2012年02月09日(木)
ゴードン・シーウェン・チンの「二重協奏曲」ほか
子会社の経理事務を手伝っている親会社の内部監査人が、その子会社の監査役の監査の場面に遭遇するというのは、実に奇妙なものである。

そこへまた、別の子会社の社長が入って来ると、混乱に輪を掛けたような状態になる。なぜなら、私も子会社の監査役も別の子会社の社長も、全て同じアメリカの子会社で働いていたことがあるからである。

海外出張はしたことがあっても海外勤務を経験したことのない「体育会系営業マン」社長は、おそらくこの辺りの複雑かつ不条理な状況に、全く気付いていない。何が不条理なのかさえ、解かっていないのだ。しかし、親会社の内部監査人である私としては、話が弾む割りには疲労感の溜まる一日だった。

ということで、今日は多分に話が飛躍するかも知れないが、止む無きこととしてご了解願いたい。さて、今日は特段にこれと言って聴きたい音楽があるわけではないので、NMLを探索していたら、ゴードン・シーウェン・チン(Gordon Shi-Wen Chin, 1957 - )という作曲家の作品集に巡り会った。

この人は台湾生まれの作曲家で、名前を漢字で書くと「金 希文」となる。彼はアメリカのイーストマン音楽学校(Eastman School of Music)で博士号を取得しているので、ゴードンというのはアメリカでの通称であろう。生まれた年が1957年なので、私より2歳年下である。

しかし、私は日本の作曲家でさえ、私と同世代の人の作品はほとんど聴いたことがないので、この台湾生まれの同世代の作曲家が、どのような作風の音楽を作っているのか全く知らなかった。したがって、このディスクが私の興味を惹き付けたのは、ヴァイオリニストのチョーリャン・リン(林 昭亮, Cho-Liang Lin, 1960 - )が演奏に参加していたからである。

作曲家のゴードン・シーウェン・チンは、台湾で最も活動的な作曲家の一人だそうで、4つの交響曲を始めとして、幅広いジャンルの作品を作っているそうである。そして、今日ご紹介するディスクには、世界初録音である彼の作品が2曲収められている。収録曲は以下の通りである。

1.ヴァイオリン、チェロと管弦楽のための二重協奏曲
2.ヴァイオリンと弦楽のためのフォルモサの四季

演奏は、マイケル・スターン(Michael Stern, 1959 - )指揮カンザス・シティ交響楽団(Kansas City Symphony)で、ヴァイオリン独奏はチョーリャン・リン、チェロ独奏はフェリックス・ファン(Felix Fan, 1975 - )である。

指揮者のマイケル・スターンはカンザスシティ交響楽団の音楽監督兼首席指揮者で、往年の名ヴァイオリニスト、アイザック・スターン(Isaac Stern, 1920 - 2001)の息子である。アメリカは多民族国家なので、往々にしてこういうことが起こり得るのだ。

私はこの演奏陣を観て、鑑賞する前からあまり前衛的で難解な作風ではないだろうと思ったが、予想通り両曲ともそれほど取っ付き難い作品ではない。

「二重協奏曲」は4楽章様式で、それぞれに象徴的な標題が付けられている。日本語に訳すと本来の意味を損なう恐れがあるので、英文表記を記そう。

「I. Drifting Shadow - II. A Flowering Sacrifice - III. In Expectation - IV. Yearning: A Sweet Torture」

二重協奏曲と名付けられているが、ヴァイオリン、チェロとオーケストラが渾然一体となった交響的な部分も多く、「交響的協奏曲」という様相を呈している。第2楽章では流水の音が使用されており、旋律も東洋的である。しかし、台湾人が作った音楽だから、マーラーの「大地の歌」のような曲想ではなく、あくまでも自然に響くのだ。

「フォルモサの四季」は、チョー=リャン・リンの依頼によって作曲された作品で、ヴィヴァルディの「四季」と同じ機会に演奏できるようにしてほしいという要望に沿って、ヴァイオリンと弦楽合奏のために書かれている。

フォルモサ(Formosa)というのは、ポルトガル語の「麗しの島(Ilha Formosa)」が語源のようで、台湾の別名となっている。したがって、この曲は「台湾の四季」を表現しているのだ。春夏秋冬の順番ではなく、「夏 - 秋 - 冬 - 春」の順番に各楽章が並んでいるのが興味深い。

どちらの曲も民族性を強調した作品ではないが、東洋的なものが「隠し味」のように込められている。したがって、これらの作品は決して「グローバリズム」の渦に呑み込まれることはないのだ。自由で安価な労働力を求めて拡張する「グローバル資本主義」は、労働力そのものによってローカライズされるのである。
2012-02-09 22:42 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 現代音楽について |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/Kazemachi/trackback/809/
※ブログ管理者が承認するまで表示されません
2012年02月08日(水)
フリードリヒ大王の「フルート・ソナタ集」
フリードリヒ大王(Friedrich der Große)というのは、言うまでもなくプロイセン王のフリードリヒ2世(Friedrich II., 1712 - 1786)のことである。

クラシック音楽の愛好家ならば、フリードリヒ大王と聞いて、真っ先にJ.S.バッハの「音楽の捧げもの」を想い起こすに違いない。あの作品は、バッハがフリードリヒ大王の宮廷を訪ねた際に、王から与えられた主題に基づいて即興演奏を行なったのに基づいて作られた。

したがって、フリードリヒ大王が音楽的な趣味に長けていたことは広く知られている。事実、大王の宮廷には、当時の第一級の音楽家たちが集っており、大王自身もフルートの音色や表現力を好んだと言われている。また、大王はフルート・ソナタだけでも、実に多くの作品を残したと伝えられている。

しかし、大王の残した音楽作品の一覧表は、WIKIPEDIA(ドイツ語版)にも掲載されていない。したがって、フルート・ソナタ以外にどんな曲を作ったのかも判らないし、比較的有名なフルート・ソナタでさえ、私は今まで実際に聴いたことがなかった。

したがって、NMLの本日の「新着タイトル」の中に、フリードリヒ大王の「7つのフルート・ソナタ(Seven Flute Sonatas)」と題されたディスクを見つけた私は、迷うことなくこのディスクを聴いてみることにしたのである。しかも、このディスクは世界初録音である。すなわち、有名な割りには、大王のフルート・ソナタはあまり録音されていないということ示している。収録曲は以下の通りである。

1.フルート・ソナタ第126番 イ短調
2.フルート・ソナタ第146番 ハ長調
3.フルート・ソナタ第182番 変ロ長調
4.フルート・ソナタ第184番 ト短調
5.フルート・ソナタ第189番 ロ短調
6.フルート・ソナタ第261番 ヘ長調
7.フルート・ソナタ第214番 ニ短調

演奏は、マリー・オレスキェヴィチ(Mary Oleskiewicz)のバロック・フルート(フラウト・トラヴェルソ)、バラージュ・マーテー(Balázs Máté, 1965 - )のチェロ、ダーフィト・シューレンベルク(David Schulenberg)のフォルテピアノである。演奏者たちの名前を聞いてもどこの国の出身か分かりにくいが、チェロのバラージュ・マーテーはハンガリー出身であろう。

録音は、フリードリヒ大王の命によって建てられたサンスーシ宮殿(Schloss Sanssouci)のミュージック・ルームで行われている。

なお、ウィキペディアには大王の音楽作品は、「フルート・ソナタだけをとっても実に121曲に及ぶ」と書いてあるが、このディスクでは何と「第261番」という作品まで収められているので、実際には300曲近くのフルート・ソナタを作ったのかも知れない。

フリードリヒ大王の作品目録もないし、このディスクには何の説明も付いていないので、それぞれの曲がいつ作られたのかは不明である。

すべてのソナタが3楽章様式で、第1楽章は緩徐楽章である。そして、第2楽章、第3楽章と進むに連れてテンポが速くなって行く。

私は国王としてのフリードリヒ大王を論じることはできないが、精力的にプロイセンの強大化に努めた彼は、激務のために体を壊し、リウマチ、歯痛、胃痛、痔、発熱、痛風などで苦しめられたという。

そんな彼が、フランス語で「憂いなし」を意味する「サンスーシ(Sans Souci)」と名付けられた宮殿で、自分で演奏するために作ったフルート・ソナタ集であることを考えれば、当時としては音楽的に多少古風であっても、それなりに音楽の精髄を究めた作品集であると言えよう。

これらのソナタが、J.S.バッハの「音楽の捧げもの」の素材になった「王のテーマ(Königliche Thema)」のように半音階的ではなく、比較的平明で穏やかな旋律で書かれているのは、自分自身の心の安らぎのために書かれたからに違いない。

啓蒙専制君主の典型とされるフリードリヒ大王は、哲学者ヴォルテール(Voltaire, 1694 - 1778)とも親交があり、哲人王とも呼ばれた。およそ哲学とも芸術とも縁のない、「志士」気取りのどこかの市長とは、比べるべくもないのである。
2012-02-08 22:10 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 古楽について |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/Kazemachi/trackback/808/
※ブログ管理者が承認するまで表示されません
2012年02月07日(火)
ペンデレツキの「ヴァイオリン協奏曲第1番&第2番」
突然、思い出したように、クシシュトフ・ペンデレツキ (Krzysztof Penderecki, 1933 - )の作品を聴いてみようという気になったのには理由がある。

たまたまウィキペディアで、今日2月7日が誕生日の人の名前を眺めていたら、諏訪内 晶子(すわない あきこ)さんの名前を見つけたからである。

と言っても、ペンデレツキが彼女のためにヴァイオリン協奏曲を書いたわけではない。ペンデレツキの「ヴァイオリン協奏曲第1番」はアイザック・スターン(Isaac Stern, 1920 - 2001)のために書かれ、「ヴァイオリン協奏曲第2番」はアンネ=ゾフィ・ムター(Anne-Sophie Mutter, 1963 - )のために書かれている。

諏訪内さんは、ペンデレツキの「ヴァイオリン協奏曲第2番」を日本で初演したヴァイオリニストで、1999年にサントリーホールでペンデレツキの指揮によって初演したのだ。しかし、私はその「ヴァイオリン協奏曲第2番」はおろか、「ヴァイオリン協奏曲第1番」も聴いたことがない。ということで、今日はこの2曲を1枚に収めたディスクを聴いてみることにした。

しかし、残念ながら諏訪内さんは、この曲をレコーディングしていないようである。それに、聴きたいと思った時に聴いておかないと、今度はいつ聴こうという気になるか分からない。それで、NMLにあるこのディスクを選んだのだ。ただし、このディスクは単なる間に合わせではない。HMVのウェブサイトでは2件のユーザーレビューが寄せられており、どちらも5つ星(★★★★★)の最高点なのである。

それに、私は昨年の3月1日以来、ペンデレツキの作品を聴いていない。別に今日は特段気力が充実しているわけではないが、重い管弦楽の響きを聴くだけの探究心は残っている。いや、探究心というより鬱積した怒りのようなものだ。あまりにも凡庸な日常性に、うんざりしている。

それで、やや硬派の音楽を聴いてみたくなったのである。ただし、ペンデレツキの前衛的作風は、1960年代末期に頂点を極め、その後は新ロマン主義の作風へ傾斜して行ったはずである。したがって、今日の2曲が刺激に満ちた作品なのかどうか、私には予想できなかった。収録曲は以下の通りである。

1.ヴァイオリン協奏曲第1番 (1976 - 77, revised 1987)
2.ヴァイオリン協奏曲第2番 「メタモルフォーゼン」 (1992 - 95)

演奏は、アントニ・ヴィト(Antoni Wit, 1944 - )指揮ポーランド国立放送交響楽団で、ヴァイオリン独奏は、「第1番」がコンスタンティ・アンジェイ・クルカ(Konstanty Andrzej Kulka, 1947 - )、 「第2番」がチー・ユン(Chee-Yun, 1970年 - )である。

どちらの曲も演奏時間は40分弱だが、単一楽章である。「第1番」に比べて「第2番」のほうが聴きやすいだろうと思ったが、両作品の違いはあまり感じられなかった。それには、「第1番」が1987年に改訂されていることも関係しているかも知れないが、続けてこの2曲を聴くとやはり「第1番」のほうが重苦しく暗鬱な曲想である。

何事によらず、作曲家の置かれていた社会情勢と関連付けて考えるのが私の悪弊かも知れないが、ポーランドで自主管理労組「連帯」が結成されたのが1980年9月17日である。

そして、ポーランド統一労働者党が総選挙で大敗したのが1989年6月18日のことだから、「第1番」は社会主義体制が揺らぎ始める前に作られたということになる。

したがって、全体を覆う重苦しい雰囲気は、抑圧的な体制から生み出されたとも考えられる。しかし、芸術の創作活動は社会体制や経済情勢のみならず、作曲家個人の心的状況にも大きく左右される。

したがって、この2つのヴァイオリン協奏曲も、あまり図式的に捉えるべきではないだろう。比較すれば確かに「第1番」のほうが暗鬱で重苦しいが、神経が張り詰めるような緊張感はどちらの曲にも共通しており、少なくとも私の中にある「新ロマン主義」のイメージとは程遠い。

1993年には、ロシア連邦軍(旧ソビエト連邦軍)のポーランドからの全面撤退が完了しているが、その後に作られた「第2番」が明るく和やかな曲想であるわけではない。18世紀以降、再三に亘って国土が他国によって分割統治されてきたこの国の歴史を振り返れば、底抜けの明るさは望むべくもないのである。
2012-02-07 22:14 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 現代音楽について |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/Kazemachi/trackback/807/
※ブログ管理者が承認するまで表示されません
2012年02月06日(月)
ヘンデルの「ヴァイオリン・ソナタ全集」
ヨハン・ゼバスティアン・バッハ(Johann Sebastian Bach, 1685 - 1750)の「無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ」は全曲聴いたことがあるし、「ヴァイオリンとチェンバロのためのソナタ」もずべて聴いたと思う。

しかし、ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル(Georg Friedrich Händel, 1685 - 1759)の「ヴァイオリン・ソナタ全集」となると、全曲を聴いた覚えがない。

そういう単純な理由からこのディスクを聴き始めたが、どうやらヘンデルの場合は「ヴァイオリン・ソナタ集」として纏めて作曲された作品がないらしい。例えば、1732年に出版された彼の「作品1(Op.1)は」独奏楽器のためのソナタ集であるが、独奏楽器にはヴァイオリンだけではなく、フルート、リコーダー、オーボエも起用されている。

しかも、その中には出版当時から偽作と思われる曲も含まれているので、ヘンデルの「ヴァイオリン・ソナタ全集」を確定するのは容易なことではないらしい。しかし、このディスクのジャケットには“Complete”の文字が書かれている。「CD帯紹介文」によると、「ここに収録された9曲と小品2つは最新の研究結果に基づく『全集』」だそうである。

私はその「最新の研究結果」にどれほどの信頼が置けるのかよく解からないが、ヘンデルのヴァイオリン・ソナタをまとめて聴いたことがないので、とりあえず聴いてみることにした。ピリオド楽器による演奏だし、バッハのような無伴奏のヴァイオリン・ソナタではないので、あまり構えることがないのだ。

ヘンデルの「作品1」のソナタ集の出版は、イギリスの音楽出版者ジョン・ウォルシュ(John Walsh, c. 1665 - 1736)が、「アムステルダムのジャン・ロジャ(Jeanne Roger)」という名前で出版活動を行っていた時に、誰か人気のある作曲家の作品を、みんなのために出版したいと思ったことが発端であったらしい。

しかし、そのことが却って混乱をもたらしたようである。ウォルシュは2曲のヴァイオリン・ソナタをオーボエ・ソナタとフルート・ソナタに入れ替え、ヘンデルの作品ではない2曲のヴァイオリン・ソナタを付け加えたという。しかし、どれが真作でどれが偽作かということについては、ウィキペディアの日本語版と英語版でも食い違っており、私などが判断できるはずがない。

上記のような混乱の結果、今日のディスクの中にはリコーダー・ソナタと同じ素材による曲も含まれているそうである。しかし、私は学問的な厳密性を求めているわけではないので、まとめてヘンデルのヴァイオリン・ソナタを聴ければそれでよいのだ。収録曲は以下の通りである。

1.ヴァイオリン・ソナタ ニ長調 Op. 1 No. 13, HWV 371 (1750)
2.ヴァイオリン・ソナタ イ長調 Op. 1 No. 3, HWV 361 (1726)
3.ヴァイオリン・ソナタ ニ短調 Op. 1 No. 1, HWV 359a (c. 1724)
4.ヴァイオリン・ソナタ ト短調 Op. 1 No. 6, HWV 364a (1724)
5.ヴァイオリン・ソナタ ト長調 HWV 358 (1710)
6.アンダンテ イ短調 HWV 412 (1726)
7.アレグロ ハ短調 HWV 408 (1729)
8.ヴァイオリン・ソナタ ヘ長調 Op. 1, No. 12, HWV 370
9.ヴァイオリン・ソナタ ト短調 Op. 1, No. 10, HWV 368
10.ヴァイオリン・ソナタ イ長調 Op. 1, No. 14, HWV 372
11.ヴァイオリン・ソナタ イ長調 Op. 1, No. 15, HWV 373

演奏は、アンサンブル・ヴィンタージュ・ケルン(Ensemble Vintage Köln)である。このアンサンブルは2009年に設立された4人組の古楽アンサンブルであるが、今回の録音ではリコーダーやフルートを担当しているウルスラ・シュミット=ラウカンプ(Ursula Schmidt-Laukamp)は参加していない。

したがって、バロック・ヴァイオリンと通奏低音による演奏だが、通奏低音はチェンバロとヴィオラ・ダ・ガンバもしくはバロック・チェロという簡素な編成である。

出版者のウォルシュが意図した通り、これらのヴァイオリン・ソナタは、多くの聴衆のために編纂されただけあって、決して深刻な表情を見せることなく、一般にも広く受け容れられる優雅さと気品を兼ね備えている。

しかし、ディヴェルティメントのように単に聴き流されるだけの音楽ではなく、しっかりとした存在感を持っているのだ。バッハのように重音奏法を多用することなく、滑らかに旋律は流れて行くが、上滑りになることなく、ヘンデルのしなやかな感性を存分に発揮しているのである。

ヴィオラ・ダ・ガンバとバロック・チェロを使い分けているはずだが、全体的にゆったりとした時の流れを感じさせるので、どちらで演奏しているのか判別し難い。バロック・ヴァイオリンの音は、高音域で演奏してもキンキンと響かないので、こういうソナタ集には最適であろう。週明けの気だるさを癒すのにはうってつけの「ヴァイオリン・ソナタ全集」である。

2012-02-06 22:35 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| ヘンデルについて / 古楽について |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/Kazemachi/trackback/806/
※ブログ管理者が承認するまで表示されません
2012年02月05日(日)
ビッグ・ブラザー & ザ・ホールディング・カンパニー
私はクラシック音楽に飽きてくると、たまに他のジャンルの音楽を聴きたくなる。それがジャズである日もあるが、今日は久し振りにロックを聴いてみたくなった。

それで聴き始めたのが、このディスクである。これは、「ビッグ・ブラザー・アンド・ザ・ホールディング・カンパニー(Big Brother and the Holding Company)」というロック・グループの第2作目に当たるアルバムで、1968年8月にリリースされ、「ビルボード(Billboard)」の「トップ・100・アルバム・チャート」の第1位に輝いた名盤である。

しかし、私は当時中学2年生だったので、このアルバムがヒット・チャートを駆け上がっていた時を、リアル・タイムで知っていたわけではない。私がロックを聴き始めた時には既に、ジャニス・ジョプリン(Janis Joplin, 1943 - 1970)はこのバンドを離れて、ロック・ヴォーカリストとして確固たる地位を獲得していた。

私が彼女のことを知ったのは、1971年1月に遺作として発表されたアルバム「パール(Pearl)」なので、もはや彼女はこの世の人ではなかった。したがって、彼女が所属していた「ビッグ・ブラザー・アンド・ザ・ホールディング・カンパニー(Big Brother and the Holding Company)」というバンドについては、長ったらしくて変わったバンド名だなぁと思った程度で、記憶の片隅に残っていただけである。

しかし、(にわ)かにこのバンドのことを思い出したのは、私の勤務先の会社が持株会社(holding company)制度に移行すると公表したからに他ならない。最近流行りの「○○ホールディングス」という純粋持株会社の下に、各事業子会社をぶら下げようという計画である。

先代の社長の時代から持株会社化の構想はあったので、私自身にとっては「寝耳に水」という感じはなかったが、拙速であるという印象は拭えなかった。そもそも、「グループ会社の自治と自由闊達な社風の醸成」は上場前から脈々と受け継がれてきた長い伝統であって、その結果として北米の子会社が親会社を凌ぐ利益を上げるようになったのである。

もちろん、「グループネットワークの強化と的確なグループ資源の配分を行ってゆくこと」は重要である。しかし、子会社が親会社の数倍の利益を上げているという歪な構造を考えると、この持株会社制度への移行には、業績において劣っている日本の親会社の威信を回復するという意味合いのほうが強いと言わざるを得ない。

そこで気になるのが、「ビッグ・ブラザー」の動向なのである。「ビッグ・ブラザー・アンド・ザ・ホールディング・カンパニー」というバンド名については、あまり深い意味はないようだが、我が勤務先の場合には、上述のように親会社が「上位に君臨する」という意図が明白なので、そこに「ビッグ・ブラザー」の意志が強く働いていることは確実なのだ。

この「ビッグ・ブラザー」が社長であれば問題はないが、体育会系の営業マンだった現社長が、持株会社制度についてどれほど熟知しているのか甚だ疑問がある。むしろ、都市銀行出身で「ナンバー2」と目されている常務が、仕掛け人であることは明白であろう。社員向けの説明会では、「持株会社制度を採用している会社は建設業界に多い」ということだったが、ウィキペディアで「持株会社」を調べれば銀行・保険・証券などの金融系の会社が最も多いのだ。

しかも、純粋持株会社の構成員は全て取締役・部長以上の役職者なので、事業子会社の経営企画室、管理部門の実務担当者が、純粋持株会社の実務を兼務しなければならない。要するに、純粋持株会社の構成員は、指示を与えるだけで手足は動かさない。私はこうした一種の中央集権化が、各事業子会社の「自治と自由闊達な社風の醸成」を阻害しないように祈るだけである。

2012-02-05 21:04 | 記事へ | コメント(1) | トラックバック(0) |
| ロックについて |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/Kazemachi/trackback/805/
※ブログ管理者が承認するまで表示されません
次へ
HMV
ジャパン
にほんブログ村 クラシックブログへ

ニックネーム:風街ろまん
性別:男性
年齢:56歳
都道府県:大阪府

»くわしく見る