曲目は、このディスクの発売元である“Aeolus”レーベルのウェブサイトから調べて翻訳したものだが、NMLでの表記とは異なっているものがある。
作曲年代については、判っているものだけを記載したが、ご覧のようにほとんどの曲の作曲年代が判らない。
最初の「イントラーダとフーガ」はバッハのような壮麗な響きがする。「イントラーダ(Intrada)」というのは、16〜17世紀の祝典・行進曲風の幕開き音楽を意味するらしく、それに続けてフーガが演奏されるので、ディスクの冒頭を飾るのに相応しい曲である。
しかし、次の「教会ソナタ」では軽妙な「モーツァルト節」になるので、やや頭が混乱する。それぞれの楽曲が書かれた年代にも因るのだろうが、これらのオルガン曲集を聴いていると、モーツァルトがバッハ風のポリフォニックな音楽とホモフォニックな音楽の間を行き来しているような気がするのだ。
そういう意味では不思議なオルガン曲集であるが、一週間の疲れを癒すには最適のディスクだと思う。少なくとも今の私にとっては、がっちり組み立てられたポリフォニックなオルガン曲集よりも、こういうディスクのほうが好ましく感じられるのである。
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2012-01-27 23:59
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今までに聴いたことのない音楽を聴いてみようとNMLでディスクを眺めていたら、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart, 1756 - 1791)の「カッサシオン集」というのを見つけたので、聴いてみることにした。
モーツァルトの「セレナーデ」や「ディヴェルティメント」は、全曲ではないけれども、私はこれまでに幾度か聴いたことがある。しかし、「カッサシオン」というのは聴いたことがないので、興味が湧いたのである。
しかし、ウィキペディアで調べてみると、「カッサシオン(cassation)」というのは、「セレナーデやディヴェルティメントと同様、小曲を連ねた多楽章の形式をとり、晩餐会などのパーティで演奏された祝典音楽の1つである」という説明が載っている。
しかも、「ディヴェルティメントが屋内、カッサシオンとセレナーデが屋外での演奏のためという区別はあるが、明確ではなく、三者は実質的にほぼ同じものであると考えられている」と書いてあったので、セレナーデやディヴェルティメントを聴いたことのある私にとっては、ここで興味が半減してしまった。
だが、モーツァルトの作品目録には、「カッサシオン」と題された曲は3曲しか掲載れておらず、しかもそのうちの1曲は「セレナーデ第1番 ニ長調 K.100と同一」と書いてあるのだ。したがって、彼が作った純然たる「カッサシオン」は2曲だけしかないということになる。
それで、その2曲の「カッサシオン」をピリオド楽器の演奏で聴いてみようと思って捜し出したのが、今日ご紹介するディスクである。もちろん、2曲の「カッサシオン」だけではCDに少なからず余白できてしまうので、今日のディスクはディヴェルティメントと行進曲を1曲ずつ併録している。収録曲は以下の通りである。
1.カッサシオン ト長調 K. 63 (1769)
2.行進曲 ニ長調 K. 189
3.ディヴェルティメント ニ長調 K. 205 (1773)
4.カッサシオン 変ロ長調 K. 99 (1769)
演奏は、ジギスヴァルト・クイケン(Sigiswald Kuijken, 1944 - )指揮ラ・プティット・バンド(La Petite Bande)である。ラ・プティット・バンドはベルギーの古楽アンサンブルであるが、2009年の春に政府からの助成金が削減されたために経営危機に陥った。そのため、現在では基金を創設し、あまり当てにできない政府からの助成金に依存しないような楽団経営を構築しつつある。
2009年の春と言えば、大阪でも大阪センチュリー交響楽団が橋下大阪府政の「財政再建」によって存亡の危機に立たされた時期であった。その時のことは、2009年3月9日の記事にも書いたのでここでは繰り返さないが、その後、大阪センチュリー交響楽団は2011年4月に名称を日本センチュリー交響楽団に変更して新たなスタートを切ったのである。
さて、「カッサシオン」の語源は定かではないそうだが、“Court of Cassation”に由来するという説もあるらしい。“Court of Cassation”は、多くの国の裁判制度の下では最高裁判所のことを意味する。
いずれにしても、「カッサシオン」はほとんどの場合、「行進曲(仏: Marche, 伊: Marcia)」が冒頭に置かれるのが特徴になっている。そして、最大で7つの楽章から成っているのである。
このディスクに収録されている2曲の「カッサシオン」も上記の通り、「行進曲」が冒頭にあり全部で7つの楽章から構成されている。パーティのBGMとして作曲された音楽だから、気楽に聴き流せるように作られているが、この演奏を聴きながら食事をするのは最高の贅沢だったことが想像できる。
モーツァルトが活躍していた18世紀の後半は、現代に比べれば物質的には貧しく富は偏在していたかも知れないが、21世紀の市場経済が必ずしもそれ以上の「豊かさ」をもたらしているわけでもないし、貧富の格差は拡大しているのだ。
時計の針を元に戻すことができない以上、われわれには、せめて正しい進路を選択できるだけの見識が求められているのである。
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2011-12-05 22:26
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ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart, 1756 - 1791)は35年にも満たない短い生涯のうちで、様々なジャンルの音楽を作曲した。
したがって、彼がピアノ四重奏曲を2曲しか残していないことを知った時には、私は驚きを禁じ得なかった。しかし逆に言えば、このことはピアノ四重奏という楽曲形態が、当時はそれほど普及していなかったことを物語っているのだ。
WIKIPEDIA(英語版)には、「ピアノ四重奏のために書かれた最初の主要な作品と考えられている」という記述があるので、それまでにもピアノ四重奏曲はあったのかも知れないが、モーツァルトのこの2つの作品によって、それは室内楽での重要な楽曲様式となったということであろう。
しかし、このことはモーツァルトが自らの意志で独創的にピアノ四重奏という様式を生み出したことを意味するものではない。彼は、作曲家であり音楽出版者でもあったフランツ・アントン・ホフマイスター(Franz Anton Hoffmeister, 1754 - 1812)からの依頼を受けて、ピアノ四重奏曲を作ったのだ。
ホフマイスターの依頼はピアノ四重奏のための作品を3曲書いてほしいというもので、彼はアマチュアの演奏家が演奏して愉しめるような楽曲を期待していたのだ。しかし、最初に出来上がった第1番の譜面を観て、ホフマイスターはこの曲が難し過ぎて、出版しても売れないだろうと思ったようである。
もちろん、ホフマイスターがこの作品の価値を認めていなかったわけではなく、卓越した作品であると賞賛さえしていたのだが、アマチュアが演奏するのは至難の業であると考えたのである。彼がモーツァルトに作曲を依頼した1785年には、モーツァルトは歌劇「フィガロの結婚」を作曲中だったから、自然と作曲に力が入りすぎたのであろう。
ということで、「ピアノ四重奏曲第1番」は一応ホフマイスター社から出版されたが、予想通り売れ行きは芳しくなく、結局、彼ら2人の契約は解除された。
因みに、この「第1番」が最初に出版された時にはまだチェンバロが広範に使用されていたので、「チェンバロもしくはフォルテピアノとヴァイオリン、ヴィオラ、コントラバスのための四重奏曲(Quatuor pour le Clavecin ou Forte Piano, Violon, Tallie et Basse)」と題されていたそうである。
しかし、モーツァルトはその後、「ピアノ四重奏曲第2番」を作曲して別の出版社から出版しているので、ピアノ四重奏曲という様式が結構気に入っていたのかも知れない。ということで、今日はこの2曲のピアノ四重奏曲を、フォルテピアノを含むピリオド楽器の演奏で聴いてみることにした。収録曲は以下の通りである。
1.ピアノ四重奏曲第1番 ト短調 K. 478 (1785)
2.ピアノ四重奏曲第2番 変ホ長調 K. 493 (1786)
演奏は、サイモン・スタンデイジ(Vn)、トレヴァー・ジョーンズ (Va)、ジェニファー・ワード=クラーク(Vc)、リチャード・バーネット(Fortepiano)である。
「第1番」は短調の曲で比較的低音部から開始されるので、モーツァルト独特の軽やかさが欠けているように感じる。
ピリオド楽器の演奏だからそう感じるのかと思ったが、モダン楽器の演奏で聴いてもあまり軽やかな感じはしない。
したがって、この曲はこのように作られているのだ。ホフマイスターがアマチュア向きではないと思ったのも頷ける。確かに音楽愛好家が集まって気楽に演奏しながら愉しめるような音楽ではない。
しかし、私はこの曲を弾いてみようと思っているわけではないので、そういうことは気にならない。むしろ、ピリオド楽器の名手たちによって演奏されるこの演奏を聴いていると、各楽器が緊密に連繋し合いながら緊張感に溢れた音楽を生み出している。
確か、今年の6月13日に聴いたモーツァルトの「ピアノ三重奏曲全集」では、全体的にもう少し軽妙な雰囲気が漂っていたように思うが、私の記憶違いかも知れない。演奏者も違うので単純な比較はできないが、ほぼ同時期に作られたピアノ三重奏曲とピアノ四重奏曲は、モーツァルトの頭の中では異なった位置付けをされていたのかも知れない。
残念ながら、「ピアノ四重奏曲第3番」が作曲されることはなかったが、1780年代のモーツァルトの充実した創作活動の成果を愉しむにはこの2曲だけでも充分であろう。1788年には「3大交響曲(第39番、第40番、第41番)」を作っているのだから、私たちは夭逝したこの天才作曲家に多くのものを望んではいけないのだ。
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2011-11-14 22:20
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今日ご紹介するのは、モーツァルトはモーツァルトでも、アマデウスの父親のレオポルト・モーツァルト(Leopold Mozart, 1719 - 1787)の交響曲集である。
レオポルト・モーツァルトの交響曲というと、例の「おもちゃの交響曲」だけが有名でその他の交響曲はほとんど知られていない。
しかし以前に書いたように、その「おもちゃの交響曲」も、私が小学生の頃はフランツ・ヨーゼフ・ハイドンの作品だということになっていたので、作曲家としてのレオポルトにスポットライトが当てられることは、ほとんどなかったのである。したがって、私がこのレオポルトの交響曲集を観た時には、思わず聴いてみたくなった。
このディスクのジャケットを観ても、一番大きく書いてあるのは“Toy Symphony (おもちゃの交響曲)”なので、今でも彼の代表作としてこの曲は真っ先に挙げられるべき作品のようである。しかし、このディスクはその他に、彼の交響曲を4曲収めているので、彼の交響曲の片鱗を窺うには適していると思った。収録曲は以下の通りである。
1.交響曲 ト長調 Eisen G8
2.おもちゃの交響曲
3.交響曲 ニ長調 Eisen D15
4.交響曲 イ長調 Eisen A1
5.交響曲 ト長調 「新ランバッハ交響曲」
演奏は、ケヴィン・マロン(Kevin Mallon)指揮トロント室内管弦楽団である。トロント室内管弦楽団は小規模モダン・オーケストラであるが、指揮者のマロンは、ジョン・エリオット・ガーディナー(John Eliot Gardiner, 1943 - )に師事し、古楽器によるピリオド奏法にも造詣が深い。
マロンは、レザール・フロリサン(Les Arts Florissants)やターフェルムジーク・バロック管弦楽団(The Tafelmusik Baroque Orchestra)の一員として活動した経歴を持っているので、この録音でも、ピリオド奏法を意識した引き締まった演奏を繰り広げている。
「おもちゃの交響曲」は例によって様々な楽器が登場し、オカリナ、バード・ホイッスル、ハーディ=ガーディなどが演奏に加わっている。しかし、それらの楽器があまりガチャガチャした雰囲気を醸し出さず、演奏全体はあくまでも端正である。おそらく、私が小学生の頃にこの演奏を聴いても、あまりおもしろいとは思わなかっただろう。
それよりも問題なのは、最後の「新ランバッハ交響曲」である。これは、上部オーストリアのランバッハ(Lambach)にあるベネディクト派の修道院で、1923年になって、モーツァルト父子の作品と思われる2つの交響曲が発見されたことによって陽の目を見ることになった。
これらはどちらも筆写譜の形で発見され、「1769年1月4日 作者より贈呈」と書かれていたそうである。一方には「ヴォルフガング・モーツァルト氏作曲」、もう一方には「レオポルト・モーツァルト氏作曲」と書かれてあったらしいが、これらが写譜家の手で書かれていたので、その信憑性が問われることになった。
学者たちの間で論争が巻き起こったが、どちらがどちらの作品なのか簡単には判断できなかった。最初は写譜家が書いた通り、3楽章様式の作品がアマデウスの作品で、それが「ランバッハ交響曲」と呼ばれた。
だが、その後、2曲の交響曲の作者は取り違えられた可能性があるという説が唱えられた。
それは、「レオポルトの4楽章様式の交響曲」のほうが、様式的にも音楽的にも優れており、こちらがアマデウスの作品であるとされた。そしてこれが、「新ランバッハ交響曲」と呼ばれた。
しかし、これで一件落着したわけではなく、1980年に筆写譜が発見されたことで、この「新ランバッハ交響曲」は父レオポルトの作品だということになっている。確かに、「おもちゃの交響曲」は別としても、他の作品が全て3楽章様式で、より単純な様式を採用していることを考えれば、「新ランバッハ交響曲」は息子のアマデウスが作曲したと考えても無理はない。
しかし、アマデウスと父レオポルトとは、年齢が37歳も離れているのである。いくらアマデウスが天才だったとは言え、1760年代初頭から1767年までの間に書かれたと考えられる「新ランバッハ交響曲」は、レオポルトの円熟期の作品と考えるべきであろう。いずれにしても、軽やかなこれらの交響曲は、「天才児」を子供に持った父親の作品らしく、控え目にその特長を示しているのである。
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2011-09-29 23:10
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