2009年03月23日(月)
We 命尽きるまで
3月20日の彼岸の中日に墓参りに出かけ、その足でお寺の二十日講で法話を聞いて帰ってきた。夕食を取りながら何気なくテレビを観ていたら、毎日放送のローカル・ニュースで「We 命尽きるまで」という映画の紹介をしていた。

かつての「闘士」たちが、「再び連帯し立ち上がる姿を描いた映画が大阪で上映されています」というアナウンスに、思わず顔を上げて画面を見つめた。

そこに映っていたのは、元東大全共闘議長の山本義隆さんや、元赤軍派議長の塩見孝也さんであった。彼らは1960年〜1962年に大学に入学しているので、私より一回り以上年長である。そんな彼らの思想と行動を拝見しようと、昨日は十三の第七藝術劇場までこの映画−「We 命尽きるまで」−を観に行ってきた。

私はかねがね「彼らとは世代が違う」と思っているので、「懐かしい」という感情はない。しかし、今の右旋回している日本を見ていると、彼らが「立ち上がった」ことを無視するわけにも行くまいと思ったのだ。



私が高校に入学したのは1971年だから、もう既に「70年」は終わっていた。その時点でいわゆる「新左翼」は惨憺たる状況であった。少なくとも、私にはそう思えた。1972年の2月の「あさま山荘事件」の時は、1年の期末試験の真っ最中だった。同年5月には、「テルアビブ空港乱射事件」があった。そして国内では、私が大学に入学する直前の1975年3月に、中核派の本多延嘉書記長が「内ゲバ」によって殺害されている。

「新左翼」の「衰退期」の負の側面ばかりを見てきた私の世代が、政治から離反するのは当然のことであった。勢い、私の関心は政治以外の方面に向かった。1971年には「シカゴ」、「グランド・ファンク・レイルロード」、「レッド・ツェッペリン」などの来日公演があった。今から思えば、彼らの来日は衰えつつあったハード・ロックの最後の煌めきであったのかも知れない。

その後時代は、高度経済成長から低成長の時代に切り替わった。音楽の世界でも、1970年の万博の西ドイツ館で「体感」したシュトックハウゼンや、ニューヨーク・フィルの来日公演で聴いた武満さんの「ノヴェンバー・ステップス」のような刺激的で衝撃音の多い音楽から、ソフトで滑らかな音楽へと作曲様式が変化していった。ロックも例外ではなかった。

話が逸れてしまったが、この映画を観た後の感想は、何となく「拍子抜けした」という表現がと当てはまるのだ。それが何に起因するのかと考えてみると、やはり年齢なのである。それは、何十年か振りに高校の同窓会で会ったかつての知人・友人の齢を重ねた姿を見て、思わず自分の年齢と過ぎ去った歳月の長さに気付いたときの感覚に似ている。

私には彼らの連帯した行動をとやかく言う資格はないし、改憲には反対なので彼らの運動を否定する気はさらさらない。しかし、彼らのような「闘士」を除いた大多数の「団塊の世代」は、右肩上がりの高度経済成長期にその恩恵を受け、終身雇用・年功序列の雇用形態の下で毎年昇給があり、アメリカの軍事力の庇護によって莫大な軍事費を注ぎ込むこともなく、高度経済成長を成し遂げたのではなかったか。

翻って、今日の日本では、学費が払えなくて高校を退学していく生徒が増加し、医療費が払えないので学校の保健室を医院代わりに使う児童が増えている。給料が上がるという保障はどこにもなく、正社員でさえ必ずしも「安泰」ではない。このような状況に対する強力なアンチテーゼを打ち立てていくことが、今最も求められていることではないかと思った次第である。

日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

〜「日本国憲法 前文」より 


2009-03-23 20:07 | 記事へ | コメント(2) | トラックバック(0) |
| 映画 / 時事 |
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はじめまして。

なぜでしょうか?今日は噛みしめるように拝見させていただきました。

よく聞く「あの頃は良かった」。
でも、具体的にいつが良かった時代なんでしょうか?
平和や安全が保たれた時代なんてあったでしょうか?
そんなもの妄想であって良い時代なんて一度も無かった。
誰もが生きてる限り体験する1個人として感じてきた時間と空間が良かったんだと思います。

1970年といえば私は小学生で万博で覚えているのは「お金持とそうでない者とは食べるものが違うんだ」ということでした。
長い列を並ぶ中で私と妹は水筒のお茶で、同じ列の同じような年頃の子はジュースを買ってもらって飲んでいました。
格差があって当然なんだろうけど・・・。

どんな時代になっても正論でありながらも不平や不満はあって、持って行き場がなくなにかを巻き込みたくなる。
人間の深層心理ですか?
いい勉強になりました。ありがとうございます。
つゆのせい さん、こんばんは。

私はこの映画を観てて思ったんですけれど、「子どもたちを戦争に行かせるな!」というのは正論なんですが、今はそれ以前に産科医が不足していて、子供を産むのさえ大変なんですね。

それで、小学校へ行ったと思ったら、親がリストラされて健康保険がなく、子供が医者にも行けないということになっています。何かおかしいですよね、今の日本は。

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