2008年12月30日(火)
進むべき道はない、だが進まなければならない
今日はまた現代音楽を聴きたくなったので、私の「ディスク・ライブラリー」をガサガサ探っていたら、ミヒャエル・ギーレン指揮の南西ドイツ放送交響楽団の演奏によるルイージ・ノーノ(Luigi Nono, 1924 - 1990)の作品集を見つけた。

私にとって、ギーレンという指揮者はあまり印象に残っていなかったが、1993年に発売されたと思われるこのディスクですでに聴いていたのだった。このディスクは、1989年9月17日にストラスブール・ムシカで実況録音されたもので、ノーノの最初期と最晩年のオーケストラ用作品が収録されている。

収録曲は以下の通りである。

1.カノン風変奏曲(1950)
2.無限の可能性を有した建築家、カルロ・スカルパに(1984)
3.進むべき道はない、だが進まなければならない…アンドレイ・タルコフスキー(1987)

ノーノは、1952年にイタリア共産党に入党した共産主義者であった。イタリア共産党は、アントニオ・グラムシ(Antonio Gramsci, 1891 - 1937)をその創設者の一人として、1921年に結成された。第二次世界大戦下で、共産党の封殺が謀られていく中で、イタリアでは共産党が反ファシズムのレジスタンス運動に積極的に関わり、その功績によって戦後も多数の人々から支持を集めたそうである。

その背景には、1926年から獄死した1937年までの間に、獄中にあったグラムシが執筆した著作に込められた思想が、大きな影響を与えている。ノーノが「社会主義リアリズム」とは無縁な、真の前衛的な作風を維持し得たのも、イタリア共産党のこの独自の戦略と無縁ではあるまい。

その主義主張は「構造改革路線」として知られ、日本においては日本共産党の安東仁兵衛、貴島正道、日本社会党の江田三郎(江田五月の父)らによって支持された。神奈川県知事であった長洲一二も、「構造改革路線」に近い立場にいたと記憶している。

それはその名称が示すとおり、暴力革命によらず、長期的な社会構造の変革を通して「革命」を達成するというものであったが、硬直した日本共産党や日本社会党左派の教条主義者たちによって批判され、日本共産党から離脱した「構造改革派」は「フロント」として新左翼の一翼を担うことになる。そして近年になってからは皮肉なことに、自由民主党の総裁小泉純一郎によって、市場原理主義の宣伝文句として利用されることになるのである。

さて、話をノーノに戻すと、このディスクに収められている曲からは、以前ご紹介した「断ちきられた歌 Il canto sospeso」のような強い政治的メッセージは感じ取れない。いずれも、声楽を含まない純器楽曲であり、しかも荒れ狂うような激しさはない。

最初の「カノン風変奏曲」は十二音技法に基づいて作曲されているそうだが、後の二曲に比べてそうした形式感があるかなという程度で、続けて聴いていると、どこが曲の切れ目か私には分からない。実況録音であるにも拘らず、演奏後の拍手がカットされているからである。

全体を通じて、音響の断片が空間で浮遊しているような感じを受ける。現われては消え、消えたと思えばまた現われる音響の断片は、音の量で聴衆を圧倒するのではなく、音の質によって人の心に受け入れられるよう分散的に音源を配置するというノーノの意図を表わしている。今聴くと、「集中」から「分散」へと向かう時代の趨勢を先取りしているようにも思える。

なお、右上の写真は建築家カルロ・スカルパが内装を担当したヴェネツィアのオリヴェッティ・ショールームである。
2008-12-30 19:00 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2008年07月04日(金)
ルイージ・ノーノ〜お詫びと訂正
昨日の記事の中で、「断ちきられた歌 Il canto sospeso」の演奏を「1992年のベルリン芸術週間でのライヴ・レコーディングである」と書きましたが、それは同じディスクに収められているマーラーの「なき子をしのぶ歌」のほうで、「断ちきられた歌」は同年12月9日〜11日にわたって行われたベルリン・フィルの演奏会のライヴ・レコーディングです。謹んでお詫び申し上げます。m(__)m

なお、この「断ちきられた歌」のレコーディングには、演奏後の拍手は入っておりません。こういう曲を聴いた時の聴衆の反応がどのようなものであったのか、非常に興味深いところです。内容が内容だけに、「ブラヴォー!」と叫んだ人はいなかったはずです。
2008-07-04 20:34 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2008年07月03日(木)
ルイージ・ノーノ
ルイージ・ノーノ(Luigi Nono, 1924 - 1990)はイタリアの作曲家である。電子音楽、偶然性の音楽、ミュージック・セリエルと、第二次世界大戦後の前衛音楽をことごとく経過している。ウィキペディア(Wikipedia)によれば、「1955年にアルノルト・シェーンベルクの娘、ヌリアと結婚しており、彼のセリエル技法は間接的にウェーベルンを経由せず、直接シェーンベルクからの影響が強い」とある。

しかし彼の音楽の特徴は、その反権力的な政治性である。彼の名を一躍有名にしたこの「断ちきられた歌 Il canto sospeso」(1955 - 1956)は、大戦中に殺されたレジスタンスの戦士たち十人が死の間際に残した手紙からの抜粋を、そのテキストに用いている。これらの手紙は、1954年にイタリア語版、1955年にドイツ語版が出版されているそうである。

ノーノは、この曲のスコアに独伊双方のテキストを記しているが、この録音はイタリア語で歌われている。ただし、この演奏は1992年のベルリン芸術週間でのライヴ・レコーディングであるため、第1曲と第5曲の前に、十人の戦士たちが残した手紙がドイツ語で朗読されている。(下の写真は、クリックすると大きくなります。)



この曲は実に重たい。それは二重の意味で重たいのである。まず、第二次世界大意戦中のファシストに対する徹底した抗議という意味で、歌われている内容も、各曲の楽器編成も、死の予感に満ちた響きを非情なまでに奏でるよう構成されている。そして、アバドとベルリン・フィルがこの曲を採り上げた理由が、「ドイツでは、外国人に対する敵意が再びかつてのように力を増しつつある」という現実に抗議するためであったことも、この演奏を重くしている。この演奏会から十年以上経った今でも、ヨーロッパではネオナチが一定の勢力を保持している。

上の曲目一覧を見ていただければ解るように、オーケストラだけの曲もあれば、ア・カペラもあり、最後の曲では合唱とティンパニという編成になっている。言葉は聞き取りやすく作曲されているそうで、そこに作曲者の意図を読み取ることができる。ただ、手紙の朗読の部分は聴衆の理解を深めるためには必要であったかもしれないが、音楽的にはその部分(トラック1とトラック6)を飛ばして聴いたほうが、この曲のもつ緊迫感と凝縮性を感じ取ることができる。
2008-07-03 20:25 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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