ヴィオール(ヴィオラ・ダ・ガンバ)という楽器は一度は廃れてしまった楽器なので、この楽器のために作品を作った作曲家たちについても、ほとんど知られていないことが多い。
5月6日にご紹介したサント=コロンブ(Monsieur de Sainte-Colombe)もそんな作曲家のうちの一人だが、今日ご紹介するシール・ド・マシュイ(Sieur de Machy)も同様で、生没年さえはっきりしていない。
彼もまたフランスのヴィオール奏者で作曲家だったが、WIKIPEDIA(英語版)で調べても、“fl. second half the 17th century (17世紀後半に活躍した)”としか書かれておらず、生没年はサント=コロンブよりも曖昧なのである。フランスのヴィオール奏者なのに、WIKIPÉDIA(フランス語版)の記述よりも英語版のほうが詳しいというのも不思議である。
しかし、マシュイは実在した人物で、1685年に出版された“Pièces de Violle en Musique et en Tablature (五線譜とタブラチュア譜によるヴィオール曲集)”によって、その名前が知られている。作曲家が亡くなり楽器が廃れても、楽譜が存在している限り音楽が消滅することはないのだ。実際、この曲集は17世紀後半におけるヴィオールの演奏法を知る上で、貴重な存在になっているのである。
彼はニコラ・オトマン(Nicolas Hotman, c. 1610 - 1663)に師事してヴィオールを学んだとされているが、このオトマンという人も元々はドイツ出身で、人生の大半をフランスで過ごしたと考えられている。オトマンはベルギーのブリュッセルで生まれたらしいが、パリに出てきたのは1626年頃だろうと推定されている。
そのオトマンに師事したマシュイは遅くとも1692年にはパリに住居を構えていたらしいが、1692年には既にオトマンはこの世を去っていたと考えられるので、マシュイはそれよりもずっと以前から、フランスでヴィオールを学んでいたと考えられる。雲を掴むような話だが、彼らの生涯について詳しいことが判っていないから、全て憶測の域を出ないのである。
マシュイは自分がヴィオールの作品集を出版した最初の作曲家であると書き残しているが、厳密に言うとこれは正しくなく、ニコラ・メトリュ(Nicolas Métru, c. 1610 - 1668)が1642年に「複数のヴィオールのためのファンタジー集」を出版している。
しかし、マシュイよりも前の作曲家たちは、ヴィオール合奏のための作品集を出版しているのであって、ヴィオール独奏のための作品集を出版したのはマシュイが最初だったということである。そういう意味では、マシュイはヴィオール独奏によってポリフォニックな音楽を演奏するという新境地を拓いたと言えるのだ。
現存している彼のヴィオール曲集は8曲あるらしいが、今日のディスクはその中から4曲を収めている。収録曲は以下の通りである。
1.ヴィオール曲集 - 組曲第8番 イ長調
2.ヴィオール曲集 - 組曲第1番 ニ短調
3.ヴィオール曲集 - 組曲第4番 ト長調
4.ヴィオール曲集 - 組曲第5番 ニ長調
ヴィオール独奏は、パオロ・パンドルフォ(Paolo Pandolfo :右下の写真)である。このディスクはパンドルフォの最新録音で、2011年11月に録音されている。
全ての組曲は7つの小品から構成され、冒頭には必ず「前奏曲(prélude)」が置かれている。
基本的には、その後に「アルマンド(allemande)」 - 「クーラント(courante)」 - 「サラバンド(sarabande)」 - 「ジーグ(gigue)」 - 「ガヴォット(gavotte)」 - 「メヌエット(menuet)」と続いて行く。
ただし、「組曲第4番」だけは第6曲が「ガヴォット・アン・ロンドー(gavotte en rondeau)」、第7曲が「シャコンヌ (chaconne)」となっているが、聴いていて大きな変化を感じることはない。
これらの組曲は、その形式よりも奏法の違いが際立っている。ピチカートでリュートやギターのような響きがする箇所もあれば、弓で弾かれている部分もあり、それらが同じ小品の中で混在している場合もある。
何となくバッハの「無伴奏チェロ組曲」を想起させるような構成であるが、チェロよりは響きが柔らかく、凝縮された音楽性というより、浮遊する精神の語らいという趣きがある。
ただし、重音奏法が多用されているので、音楽が空中で拡散してしまうことはない。チェロよりも弦の数が多いヴィオールだからこそ可能な独自の音響世界が、様々な奏法を駆使することによって構築されているのである。
|
2012-05-16 22:26
|
記事へ |
コメント(0) |
トラックバック(0) |
|
古楽について |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/Kazemachi/trackback/907/
※ブログ管理者が承認するまで表示されません
私は久し振りにロベルト・シューマン(Robert Schumann, 1810 - 1856)の交響曲を聴いてみたいと思ったが、交響曲だけでは面白味に欠けるので、今までに聴いたことのない序曲を収録したこのディスクを選んでみた。
私は2007年8月18日に、ガーディナー&オルケストル・レヴォリュショネール・エ・ロマンティークによるシューマンの「交響曲全集」を聴いているので、一般には知られていない彼の「ツヴィッカウ交響曲」や「序曲、 スケルツォとフィナーレ」も聴いたことはあった。しかし、このディスクにはガーディナーの「交響曲全集」には含まれていない序曲が収録されているのだ。
しかし、私がこのディスクを選んだのは今まで聴いたことのない曲が含まれているという理由からだけではなく、演奏しているのがトマス・ダウスゴー(Thomas Dausgaard)指揮スウェーデン室内管弦楽団というコンビだったからである。
このコンビによるシューマンの交響曲は2008年12月27日にも聴いているが、総勢38名の小規模モダン・オーケストラを使いながら、ピリオド奏法を取り入れて透明感に溢れた演奏を繰り広げていたので、その後も何度か彼らの演奏を聴いたことがある。
シューベルトの「未完成」と「ザ・グレイト」も優れた演奏だったし、ドヴォルザークの「新世界より」も彼らの手に掛かるとゴテゴテした響きではなく、非常にすっきりとした演奏になっていた。したがって、管楽器と弦楽器を重ねるシューマン独自のオーケストレーションも、彼らの手に掛かれば本来の魅力を発揮できるに違いないと思ったのである。
私はシューマンのオーケストレーションは嫌いではなく、彼の「音色に関する灰色のイメージ」が結構好きなのだが、総勢100名にも上る大規模モダン・オーケストラで演奏されると、鬱蒼とした森のような雰囲気になってしまい、シューマン独自の魅力が引き立たないと思っている。
したがって今日は、灰色でありながらも鬱蒼としないシューマン像を求めて、このディスクを聴いてみることにしたのである。収録曲は以下の通りである。
1.交響曲第1番 変ロ長調 「春」 Op. 38 (1841)
2.序曲 「メッシーナの花嫁」 Op. 100 (1850 - 51)
3.歌劇「ゲノフェーファ」 - 序曲 Op. 81 (1847 - 50)
4.交響曲 ト短調 「ツヴィッカウ」 (断片, 1832 - 33)
5.序曲、 スケルツォとフィナーレ Op. 52 (1841)
演奏は、上記のトマス・ダウスゴー(Thomas Dausgaard, 1963 - )指揮スウェーデン室内管弦楽団(Svenska Kammarorkestern)である。
交響曲第1番「春」については有名な作品なので、多くを語る必要はないと思う。ダウスゴー&スウェーデン室内管弦楽団の演奏は、いつも通りすっきりとした響きで、推進力をもって力強く音楽を展開させていく。
「メッシーナの花嫁」はフリードリヒ・シラー(Friedrich Schiller, 1759 - 1805)の悲劇「メッシーナの花嫁(die Braut von Messina, 1804)」のために書かれた序曲で、この曲でも弦楽器と管楽器を重ね合わせるという彼の手法に変わりはない。
しかし、小編成オーケストラによる演奏だから、各楽器の音が混濁することなく、それぞれの響きが有機的に絡み合っているのがはっきりと分かる。
歌劇「ゲノフェーファ」はシューマンが完成させた唯一のオペラで、ゲノフェーファ(Genoveva)というのは主人公の伯爵夫人の名前である。1850年6月25日にライプツィヒの歌劇場で指揮者自身の指揮によって初演されたそうだが、評判が芳しくなく現在ではほとんど上演されることがない。
俗に「ツヴィッカウ交響曲」と呼ばれる「交響曲 ト短調」は、第2楽章まで完成されたが未完に終わった初期の交響曲である。前述のガーディナー盤では第2楽章まで収録されていたが、このディスクでは第1楽章の“Moderato - Allegro”だけが収録されている。
最後の「序曲、 スケルツォとフィナーレ」は「交響曲第1番『春』」と同じ年に作曲されているが、それまでピアノ曲の作曲に専念していた彼が、この時期に本格的に管弦楽曲を作曲し始めたのである。当初は第2交響曲として構想されたものの、批評家たちからは好ましい評価は得られなかった。
そのため、彼はこの作品を1845年に改訂し、3つの楽章から成る「序曲、 スケルツォとフィナーレ」とした。全体として統一感に欠ける嫌いはあるが、収録曲の中ではこの曲が最も明るい印象を与えるのである。シューマンのオーケストレーションに関する試行錯誤の過程を知る上で、このディスクは多くの手掛かりを与えてくれるのだ。
|
2012-05-15 22:38
|
記事へ |
コメント(0) |
トラックバック(0) |
|
シューマンについて /
ロマン派について /
交響曲について |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/Kazemachi/trackback/906/
※ブログ管理者が承認するまで表示されません
「ゴールデン・ウィーク」の連休明けよりも、なぜか今日のほうが私は疲れている。急に寒くなったと思ったら、今日は蒸し暑い。
土曜日はわが家の菩提寺のご住職の葬式だったので、私は母と連れ立って出掛けたのだが、寺には檀家が多いので参列者の数が多い。したがって、母と私は焼香の順番が来るまで屋外で立って待っていたのだが、土曜日は肌寒かった。
もちろん、母も私もそれぐらいで風邪を引いたりしないが、春の彼岸会の時には元気に説法されていたご住職が亡くなったとは俄かに信じ難く、改めて人間の命のはかなさを感じたのである。ご住職は私より一回り年上なので、68〜69歳だった。フェルメールの絵画とスピノザの哲学を愛した僧侶が亡くなっったことによって、大阪の街はまた一人、気骨のある人を失ったのである。
さて、そんな心の隙間を埋めるのには、バッハの宗教曲を聴くのが私には最も適している。ちょうど、今日のNMLの「新着タイトル」を眺めていたら、ル・バンケ・セレスト(Le Banquet Céleste)という古楽アンサンブルによるバッハのカンタータ集があったので、私はそれを聴いてみることにした。
ネットで“Le Banquet Céleste”を検索すると、WIKIPEDIA(ドイツ語版)に解説が載っていたので、このアンサンブルはそれほど有名なのかと思ったら、それはオリヴィエ・メシアン(Olivier Messiaen, 1908 - 1992)の同名のオルガン曲についての解説だった。“Le Banquet Céleste”というのは「天上の饗宴」という意味で、メシアンが19歳の時に作ったオルガン曲だそうである。
この古楽アンサンブルは、カウンターテナーのダミアン・ギヨン(Damien Guillon)を中心に、ドイツのバロック音楽に特別に愛着があるそうで、J.S.バッハを始めとして、フィリップ・ハインリヒ・エルレバッハ(Philipp Heinrich Erlebach, 1657 - 1714)やニコラウス・ブルーンス(Nicolaus Bruhns, 1665 - 1697)などと同時代の作曲家の作品を好んで採り上げているという。
フランスの古楽アンサンブルにしては珍しいが、様々な演奏でバッハのカンタータを聴くのも私の楽しみの一つなので、知っている曲だが聴いてみることにした。収録曲は以下の通りである。
1.「喜ばしい安息、好ましい魂の歓喜」 BWV 170
2.トリオ・ソナタ第3番 ニ短調 BWV 527
3.「心も魂も乱れはて」 BWV 35
4.幻想曲とフーガ ト短調 BWV 542
演奏は、上記のル・バンケ・セレスト(Le Banquet Céleste)で、ダミアン・ギヨンが指揮と歌唱を担当している。また、2曲目の「トリオ・ソナタ」と4曲目の「幻想曲とフーガ」はオルガン独奏曲で、マウデ・グラットン (Maude Gratton)がオルガンを担当している。ただし、彼女がフランス人ならば、「モード・グラットン」というような発音になるはずである。録音は2011年11月23 - 27日で、極めて新しい。
収録曲をご覧になればお解りのように、このアルバムは単なるカンタータ集ではなく、バッハのオルガン曲も収録しているのである。
特に、「心も魂も乱れはて BWV 35」は冒頭に“Concerto”が置かれ、中間部には“Sinfonia”が置かれている。すなわち、器楽だけの演奏がカンタータの冒頭と中間に配置され、そこではオルガンが大活躍するのである。
もちろん、それ以外の部分でもオルガンは重要な役割を果たしているので、このディスクを通して聴くと、オルガンを中心にしたバッハの宗教的世界が感じられるのである。
同じようにオルガンを使用していても、カンタータでは比較的柔らかく暖かい響きに感じられるのに対し、オルガン独奏曲では厳粛なムードが漂う。特に、最後の「幻想曲とフーガ」は、バッハの厳格にして雄大な世界を示して、このアルバムがただのカンタータ集ではないことを表わしている。
カンタータばかりだとおもしろくないと感じる人や、オルガン曲だけでは退屈だと思う人にとっては最適のディスクであろう。このアルバムの主人公はダミアン・ギヨンのカウンターテナーではなく、グラットンのオルガンなのだ。「天上の饗宴」が奏でる「地上の葛藤」という趣きがするアルバムである。
|
2012-05-14 22:16
|
記事へ |
コメント(0) |
トラックバック(0) |
|
バッハについて /
古楽について |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/Kazemachi/trackback/905/
※ブログ管理者が承認するまで表示されません
フェルッチョ・ブゾーニ(Ferruccio Busoni, 1866 - 1924)の名前が書いてあるディスクを観ると、すぐにそれを聴いてみたくなるという性癖が私にはある。
しかも、それがチェロを使った作品であれば尚更のことなのだ。ヴァイオリンの音は時として神経に障ることがあるが、チェロに関してはそういうことがないからである。
さらに、このディスクには“Complete”の文字が書いてあるので、彼がチェロとピアノのために書いた作品がすべて含まれているのである。こういうディスクを私が見逃すはずはないのだ。しかし、実際に収録曲を眺めてみると、彼がチェロとピアノのために書いた作品は意外と少ないことに気付く。
実際、このディスクにはブゾーニだけではなく、オットリーノ・レスピーギ(Ottorino Respighi, 1879 - 1936)の作品も含まれているし、ブゾーニのオリジナル作品は3曲だけで、それ以外にはブゾーニが編曲した他の作曲家の作品が含まれているのである。しかし、それらもブゾーニが大きな影響を受けたバッハやリストの作品なので、ブゾーニらしさが損なわれることがないだろうと私は思ったのだ。
なお、ブゾーニもレスピーギもイタリア人であるが、イタリア国内だけに留まらず、国際的な場で音楽的鍛錬を積んでおり、それが彼らの後の作曲活動に決定的な影響を与えている。そして、両者ともに従来のイタリア音楽界に革命を起こすべく闘っていたのである。
彼らの古典主義への傾倒は単なる復古主義ではなく、オペラ一辺倒になってしまった当時のイタリア楽壇に反旗を翻し、イタリアの「国民楽派」を形成するための新しい器楽曲の創造を目指していたのだ。したがって、このブゾーニの「全集」にレスピーギの作品が含まれていても、決して「場違い」ではないのである。
なお、ブゾーニ自身がピアノのヴィルトゥオーゾだったため、ピアノのための作品が多く、このディスクに収められている作品も、ピアノとチェロのために作られている。逆に言えば、チェロそのものに焦点を当てた作品が少ないため、チェロとピアノのための作品を全て集めても、CD1枚に収まる分量にしかならなかったのであろう。
ということで、チェロを起用した数少ないブゾーニの作品を集めたこの「全集」には、レスピーギの作品も併録されている。収録曲は以下の通りである。
1.レスピーギ: アダージョと変奏 Op. 133 (チェロとピアノ用の編曲版)
2.バッハ: 半音階的幻想曲とフーガ ニ短調 BWV 903 (編曲:ブゾーニ, 1915)
3.ブゾーニ: 小組曲 Op. 23 (1886)
4.ブゾーニ: セレナータ Op. 34 (1883)
5.ブゾーニ: 愛する人に - フィンランド民謡による10の変奏曲 (1889?)
6.リスト: 忘れられたワルツ S215/R37 - 第1番(編曲:ブゾーニ, 1915)
演奏は、デュオ・ペピチェッリ(Duo Pepicelli)である。 なお、レスピーギの「アダージョと変奏」は、チェロと管弦楽のための作品として1921年に作曲されたもので、ここではデュオ・ペピチェッリの編成に合わせて、チェロとピアノ用の編曲版が使われている。ただし、編曲者が誰なのかは不明である。
作曲年代をご覧になればお解りのように、ブゾーニのオリジナル曲は全て彼が20代の時に作曲されている。
「小組曲」はバッハの「半音階的幻想曲とフーガ」の編曲版に続けて聴いても、ほとんど違和感はない。すなわち、この曲は堅牢なドイツ風の楽曲構成になっており、バッハの影響が強く現われているのだ。
「セレナータ」は、1878年に書かれた「クラリネットとピアノのための組曲 Op. 10」の最終曲を編曲したものだそうで、この曲ではバッハの影響は感じられず、ロマン派らしい伸びやかな抒情性が感じられる。
「愛する人に(Kultaselle)」で唐突にフィンランドの民謡が登場するのは、彼がフィンランドのヘルシンキで、後に妻となるイェルダ・ショーストランド (Gerda Sjöstrand) と出会ったからである。バッハやリストの作品の編曲を別にすれば、彼はチェロのための作品として、この曲を最も優れたものと見做していたようである。
バッハの「半音階的幻想曲とフーガ」やリストの「忘れられたワルツ」は、若い頃のオリジナル曲より四半世紀以上も後に編曲されているので、原曲を素材としながらも巧みに自分の個性を発揮している。彼の得意分野はピアノ曲だから、その結果としてチェロのための作品は少なくなってしまったが、いずれも無視し得ない優れた作品なのである。
|
2012-05-13 22:06
|
記事へ |
コメント(0) |
トラックバック(0) |
|
ブゾーニ /
ロマン派について |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/Kazemachi/trackback/904/
※ブログ管理者が承認するまで表示されません
このディスクのジャケットには“Fragoso”と書いてあるが、この作曲家の名前を知っている人は少ないに違いない。
アントニオ・ドゥ・リマ・フラゴーソ(António de Lima Fragoso, 1897 - 1918)はポルトガルの作曲家であるが、彼の生没年をご覧になればお解りのように、彼は僅か21歳で亡くなっているのである。
したがって、「ヴァイオリンのための室内楽作品全集」と題されていても、CD1枚に収まってしまう分量しかないのだ。クラシック音楽の分野であまり注目されることのないポルトガルという国で、僅か21歳で亡くなった作曲家だから、21世紀の日本でその作品を鑑賞できること自体が奇跡だと言っても過言ではないだろう。
彼はポカリサ(Pocariça)という村で生まれ、8歳の時に初めて叔父のアントニオ·ドス·サントス・トーヴィン(António dos Santos Tovin)からピアノのレッスンを受けた。その後、ポルト(Porto)に移り住んだ彼は、もう一人の叔父で名付親のジョセ・ドゥ・オリベイラ・リマ(José de Oliveira Lima)の管理下に置かれた。そして、エルネスト·マイア(Ernesto Maia)に師事して、ピアノを学んでいる。
16歳の時には既に「私の村からの調べ(Toadas da minha aldeia = tunes from my village)」と題された曲集を出版し、それは大いなる称賛を浴びた。17歳の時にはリスボンにある国立音楽院に入学し、和声学、読譜、ピアノ演奏を学んだ。
彼は、1918年7月3日の卒業試験で非常に優れた成績を修めたと伝えられている。しかし、その3ヶ月ほど後の10月13には、彼はインフルエンザ(スペイン風邪)に罹患してこの世を去っているのである。
まさに、これから作曲家としてのキャリアをスタートさせようとした矢先に、突然彼を襲った悲劇であった。せめてもの救いは、彼が生まれ故郷のポカリサの自宅で亡くなったことと、100曲以上の作品を後世に残したことである。
そんな彼の知られざる作品のうち、このディスクにはヴァイオリンのための室内楽作品の全てが収められている。収録曲は以下の通りである。
1.ヴァイオリン・ソナタ ニ長調(未完) - 第1楽章 アレグロ (1917)
2.ロマンティック組曲 (1916)
3.ピアノ三重奏曲 嬰ハ短調 (1916)
演奏は、カルロス・ダマス(Carlos Damas)のヴァイオリンとジル・ローソン(Jill Lawson, 1974 - )のピアノで、「ピアノ三重奏曲」ではホン・チアン(Jian Hong)のチェロが加わる。
私は今までにポルトガルの作曲家の作品を聴いたことがないし、ポルトガルの民族性というのもよく解からない。
彼が16歳の時に作曲したのが「私の村からの調べ」であったということは、生まれ故郷の民謡を使った曲作りをしていたのかも知れない。
しかし、このディスクの収録曲を聴いても、あまりポルトガルの民族性らしきものは感じられない。NMLのレビューに書いてあるように、どの曲もフランスの香りが漂う甘美な曲想である。
「ロマンティック組曲」は、 I. Preludio (前奏曲)、II. Intermezzo (間奏曲)、III. Berceuse (子守歌)、IV. Nocturno (夜想曲)の4曲で構成されているが、タイトルから想像が付くようにショパンやドビュッシーなどの影響が感じられるのである。
「ピアノ三重奏曲」は4楽章様式で第3楽章に短い“Scherzo”が置かれているが、全体としては、はかない哀感を漂わせた美しい曲想になっている。未完に終わった「ヴァイオリン・ソナタ ニ長調」とともに、これらのヴァイオリンのための室内楽作品群は、夭逝した彼の人生そのものを象徴しているように聴こえるのである。
|
2012-05-12 21:55
|
記事へ |
コメント(0) |
トラックバック(0) |
|
ロマン派について |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/Kazemachi/trackback/903/
※ブログ管理者が承認するまで表示されません