2012年03月16日(金)
「私の始まりは私の終わり」 - 死者のためのミサ曲
本日午前2時13分に、吉本 隆明(よしもと たかあき, 1924 - 2012 :右下の写真)さんが東京都文京区の日本医科大学付属病院で肺炎のために亡くなった。

私は団塊の世代の方々とは違って、1971年に高校に入学した「シラケ世代」であるから、吉本さんの著作に大きく影響を受けたことはない。

私が高校1年生の3学期の試験中に、例の「浅間山荘事件」があったので、私の世代は「悪しき党派性」の呪縛から逃れようとしていたのだ。

しかし、「悪しき党派性」はその後も一向に収まらず、私が大学に入学したのは、1975年3月14日に中核派書記長、本多 延嘉(ほんだ のぶよし, 1934 - 1975)氏が内ゲバで殺害された直後だった。だから私は、全共闘世代の方々から「聖典」のような扱いを受けていた吉本さんの著作から、少し距離を置きたかったのだ。

したがって、私が吉本さんの著作の中で読んだのは、単行本で出版された「最後の親鸞」と、文庫本で出版された「言語にとって美とはなにか(改訂新版)」、「共同幻想論(改訂新版)」だけである。いずれも、1970年代半ばから1980年代初頭に掛けて出版されたもので、私が実際にそれらを読んだのはさらに後のことなので、それらの著作から強烈な思想的影響を受けたわけではない。

しかも、私はそれらの著作を立て続けに読んだわけではないので、その時々によって、読み手である私の心情は微妙に異なっていたはずである。私の記憶では、上述した順番で読んで行ったと思うので、「共同幻想論」を読んだのが最も遅いのである。その前に読んだ「言語にとって美とはなにか」からかなりの年数が経っていたので、読んでいてすっと頭の中に入ってくるような著作ではないという記憶が残っている。

何度も書いているように、私には文学的素養がないので、文学的な叙述からその真意を汲み取ることは容易ではない。「共同幻想論」に関しては、「共同幻想」と「対幻想」が二本立てで登場するところに釈然としないものを感じたし、もう少し明晰に論理を組み立てられないのかという不満が残った。

しかし、もちろんそれらの著作を読んだことが、私にとって無駄だったとは思っていないし、まだ読んでいない吉本さんの著作を年代順に読んでいけば、新たな発見ができるかも知れないと思っている。いずれにしても、変化する時流の中で「絶えず考える」という吉本さんの姿勢は見習われるべきだと思う。人は年を取ると、往々にして考えることを止めてしまうからである。

ということで、今日は私の父と同じ年に生まれながら、私の父とは全く違った人生を送り、私とは疎遠であった思想家の死を想いながら、「死者のためのミサ曲」を収めたディスクを聴いてみることにした。収録曲は以下の通りである。

1.アントワーヌ・ブリュメル (Antoine Brumel, c. 1460 - 1512 or 1513)
   死者のためのミサ曲
2.トーマス・クレキヨン (Thomas Crecquillon, c. 1505 - c. 1557)
   エレミヤの哀歌
3.クレメンス・ノン・パパ(Jacob Clemens non Papa)
   「悲しみがわれを悩ましぬ」
4.ジョスカン・デ・プレ(Josquin Des Prez, c. 1455 - 1521)
   「アブサロム、我が息子」
5.ジョスカン・デ・プレ(Josquin Des Prez, c. 1455 - 1521)
   死者のためのミサ曲 - 楽園にて
6.ジャクソン・ヒル(Jackson Hill, 1941 - )
   「私の始まりは私の終わり (Ma fin est mon commencement)」

ほとんどが、15世紀後半から16世紀にフランドルを中心に活躍した作曲家の作品なので、生没年さえはっきりしていない。演奏は、ニューヨーク・ポリフォニー(New York Polyphony)のア・カペラ合唱である。

これらの作曲家の中で最も有名なのはジョスカン・デ・プレであろうが、このディスクの目的は、今まで録音されたことのない珍しい作品に焦点を当てることなので、一曲目のブリュメルの曲が一番長い。

「Introit - Kyrie - Sequence - Sanctus - Agnus Dei - Communio - Libera me, Domine」という構成で、33分ほどのブリュメルの作品は、ルネサンスの音楽を久し振りに聴く私にとっては、非常に清々しく感じられる。

歌詞はいずれもラテン語だが、私はほとんど歌詞の意味を気にせずにこの種の音楽を聴いているので、特に問題はない。

ただ、このディスクの中に一曲だけ、20世紀に生まれた作曲家ジャクソン・ヒルの作品が含まれている。最後の「私の始まりは私の終わり」がその曲だが、他のフランドル楽派の作曲家たちの作品に続けて聴いても、全く違和感がないのが不思議である。

この曲も基本的にはラテン語で歌われているが、中間部で“My end is my beginning, and my beginning my end”という英語の歌詞が聴き取れる。おそらくこのアルバムのタイトル“endBeginning”はこの締め括りの曲から採られたのだろうが、「私の始まりは私の終わり」であるだけではなく、「私の終わりは私の始まり」でもあることを忘れてはいけないのである。

わが終わりはわが始まり、
わが始まりはわが終わり。
テノールはそのままに、
わが終わりはわが始まり。
第3声部は3回だけ
逆行し、こうして終わる。
わが終わりはわが始まり、
わが始まりはわが終わり。

(今谷和穂:訳)
2012-03-16 23:14 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2011年07月19日(火)
原田 芳雄さんの死を悼みます
俳優、原田 芳雄(はらだ よしお、1940 - 2011)さんが7月19日午前9時35分、肺炎のため東京都内の病院で逝去されました。享年71歳でした。謹んでご冥福をお祈りいたします。



私は今まで、原田さんの出演している映画だから観に行こうと思ったことは一度もなく、たまたま観た映画に登場する原田さんの演技を拝見して、あの存在感はどこから来るのだろうといつも感嘆しておりました。

主演を演じられた作品はほとんど私の印象に残っていないのですが、唯一の例外は、坂本龍馬の暗殺をテーマにした黒木和雄監督の「竜馬暗殺」です。この映画で原田さんが演じた龍馬のイメージは、今でも私の心に強く焼き付いています。

1974年に公開されたこの映画は、単なる時代劇に留まらず、当時の世相を反映する優れて「現代的な」映画でもありました。私はこの映画の公開当時は予備校生だったので、おそらく初めて観たのは大学に入ってからのことだと思います。

「石油ショック」による社会不安を背景として、「ノストラダムスの大予言」がベストセラーとなり、日活では秋吉久美子さんを抜擢した藤田敏八監督の「青春三部作(『赤ちょうちん』、『妹』、『バージンブルース』)」が、彷徨する青春群像を描いていました。

大学に入学してからも自分の居場所がなかなか見つからなかった私にとって、学生会館で見た「竜馬暗殺」は、セクト間の内ゲバが激しさを増していく中で、200年も前の物語とは思えない切迫感がありました。

追悼の辞を述べるに当たって、敢えて「竜馬暗殺」の写真を使用したのは、上述の理由からです。以下の映像は同じく黒木和雄監督の「原子力戦争(1978年)」の一部です。時期が時期だけに、その筋からクレームが入り、すぐに YouTube から削除されるかも知れません。しかし、これが全くのフィクションでないことは現在のわれわれが最もよく知っているのです。

因みに、「チャイナ・アクシデント」というのは和製英語のようで、英語では“China syndrome”と言います。要は、原子炉の炉心溶融による事故のことです。


2011-07-19 22:39 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2008年11月07日(金)
筑紫哲也 vs. タカダワタル
ジャーナリストの筑紫 哲也(ちくし てつや、1935年6月23日 - 2008年11月7日)さんが本日午後、東京都内の病院で肺がんのため逝去されました。享年73歳でした。

謹んでご冥福をお祈り申し上げます。



下の映像は以前ご紹介したものですが、高田渡という「怪物」を相手に、巧みなインタビューでその素顔を引き出している筑紫さんは、実に「したたか」であります。敢えて、再掲する所以です。もう二人とも、この世の人ではないんですね。黙祷。



2008-11-07 20:50 | 記事へ | コメント(2) | トラックバック(0) |
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2008年10月27日(月)
ある訃報
今日、会社のイントラネットに、現役社員の訃報が掲示されていました。通常であれば、亡くなった日の翌日か翌々日にこの種の訃報は配信されます。しかし、今日の訃報はそうではありませんでした。当人が亡くなったのは、10月21日(火)で享年59歳でした。

したがって、その訃報は実際には「亡くなった」という知らせではなく、「亡くなっていた」という知らせだったのです。おそらく、これはご本人の遺志によるものと思われます。それは、この通知と同時に配信されたご本人直筆の「ご挨拶」から窺い知ることができます。

私は入社してすぐ配属された部署で、一年間ほど一緒に仕事をさせていただきましたが、その後はお互いに異動によって離れ離れになり、ともに仕事をする機会には恵まれませんでした。

とにかくお酒が好きで、飲み出すと何も食べなくなってしまいます。私が会社に入った時からそういう飲み方だったので、それがたたって、体を壊してしまいました。それでも、お酒が好きでした。

出世街道に乗るような人ではありませんでしたが、われわれに残された最後のメッセージを拝読すると、「私には自分の死を目前に控えて、これだけの気構えでみんなにメッセージを書き残すことができるだろうか」と考え込んでしまいます。それと同時に、人間の「品格」というのは、会社での職責や評価とは無関係であることをしみじみと感じました。

ご冥福をお祈りいたします。

2008-10-27 21:08 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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2008年08月04日(月)
赤塚不二夫さんの死を悼みます
ギャグ漫画の巨匠、赤塚不二夫(あかつか ふじお, 1935 - 2008)さんが2日午後4時55分、肺炎のため死去した。享年72歳であった。



私は「天才バカボン」より、「おそ松くん」に親しんだ年代に属する。あの中に登場する「イヤミ」の「シェー!!」というギャグは、当時小学生であった私たちの間で大いに流行し、あの格好を真似たことの無い小学生はいなかったのではあるまいか。



劇画の出現によって漫画から「笑い」が駆逐されていく1960年代後半にも、赤塚さんは徹底して「ギャグ漫画」を追求していった。それはホラー漫画で有名な楳図かずおさんの「まことちゃん」にも影響を与え、谷岡ヤスジ、永井豪、山上たつひこ等にも伝統的に引き継がれていく。特に、山上たつひこさんの「がきデカ」に登場する「こまわり君」の「死刑!」というのは、まさに「イヤミ」の直系の子孫である。

こうした「ギャグ漫画」は、大人たちから見れば眉をひそめるようなシーンも多々あり、「低俗」という評価も受けた。しかし、私たちは親の冷たい視線を感じながらも、その魅力に取り憑かれていたのだ。あのドリフターズの「8時だョ!全員集合」だって「低俗番組」といわれていたが、理屈抜きでとても面白かった。みんな、そうやって道を切り拓いてきたのだ。

謹んでご冥福申し上げます。
2008-08-04 08:44 | 記事へ | コメント(2) | トラックバック(0) |
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