2008年09月18日(木)
メモリー・オブ・ジミヘン
今日、9月18日は「史上最高のロックギタリスト」といわれるジミ・ヘンドリックス("Jimi" Hendrix, 1942年11月27日 - 1970年9月18日)の命日です。

1970年といえば、私はまだ中学三年生でした。その頃はまだ、クラシックからロックへの移行期であり、サイモンとガーファンクルに夢中になっていた頃です。その一方で、万博の西ドイツ館でのカールハインツ・シュトックハウゼンの演奏に接して衝撃を受けた年でもありました。

したがって、ジミのことは名前を聞いたことがあったぐらいで、実際の演奏は聴いたことがありませんでした。1971年になって高校に入学し、その年にシカゴやレッド・ツェッペリンなどが来日し、彼らのコンサートを聴きに行って強烈な印象を受けました。私の中で何かが変り始めていたのです。しかし、そのとき「ジミヘン」ことジミ・ヘンドリックスは、もうこの世の人ではなかったのです。

私が初めて彼のサウンドに接したのは、「ウッドストック」のLPを聴いたときです。彼の弾く“The Star-Spangled Banner”(アメリカ国歌)を聴いた時の衝撃は、今でも心に焼き付いています。下の映像はそれよりも前の1967年6月に行われたモンタレー・ポップ・フェスティバルの際の演奏風景です。曲目は“Wild Thing”で、トロッグス(The Troggs)というバンドの曲をカバーしたものです。



最近のニュースによると、この9月4日に、ジミ・ヘンドリックスがライブ演奏中に初めて火を付けた「燃えたギター」が、ロンドンで競売にかけられ、28万ポンド(約5,200万円)で落札されたそうです。この落札されたギターは、フェンダー社製の「ストラトキャスター」で、この映像のものとは別物だと思いますが、27歳の若さで亡くなったジミヘンの人気が未だに衰えていないことの証しです。

私はずっと以前に、ジェフ・ベックがステージでギターを燃やすのを観たことがあるので、今この映像を観てもそれほど驚きませんが、当時の観衆にとっては文字通り「衝撃的」であったと思います。

ジミヘンには熱狂的なファンの方がいらっしゃるようで、日本語版のウィキペディア(Wikipedia)にも、実に詳細な解説があります。興味のある方は、そちらをご参照下さい。

私にとって興味深かったのは、彼は純粋なアフリカン・アメリカン(変な言い方ですが)ではなく、アフリカン・アメリカンの父親とネイティヴ・アメリカン(アメリカの先住民)の母親との間に生まれた混血児だったということです。この実の母親ルシールは、夫アルの出征中にジミを残して家を出てしまい、結局ジミはルシールの姉夫婦に育てられました。そして、ジミが成人した後、父アルの後妻となったのが日系二世の「アヤコ」という女性だったそうです。ジミはアルのこの再婚を、大変歓んだと伝えられています。

私の経験から言えば、同じ日本人同士でも馬の合わないやつとは合わないし、アメリカ人でも気が合う人とは多少言葉が通じなくても上手くいくものです。あまり先入観を持って人を見ないことが大切なのです。

しかし、エレクトリック・ギターというのは凄いですね。あれだけぶっ壊されても、まだ音声を発しているのですから。
2008-09-18 22:05 | 記事へ | コメント(4) | トラックバック(0) |
| ジミ・ヘンドリックス / ロックについて |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/Kazemachi/trackback/378/
※ブログ管理者が承認するまで表示されません
2008年08月19日(火)
アメリカ国歌 by ジミヘン
私は偏屈者である。だから、盆休み中も、ほとんどオリンピックは観なかった。ニュースで注目の選手がメダルを獲得した時や、期待されながらもメダルを逃してしまった選手の報道映像を観るくらいである。

近代のオリンピックは、国家単位で参加するので、ナショナリズムを煽り立てる宿命を背負わされている。国威発揚の好機でもある。したがって、政治的にも利用されやすい。また、国内問題が噴出する場ともなりうる。

1964年の東京オリンピックの時は、日本の選手たちは、それこそ国家の威信を背負って戦っているかのように見えた。「東洋の魔女」と呼ばれた日紡貝塚女子バレーボールチームの試合を観ていて、当時小学生だった私も、それをひしひしと感じた。

右の写真はその次の1968年に行われたメキシコ・オリンピックの時の写真である。陸上男子200メートル決勝でアフリカン・アメリカンであるスミスとカーロスが、それぞれ金と銅のメダルを獲得した時の表彰式の写真である。ご覧のように、表彰台に上った二人はアメリカ国歌が演奏される中、星条旗を一顧だにせず、表彰台の上で下を向いたまま、コブシを突き上げていたのである。それは、アメリカにおける「黒人差別」に抗議するためであった。

今は当時に比べれば、状況は改善されているかもしれない。しかし、アメリカの人種問題の根は深い。私がアメリカにいた頃(1994 - 2000)も、みんながいる前では差別的な発言は控えていても、一対一になるとアフリカン・アメリカンに対する差別的な発言をする白人は結構いた。

因みに、この写真の一番左の銀メダルのノーマン(オーストラリア)も、右の二人と同様、左胸に丸い人権運動のワッペンを着けている。

そして、この写真を見ると、私は翌年(1969年)のウッドストック・フェスティバル(Woodstock Music and Art Festival)における「ジミヘン」ことジミ・ヘンドリックス(James Marshall "Jimi" Hendrix, 1942 - 1970)の「アメリカ国歌」を思い出すのである。当時のアフリカン・アメリカンの目から見た「アメリカ合衆国」がそこにはある。当時、アメリカが介入したヴェトナム戦争は泥沼化しており、すでに6月には、北ヴェトナムが南ヴェトナム臨時革命政府の樹立を発表していた。しかし、アメリカ軍は戦争を続行していたのだ。

なお、この映像の後半部分は、彼の代表曲である“Purple Haze (紫の煙)”である。



その後、時は移り、日本の若い選手たちの中に「国家の威信」など全く意に介さない、すがすがしい姿を感じた時期があった。しかし、今はまたその「国家の威信」が、再び舞台にせり出されてきているように思えてならない。
2008-08-19 21:01 | 記事へ | コメント(2) | トラックバック(0) |
| ロックについて / ジミ・ヘンドリックス / 国歌について |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/Kazemachi/trackback/348/
※ブログ管理者が承認するまで表示されません
HMV
ジャパン
にほんブログ村 クラシックブログへ

ニックネーム:風街ろまん
性別:男性
年齢:56歳
都道府県:大阪府

»くわしく見る