ニックネーム:JEDI_tkms1984
年齢:S59生まれとして計算すると……

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2011年09月22日(木)
シリーズげんきょう09

※この文章を作成したのは2年ほど前です※


 ”どこに出しても恥ずかしくない”という表現があります。
作法がしっかり身についていて、然るべき場に出てもその場に合わせた振る舞いができる人を指す言葉ですね。
作法といっても食事のマナーだけではありません。
歩き方とか、話し方、相手・場合によっては挨拶の仕方を変えたり……。
これらが総合的に及第点であればよほど特殊な環境に放り投げられない限り、白眼視されるようなことはありません。
今回は前回の二面性・多面性に加えて、この点について少し触れます。
と言いますのは僕の父はよく見ていると、誰彼に対しても良い顔をしているわけではないと分かったからであります。
八方美人は誰にしてもよい印象を持ってもらうよう要領よく付き合うことを言いますが、彼の場合はさしずめ四方美人といったところでしょうか。
このエピソードは今から1年ほど前。
ここをよくご覧の方はご存じかと思いますが、うちにはクッキーというわんこがいます。
ゴールデンレトリバーの女の子で齢13歳。
人間で換算すれば100歳ちかいお年頃の女の子です。
大型犬に分類されるこのわんこの体重は33キロ。かなりの重さです。
アトピーを患い、最近では心臓や足腰も弱ってきているので月1の通院は欠かせません。
ところが皮肉なことに近所の獣医さんは大型犬を診ることができません。
なのでペットタクシーを利用して片道30分ほどの距離にある大きな病院に通っています。
通院は僕と母が必ず行くことになっています。
獣医師さんの言葉を漏らさず聞くためです。
ところがこれがかなり大変。
まずタクシーに乗せるのに抱き上げなければなりません。
体力にも腕力にも持久力にも自信のない僕はヒィヒィ言いながら乗降させます。
病院についても診察台に乗せるのにまた抱き上げなくてはなりません。
最近は慣れてきたので疲れが残らない抱き方を覚えましたが、最初は腰痛に悩まされたものです。
この通院、月に1度という頻度なのですが薬の出る量などが上手く噛み合わず、大抵は有休をとって行くことになります。
完全土日休みにしてくれればそうする必要もないのですが、そういう業界なので仕方ありません。
で、たまたま休みがとれない日と通院日が重なってしまった事があるんですね。
これは参ったと。
薬の加減があるから日をずらすわけにもいきません。
そこで白羽の矢……いえ、消去法で残った父が同行することになりました。
そう決まった時点で漠然とした不安はあったのですが、帳簿と睨めっこせざるを得ない状況ではできるのは心配だけ。
クッキーの変化や衰えなんて見向きもしない彼が付き添いで大丈夫なのか?
というより付き添う意味があるのか?
母によれば一応抱っこはしていたようですが、問題は診察室に入ってからでした。
念のため申し添えますが、父と獣医さんは初対面です。




獣医さん、診察室にやって来る。
「クッキーちゃん、具合どうですか?」
と訊きながら目や耳の中をチェックする。
「前回からあまり変化はありませんが、水を頻繁に飲むようになりました」
などと母。
しばらくは2人の意見交換。
その間、父は一歩下がったところでモノ珍しそうに診察台やら骨格図などを眺めていたらしい。
そしてある程度話が終わった頃、父は猫背気味に、
「いつもウチのもんがお世話になっていてすんませんなぁ」
と獣医さんに挨拶した。




非常に端的に語ればこういう具合になります。
この小劇のポイントは2つ。
まず彼が忙しなく診察室を見回していたこと。
おおかた漫画のネタになりそうなものでも探していたのでしょう。
もうひとつは挨拶。
これはもう本当に腹立たしい。
『これが僕の父親か』とか『僕はこんなのの息子なのか』とか思います。
情けない。
人生半分を過ぎた男が何故に挨拶のひとつ満足にできないのか。
僕の狭い視野で語れば、兵庫や大阪はこういうモノの言い方をする人が多いです。
(ましてや彼は播州の出身。偏見であることは重々承知ですがどうにもかの地方には眉を顰めてしまいます)
どこの獣医に連れて行っても効果的な治療は望めず、ふさふさだった金毛がだんだんと少なくなって地肌が露になり、
あちこちに発疹ができて掻き毟ったせいで皮膚が爛れてきているのに手も打てず、あちこち訊ね歩いて漸くたどりついた病院です。
これまでの間違った処方から一転、クッキーの皮膚も毛艶も見る間に回復していきました。
本当に今の獣医さんには感謝してもし切れません。
だからこそかような失礼な振る舞いは許し難いのです。
たしかに父にとっては獣医さんは恩人でも何でもないでしょう。
今後会う事もなければ電話で話をする機会さえないでしょう。
クッキーのことをたかる虻くらいにしか思っていないのだから、そのクッキーが回復していったところで彼には関係のないこと。
しかし僕たちにとって――もっと言えばクッキーにとっても――は恩人です。
仕事を終え帰宅してからこの一部始終を聞いた時は父への怨恨よりも、獣医さんに対する申し訳なさで一杯でした。
もう彼には何も委せられない。余計なことをさせてはいけない。
自分の知らないところで自分の品格や印象が穢されていく不安に駆られてしまうのであります。
そういうワケでありますから、父が通院に同行したのはこれ一度きりなのです。
以降は極力僕が休みを取るようにするか、無理なら日程をずらす(それによって薬が足りなくなった場合は次の通院日までの薬を送ってもらうことで
調節してもらっています)ことにしました。
本当にコワイので、いろいろと。


「シリーズげんきょう 10 に続く」

2011年9月22日 21時11分 | 記事へ | コメント(0) |
| シリーズげんきょう |
2011年07月27日(水)
シリーズげんきょう08
 「シリーズげんきょう 07」で物事は多面的であることに触れました。
突き詰めれば二面なのですが、そこに至るまでが多面的なのであります。
人間はウソを吐きます。誰だってウソを吐きます。
軽いものから重いものまで。たとえば何か過失を追及されてつい誤魔化した……というのもその範疇です。
このウソというもの。たったひとつ吐くだけでも逡巡する人もいれば、躊躇いなく吐く人もいます。
さらにすぐにバレる人と、誰にも気づかれずにその虚言すら真実にしてしまう巧みな人もいます。
ウソを吐く人というのは大きくこの4通りに分けられるのではないかと僕は思います。

さて、外面(そとづら)というものを考えた時、このウソという要素が重要になってきます。
つまるところ普段は見せない自分を相手に虚飾して見せるワケですから善意悪意問わずこれはウソです。
ただしこれをやるならバレないようにしなければなりません。
家中では不遜不義理のみせかけ大黒柱を貫く父ですが、そこは内弁慶の外仏。
一歩玄関を出ればまるで別人格に豹変します。

これは僕が就職活動が上手くいかず職安に通っていた時のこと。
彼はまたどういう道を辿ったか、外郭団体の人と面識があります。
その頃は僕の就活に関し母から交通費他全面的にバックアップしてもらっていましたが案の定、父は素知らぬ顔でした。
母が堪りかねて普段会話のない父に訴えたそうです。
”息子の就職の糧になりそうな情報があったら教えてほしい”と。
まあ僕も初めから父などアテにはしていませんでしたが、その言葉を受けてようやく彼が紹介してきたのが前述の人だったわけです。
そんな人知ってるならもっと早く(自発的に)紹介しろよ。
なんて思ったような記憶もありますが、それではあまりに傲岸不遜ですね。
飲食会が始まりました。
場所は駅近くの居酒屋。僕はアルコールの匂いを嗅いだだけで頭クラクラ、嘔吐感も催すほどの下戸でございます。
父とその男はしばし歓談、僕は蚊帳の外――という構図になるのは愚昧でも予想できます。
……が!
この父親、外では陽気なキャラで振る舞いやがって! と内心思っていたのは秘密です。
(家ではテーブルを挟んでの距離ですら声が聞き取れないこともあります)
対して美味とも思えない蛍烏賊を咀嚼していると、
「そんなに大きなワンちゃんがいたら大変でしょう」
と男の声。
話題は愛犬クッキーにシフトしたようです。
「そうですね。でも仔犬の頃から一緒にいてもう家族みたいなものですから」
と父。
ハァッ!?
お前がそれを言うか!?
ご飯はあげない、散歩には連れて行かない、月1回の動物病院だって行ったこともない、怪我して血を流していても処置しない。
それで”家族”という言葉を使いますか?
貴方の中の家族とはどういう存在、位置関係を示すのですか?
と憤懣やるかたない想いだったのでありますが、僕や母に対しても接し方は全く同じですから、そう考えるとクッキーも
彼にとっての”家族”(としての扱いに差異がない点)なのだなあと妙に納得したり。
ただ余所の人は『よい父親・よい夫』という印象を持ってしまうのが腹立たしいところ。
というのもこの男。
ダメ男を構成する4要件である『酒・煙草・女・博打』のどれもやらないのです。
お陰でやたら健康だわ外部からのウケはいいわで腹立たしいやら。
内情を知らない余所様に言わせれば、
「優しそうなお父さん」とか「今時珍しいくらい真面目な旦那さん」とかそういう評価になるわけですが、トンデモナイ!
人は見た目が9割。でもみんなその9割に騙されるのです。
ですから9割の人は騙されてるのです。(強引で間違った計算)
ちなみにこの父親。
自分とそこそこ親しい(即ち同レベルの)男が転職活動で困窮しているという話を聞き、その人の履歴書や経歴書を代わりに作成したりしてました。
いい歳して何やってんだ?(作る方も作ってもらう方も)
僕なんか代行どころか助言のひとつすら賜ってませんが……。
いや、いいんです。
僕は父よりも遥かにそのあたりの常識はありますし、PR文も説得力ある内容で書ける自信もあります。
ただね――。
他人に作ってもらった履歴書や経歴書で面接に臨んで採用されるものなのでしょうかね。
そういうのってどこかで襤褸が出そうなものですけど。


 ”外面を良くする”という行為は対外的な自分の評価を上げる一手ではありますが、
多用するとあちこちで齟齬が出て危険を伴う両刃の剣でもあります。
特に”外”が2つ以上ある場合にはよほど注意しないと、”内””内””外”……という構図が出来上がりどこかで破綻します。
父がボランティア団体に所属していることは以前に述べたとおりですが、あくまで所属しているのであって、
旗揚げしたわけでもなければ長を務めているわけでもありません。
彼が加入した時には既に4人ほどがいたようなのですが、その中の1人が設立したようです。
その男、ショッカー役か何かやってた経歴があるようでアクションが得意らしいです。
まあそんな事はどうでもいいのですが、ともかく父は新規に加入した一員である、という点がここでは重要です。
さてこの団体、活動としてはかなり精力的なようで姫路市に認められ、NHKからの取材が来たりと忙しない様子。
おそらくこの取材の時に父と記者が接点を持ったと思われるのですが、何度かやりとりをしている模様。
それをちらりと見た時、僕は人間という生き物が場所・場合に応じていくつもの顔を使い分けていることを知ることになるのでした。
(今さらですけど)

その記者から父に当てた電文によれば、

『貴方様の勤勉さには頭が下がります。観光客をもてなす為に何ヶ国語も勉強なさっておいでで……』

という感じでお褒めの言葉が並んでいました。
さて、どういう経緯でこういう賞賛の声が挙がったのか遡ってみますと、

父:『――という具合で平日はサラリーマン、休日は忍者に漫画家というスーパーマンな生活を送っています。
   今は英語・独語・仏語・中国語と勉強しています』

みたいな文言を発見。
ちょっと待てや、コラ。(汚い関西弁その1)
何マルチリンガルを装ってるんだ。
確かに! 姫路城を訪れる観光客は日本人だけではない!
外国人の訪れも多分にある! だから挨拶やナビゲートにその国それぞれの言語が必要なことも頷ける!
しかしだ、諸君!
この自己PRには陥穽がある!
実際、この一文から彼が駅前留学とかしてるんじゃ……とか思った貴方は既に罠にかけられているのです!
今こそ灰色の脳細胞を使ってください。
彼はただ100円ショップ『ザ・ダ○ソー』で売っている厚み5ミリほどの例文がちょろっと載っている、
入門書に毛が生えた程度の書物を流し読みしている程度なんです。
それを恰も”多国語習得に砥礪切磋しているかのように思わせているのであります。
っていうかスーパーマンってなんだよ……。

”平日はサラリーマン、休日は漫画家として漫画を描いたり、忍者に扮してボランティア活動に勤しんでいる”

これだけ聞けば100人中122人はスゴイ御仁だ、と思うでしょう。
僕もきっと第一印象はそう錯覚すると思います。
ただ自分がこういう状況になって分かったことなのですが、この場合の記者の感じ方としては上述以外にあるハズなのです。
つまり、

『この男は妻子がいるのになぜこんな時間の使い方ができるのだろう?』

ということです。
独り暮らしなら自分の時間は全て自由に使えます。
しかし同居している(家族がいる)場合には恣に時間を使う事はできません。
もし彼をスーパーマンだと認識するなら、彼をスーパーマンならしめた内助の功にまで目を向けるべきなのです。
この世は総てが循環しています。
誰かが得をすればその分、誰かが損をする。
誰かが自由な時間を過ごせばその分、自由に時間を遣えない者が出てくる。
実際、彼がボランティア(!)に使った装束は自分で洗濯しているにしても、帰宅して出来たてのご飯が食べられるのは誰のおかげですか。
本来なら自分も払うべき家賃を代わりに払っているのは誰ですか。
彼が責任感や正義感が強い人間であるならば、外遊のボランティアの前にまずすべきことがあるハズなのであります。
これが人が見た目に騙される、という事なのであります。


さて、今度は二重の二面性です。
こんな電文を見つけました。

父:『人をまとめるというのはなかなか大変なものですよ。励ましたり刺激したりして――』

ここだけ読むと恰も彼が一団を率いているように錯覚してしまいます。
リーダー格(元ショッカー)がこれを知ったら良い気はしないでせう。
記者さん、あなた騙されてますよ。
他人さまの目に映るこの男は、
”平日は真面目なサラリーマン、土日祝は休む間もなく執筆とボランティア活動に明け暮れ、語学も堪能なスーパーマン”
と、こういう事になるでしょう。
実に勤勉で努力家ではありませんか。
しかも奉仕の精神も持ち合わせている聖人君子と言えなくもない。
しかし外での評判が良い人は得てして家の中では評判が悪いものです。
彼はこの電文が、あくまで自分と記者の間だけに流れるものであって、リーダー格に伝わるハズがないと思っているのです。
だからこそ自分が一団の長であるように振る舞うこともできるし、実質以上に実直であると錯覚させることもできます。

リーダー格 ← 自分 → 記者

この関係が成り立つ限り、双方に別の良い顔をするのは人間なら誰しもが犯してしまう不義なのかもしれません。
だがそれなら家でも家用の良い顔しろよ、と思いますけどね。
気を遣うところを完全に間違っていると言えましょう。

長くなりますのでここで一旦切ることにします。
2011年7月27日 20時43分 | 記事へ | コメント(0) |
| シリーズげんきょう |
2011年03月25日(金)
シリーズげんきょう07
 人の縁とは不思議なもの。
どこで誰と知り合い、どのような世界に足を踏み込むかは誰にも予測がつきません。
それをドラマや小説でやれば面白いのですが、現実になるとそこに様々な弊害が内包されることを僕たちは意識しなくてはなりません。
どういう縁でか、父は姫路で活動するボランティア団体のリーダー格と知り合ったようです。
団体といっても大きな組織ではなく、有志数名で活動しているサークルのようなものです。
具体的にどういう活動をしているのかというと、姫路城に観光に来た人に歴史を教えたり、道案内をしたり――というのが主らしいです。
で、この活動の際に彼らは皆、忍者のコスプレをします。
こんな感じで。


肖像権?
知ったこっちゃあありませんよ。
検索すれば他所様のブログでも載っているし、そもそも彼らの活動理由は奉仕とアピールなのですからこうして載せることに関し、
感謝されることはあっても怨嗟されるハズがありませんもの。
士気を高めるためでしょうか。
有名なボランティア団体ではメンバーを”ライオン”をつけて呼び合うそうですが、これも同義と考えていいかもしれません。
足袋やら刀やらを装備してそれっぽく。
いいですか?
彼らは40歳、50歳台の人たちです。
それが悪いとは思いません。
奉仕の精神に年齢性別出自その他は関係ありません。
その志そのものは尊いと言って差し支えないでしょう。
しかしボランティア活動を行う裏で、彼らが何を犠牲にしているか。
ここに想像力を働かせることができれば僕はその人間を心から尊敬するでしょう。
実際、僕も父がこの活動をやり始めるまでそうした想像など微塵もしなかったのですから。
テレビやらネットやらでこうした活動をしている人を見て、ただ尊敬していただけですから。
見た目に惑わされてはいけない。
ボランティア活動というものを観察する際、観る側が尊崇の念を抱いていいのはあくまでその活動及び成果に対してだけであって、
それを行う人までを尊崇の範疇に含めることには逡巡したほうがよさそうです。
今回の場合も、実は忍者衣装は自腹切っています。
装束だけで数万、それに加えて刀(の模型)から足袋、頭巾、手裏剣とか苦内とか…………。
ちらりと見えた領収書には10万に届くかというくらいの金額が示されていました。
いやいや、そんな事に金かける前にすることがあるだろ。
しかも交通費も自腹であります。
その分、家計に入るお金が少なくなるのですから堪ったものではありません。
活動はだいたい隔週で行っているようです。
ボランティア――本当に聞こえがいいですね。
立派です。
家中では傲岸不遜・勝手放題な振る舞いで妻を鬱病にさせ、不用意な発言から生じた債務を息子に押し付けても、一歩外に出ればその振る舞いを見た他人は
まさか家庭内でこのような事が起こっているなど想像もつかないでしょう。
理想と現実、建て前と本音、内と外。
物事は必ず多面的であり、古代ローマの神ヤヌスでない限り、それらを同時に見ることは不可能なのであります。
っていうか頭巾とか足袋とかベランダに干さないでくだちい……。
余所から見えて恥ずかしいじゃないですか……。



 縁といえばもうひとつ。
これもまたどう知り合ったのか、姫路のタウン何だかの雑誌の編集者とやりとりをしています。
実際に月に数回、ボランティアとは別に姫路に赴き面も合わせているようです。
その際に父が持っていくのが原稿。
前述の雑誌に漫画のページがあり、それに連載を持っているとのこと。
(新聞の4コマのちょっとコマ数が多いやつだと思ってください)
またしてもここだけ聞けば”スゴイ”と人に思わせそうな展開でありますが、もちろんこの事実もまた多面的であります。
まず連載というからには定期的に描き、且つ一応は〆切を守らなければなりません。
となると描く時間が必要になります。
では彼がどのようにして、いつその時間を確保しているのかという問題になりますがこれは簡単明瞭。

執筆時間=家にいる時間

という等式で表せますから。
父はギャンブルはせず、酒も飲まず、煙草も吸わず、外に女も作りません。
朝は決まった時間に出社し、夕方は決まった時間に帰宅します。
(決算期とかですら残業が全くないのが不思議です)
帰ったらまずシャワーを浴びます。
浴びたら2階の自分の部屋に籠り、漫画を描きます。
そうこうしていると僕が帰宅します。
僕の帰宅に合わせて母が夕餉を作ってくれ、背広を脱いで僕も配膳などをします。
その音を聞きつけて父が降りてきて、旅館に来たお客のように卓につきます。
絶妙なタイミングで無言でやってくるのですが、たまに測り損ねて早めに来ることもあります。
そういう時は新聞を広げる、引き出しの中を整理するフリをするなどして時間を稼いでいます。
料理が並びました。
彼は蚊の鳴くような声で”いただきます”を呟いた後、無言でそれらを食します。
魚介類など高価なものがあればそれから。なければ味の濃いものから優先的に。
足りない場合は醤油やソースの出番。
食べ終わると蚤の鳴くような声で”ごちそうさま”と囀り、シンクに食器を置いて部屋に籠ります。
執筆再開です。
階下では後片付けやら洗濯やらわんこの散歩やらとやることはあります。
その間、彼は基本的にお絵描き。
時々降りて来てはお湯を沸かしてお茶と菓子を持ってまた部屋に籠ります。
きっと”〆切に追われている売れっ子漫画家”になりきっているのでしょう。
↓こんな名刺まで用意して配り回っているくらいですから。


(スタジオといいますが特にスタッフもいなければ専用の画材などが置いてあることもありません)

いい加減ちょっと怖いです。
彼の頭の中ではどんな世界が広がっていて、その世界では彼がどんな位置にいるのか。
連載にあたり謝礼は貰っているっぽいのですが、おそらく画用紙とか買って往復の交通費も込めれば足が出ているでしょう。
漫画の内容は姫路城にまつわるものなのですが、彼はそれ以外にも手塚○虫とか横山光○になりたかったのか、それ系の柄の漫画も描いています。
出版する気があるのかどうかは分かりません。
なにしろ絵柄コマ割りなどが当時のまんま。今や中学生くらいの子の描く漫画のほうが画も内容も遥かに上を行っているでしょう。
で、その方面には集中力があるのか書店でいろいろと漫画の参考になるような書籍を買ってきています。
「マンガの描き方」とか「超能力と科学」とか「精神医学」とか……。
どういう内容の漫画か知りませんが……。
自分の好きな物にだけ情熱を注ぎ、それ以外はなおざりどころか見て見ぬフリする男なのであります。


「シリーズげんきょう 08 に続く」
2011年3月25日 21時35分 | 記事へ | コメント(0) |
| シリーズげんきょう |
2011年02月23日(水)
シリーズげんきょう06
 答えあわせです。

正解は『遊んでいた』でした。
正解者の中から抽選で5名様にクオカードを進呈する気持ちでいます。
厳密にいえば、もうこんな機会は生涯絶対にない! っていうくらい全力で遊んでました。
朝ご飯食べた後すぐに部屋に籠ってハットリくんだかパーマンだかのDVD観賞。
昼ご飯食べた後は手塚治虫とか横山光輝の切り抜き記事の整理。
晩ご飯食べた後はマンガを書く……。
ある歌の詞のように、きっと毎日が日曜日だったのでせう。
せめて洗濯とか掃除くらいしろよ。
母が働いている間、料理を除く家事の殆どは僕がやっていました。
(胡瓜すら満足に切れない僕には食事を用意するなんてできないのです)
なぜ僕に家事ができたのかと言うと半ニート状態だったからです。
ニートの厳密な定義を考えれば僕はそれには当てはまらないのですが、日本での一般的なこの言葉の意味からすれば該当していたでしょう。
のんべんだらりと日々怠惰を貪っていた僕ですが、さすがに母が家事とパートをやっているのを見て無視できるほど冷たい人間ではありません。
愛犬クッキーの散歩とか食事の用意とかやることはいろいろあります。
父よ、何でもいいからひとつくらい手伝えよ!
と背中で訴えていたのですがどこ吹く風。
そんな生活が半年ほど続いたでしょうか。
突然訪れた転機は父を新たな就職口へと誘いました。
よかったね。
これまで同様に経理職なので彼も培ってきた能力を遺憾なく発揮できるでしょう。
いちおう課長級で採用されてますし。
でもね。
こんな時勢だから贅沢言っちゃあいけないんですけども。
給与少なすぎ……。
もう50ですよ。
大卒4、5年目みたいな手取りでどうなさるおつもりで?
まあどうなさろうとも毎月入ってくる額は同じなのですから、こっちは出ていく金額を小さくするしかないのですが。
母も勤めを終えて専業主婦に戻りました。
僕は急に将来が不安になってきたので就職活動開始です。
日商簿記1級もってりゃどこの経理でも採ってくれるだろうと思いきや、これがなかなか難しいものでした。
後進の育成に力を注ぐだけの余裕のない会社ばかりなので、どうしても経験者を優先します。
こういう時は資格の有無はさほど問題ではないのです。
どれだけの実務経験があるか。
その一点に尽きます。
そういう具合ですから今の会社に決まったことは誠に僥倖だったのでありましょう。
しかし好転するのもここまで。
現実とは常に辛辣で、希望を粉々に打ち砕き、夢や希望を裏切る不変の概念なのです。
悪いニュースが届いたのは一昨年の秋頃でした。
叔父の勤務している会社が不況の煽りを受けて深刻な打撃を受けたとのことです。
どこでもそうなんですけどね、この時期は。
世界同時不況は中小零細企業にも容赦なく毒牙をあてがうのです。
破綻したとかそういうワケではないのですが、賞与はなくなり定期昇給も取りやめとなり。
祖母宅の財政難が顕著化してきたのであります。
何しろ壁をぶちぬいた大きな家ですから、月々の返済も安くはありません。
その上に夏冬のボーナス払いもありますから月々は何とかなっても年2回のこの時期は支払いが大変苦しいのであります。
幸いなことに僕の勤めている会社はどんなに苦しくても最低給与1ヶ月分の賞与は出してくれるという気風の良さがありましたので、
祖母宅の支払いにはこれを充てました。
ただ月々の返済に関しては簡単にはいきません。
祖母は年金を貰っていますがそこから生活費やら何やらと控除していくと、手許にはそう多くは残りません。
では財源をどこに求めるか……というと僕に行き着きます。
家庭内事業仕分けはとっくに終わりました。
もう霞が関は僕の財布にしかありません。
少ないながらも父の月給でこの陰惨な核家族の余喘の生活は保たれておりまして、僕はといえば緊急の出費時以外は
給与を貯め込んでおったのであります。
僕が吝嗇だからというのも勿論ですが、資金を貯めて母を連れて家を出るという目的があるからなのです。
あの父の元にいれば母は精神的に寸襤褸にされる(今でも十分そうですが)という危惧があります故。
一緒にいる意味がありませんしね。
同居しているのは僕が生まれているからであって、仮に流産でもしてりゃ確実に20数年前に離婚していたでしょう。
さて、祖母宅のために財源を切り崩さなければなりません。
しかしそう簡単にいかないのが金額であります。
一般的なローンと比べてお高めなのであります。
勤め初めて間もない僕にはかなり苦しい。
これでは月給が祖母宅の支払いに流れ、僕自身の口座の中身が殖えず、従っていつまで経っても家を出る資金が貯まりません。
まったくタマリマセン(二重の意味で)。
出来高制の営業ならともかく、僕は頭脳を用いるホワイトカラー。
毎月入ってくる金額は基本的に同じです。
そこでどうにか月給にプラスアルファで得られる方法はないかと考えて辿り着いたのがFXでございました。
普通科を出てその後なにもしなかったのならこの道はなかったでしょうが、幸いにも高校・専門に渡って商業系を学んできたおかげで、
金融や経済にはちょびっとたけ強くなっています。
現物株式と違って元手の数倍〜数十倍(あるいは数百倍)の取引ができるFXは、僕のような格差社会の底辺で喘ぐワープアにはまさしく地獄に仏。
うまく利益を上げられれば懐は温かくなり、祖母宅の返済を手伝ってもなお手許にいくらか残る算段です。
これをやるにはコンスタントに利益を出していくしかありません。
たとえ少額でもプラス収支で毎月終えることができれば、それだけ余裕が出てきます。
会社員は副業は原則禁止ですが、背に腹は代えられないというやつです。
ちなみに詭弁になりますが僕はFXは副業には当たらないと思っています。
その理由は獲得する収益に”スワップ金利”というものがあるからです。
もしこれが副業だと言うのなら、一般サラリーマンが毎月給与を振り込まれている口座に年2回付く普通預金利息も副業による所得ということになります。
労働力を提供してその対価を得ているわけではないので、株式、為替相場……こういった手段は副業ではないと考えます。
さて、たまに負けることもありますが基本的には最低でも1000円単位で利益を得る生活が確立し始めました。
この頃、父方祖母があまりに自由な振る舞いをしていたので(悠々自適の年金&遺族年金暮らしで、豪とか韓国とかあちこち旅行しまくっていました)
窮状を訴え交渉開始。
といってもほぼ絶縁状態だったので双方の言い分は父を通して行われました。
結果、数回の話し合いの末、父方祖母は2カ月毎に8万円を支払うという約束を取り付けました。
(今は月毎に4万円になっています)
本来ならこういう事は書を交わすべきなのですが今は敢えてそれはせず、代わりに受け取りの都度領収書を発行しています。
毎月定期的に同額が受け取れることで助かるのは助かっています。
(っていうかそもそも向こうが払うべき金額を20年越しに支払いが始まっているだけなのですが)
とはいえもちろんこれでは足りませんので、僕も為替相場と睨めっこしながら取引をする日々が続いております。
娯楽はSSを書いたり音楽を聴いたり、たまに映画観に行くくらい。
あまりお金かけたくないんですね、今は。
息抜きできるだけ僕はまだマシなのでしょう。
母のほうは日中はわんこの介護していて、夜は男共の夕餉作ったりしなくてはならないのですから。
このように中々に鬱々とした日々を過ごすのであります。
ちなみに返済に関しては父方祖母が上記の金額で一応の折り合いをつけたきりで、父自身は何ら行動はしません。
こちらが窮状を訴えなかったら、おそらく向こうも悠々自適の生活に耽っていたでしょう。
非協力的なだけならまだしもこの父親、この頃を境にトンデモナイことをやりだします。
キーワードは「姫路」「忍者」「ボランティア」です。


「シリーズげんきょう 07 に続く」

2011年2月23日 21時29分 | 記事へ | コメント(0) |
| シリーズげんきょう |
2011年01月25日(火)
シリーズげんきょう05
 お話は戻って再び我が家。
前話は、『シリーズげんきょう 03 』でございます。
そんなこんなで幾星霜。
いえそんなに年数は経っていません。
父は人格は相変わらずのまま、仕事場だけを何度か変えました。
当初は老舗の和菓子メーカーで経理をしていたのが、待遇が悪く十数年で辞めました。
殆ど喧嘩別れ同然だったのですが、社長と揉めたくないからと退職金の請求をしませんでした。
普通は請求しなくても出るものなのですが、どういうわけか出さなかったのです。
本人は経理で勤めていて過去辞めていった社員の分は支払い手続きをしてきたというのに。
で、なぜ請求しないのかと言うと……
聞けば見つかった新しい勤務先に迷惑がかかるとイケナイから……らしいです。
何を考えてるんでしょうか。
十数年勤めればその額はそこそこあるでしょう。
貰わないのはあんたの勝手かもしれないが、こっちの生活はどうなるんだと。
獲得して当然のマネーを放棄して今の勤務先に気を遣うのは筋が通っていないだろうと。
そうそう。この新しい勤務先、大阪にあるのですが彼はそれ故に単身赴任しました。
帰宅は2週に一度の週末のみ。
わぁい、嬉しいな♪
……でも換言すれば2週に一度は帰ってくるわけで……。
いつだったか帰って来た時にたまたま母が体調不良で簡単な夕食しか出せなかった時に、
「たまに帰ってるんだからもっと気を遣え」
という事を言ってましたね。
もう帰って来なくていいよ。
そう思ってたら3年経たずに解雇されました。
前勤務先が小さな会社、今度はどうやって入ったのか上場もしてる大きな企業。
力量不足だったのでしょう。
ちらりと聞く話では毎月同じミスをしていて、仕事上分からなかった処を誰にも訊かずに過ごしてきたとか。
プライドの高い彼が失態を家族に語るのは珍しいですが、そんな事はどうでもよくて――。
3年未満じゃ退職金すら出ないじゃん!
いえ、4年や5年じゃ貰っても雀の涙ですけど。
”こじれてこの会社に迷惑をかけたくない。だから退職金の請求で揉めるくらいなら泣き寝入りする”
と当然の権利を放棄してまで体裁を取り繕った相手に3年未満で馘首されたワケですね。
面白すぎて逆に笑えません。
それで困るのはこっちなのですから。
当時の僕は今以上に愚だったので代理で前勤務先に退職金の請求なんて思いつきもしませんでした。
漸く少し知恵をつけた頃には既に5年以上が経っていたので請求できず。
今度は前のようにすぐには就職先が見つかりませんでした。
失業保険を受け取りながら職業安定所通いです。
当然それでは家計が成り立たないので母も短期のパート勤めをしました。
僕はその間、目標としていた会計士を税理士に変えて簿記論やら財務諸表論やらと勉強していました。
さて、職を失った父には実は大量の暇がありました。
安定所に行くのはせいぜい週に2回だし、行くにしても費やすのは3時間くらいです。
それ以外の時間は完全に彼の自由であったわけです。
いつ終わるか分からない春休みのようなものです。(宿題は再就職口を見つけること)
では彼はその余った時間を何に使っていたのか?
「シリーズげんきょう」を1からご覧の方はご賢察頂けると思います。
答えは次回に。


「シリーズげんきょう 06 に続く」

2011年1月25日 22時13分 | 記事へ | コメント(0) |
| シリーズげんきょう |
2011年01月17日(月)
シリーズげんきょう04
 さて、これまで忌まわしい父を主題に置いてきましたが、ここで母方祖母にシフトしてみたいと思います。
この祖母、波乱万丈の中にもしっかりと人生の階段を登攀していたようです。
一姫二太郎の理想的な出産をした彼女は、長女が6歳の頃に夫に先立たれました。病死です。
再婚など頭から考えてはおらず、そこから女手ひとつで2人の子供を育て上げました。
アパレル関係の先端を行っていた彼女は、百貨店の装飾部門に勤務。あっという間にオフィスをまとめるチーフになります。
その後も出世の道を邁進し、部下数名を率いてセイロンに赴きました。
(確か現地に洋裁の技術を広めるためだと言っていたような気がします)
片親というハンディキャップを感じさせないほどに逞しい母親ぶりだったようです。
しかし多くの人がそうであるように、成功の連続は人格に大きな影響を及ぼします。
祖母はその業界では完璧でした。
母が小さい頃から自宅を教室のように使い、近所の手習い老若男女を集めてちょっとした洋裁の講習のようなものをやっていたそうです。
もちろん娘もそこに同席させますが、人間は減数分裂を経ますので親と同一の子はできません。
つまるところ母はその方面が苦手だったのですね。
得手不得手、適性がございますから。
が、この”できない”が祖母には許し難かったのですね。
根底には、”私の娘だから同じようにできて当たり前”という意識があったかもしれません。
十数名の門下生(?)がいる前で彼女は、
『なんでこんな簡単な事もできないのか。外に出てくれ。恥ずかしい』
という内容の言葉をぶつけたそうです。
満座での罵倒というのはいい歳した大人でも結構平気でやるものです。
せせら笑いの渦中に放り込まれた母はそれが今でも大きな心の傷となっているようです。
言われたのが小学校低学年だというのですから無理もないですね。
それが最初だったのか、途中だったのか、祖母はしばしば娘に強く当たります。
何かにつけだらしないとか、長所なんて何ひとつないとか、そういう言葉をよく放っているのを僕も幾度となく聞いています。
女の敵は女、ということでしょうか。
優秀な母は自分より僅かでも劣っている部分があれば娘を容赦なく潰すのですね。
もちろん祖母が逆立ちしても母に敵わない分野はあります。
例えば同じ洋裁のカテゴリーでもクロス刺繍は母の得意とするところで、逆に祖母は全くできません。
また文才においても比ではなく、語彙もかなり豊富です。
しかし祖母はそういうところを(おそらくワザと)見ないようにし、自分に比して劣る部分のみを責めるのであります。
ここが僕と母との決定的な違いなのですが、母はそれでも片親で育ててくれた恩――もっと言えば自分にとって母親は世界にひとり――を
感じているので決別とまではいきません。
僕が高校2年の頃、祖母に乳癌が見つかると、抗癌作用のあるものはと調べて苦しい家計をやりくりしながらアガリクス茸や
メシマコブ茸のサプリなんかを毎月届けていました。
僕は僕で民間療法ではあるもののキダチアロエだとかケープアロエにもそういう作用があると知り、お花屋さんを巡ったり、
ホームルームの時間を借りてクラスメートにアロエとか持ってたら少しでもいいから分けて貰えませんかと頼みこんでみたり、
いろいろやったものです。
肉親の絆というのはそんなにも強く固いものなのでしょうか?
そういう感覚が僕には分かりませんが、ともかく母は献身的に祖母を支えてきました。
手酷い事を言われても。
この祖父、自分の息子には何も言いません。
なにぶん古いお方なので、男尊女卑が染みついているのかもしれません。
だらしなさでいえば彼の方が上を行っているのですけども、同居していていろいろ世話になっているから強く出られないのかも。
毎日夜更かしして翌朝叩き起こされないと起きないとか、部屋を全然片付けないとか、0時を過ぎてから料理しだすとか、
とかく生活パターンが無茶苦茶なんですね。
同じことを母がやれば即斬り捨てられるでしょう。

 話は前後しますが僕は小学生の頃から春休みや夏休みになると、しょっちゅう祖母宅にお泊まりに行っておりました。
幼い頃は僕もそれを楽しんでいましたね。
やたらテレビゲームがありましたから、殆どはそれ目当てだったのですが。
引っ越しの件に関しては僕にだけは罪はなかったハズなので、お泊まりは決まって僕ひとりでした。
祖母や叔父との会話も当時は楽しく、長期休みを待ちわびていた時期がありました。
叔父はよく遊園地に連れて行ってくれましたし、祖母は服からランドセルから買ってくれました。
父方は僕に1円もお金をかけたくないらしく、入園・入学――と子が成長するに伴って必要な資金や物品に関して全く出してくれなかったのです。
そうなると当然、僕も母方の祖母のほうになつくようになります。
当たり前ですね。
愚昧な幼少でもその程度の区別はつくわけです。
つまり、僕は祖母や叔父が大好きだったんです。
よくある”おばあちゃんと孫が織りなす微笑ましい光景”だと思ってください。
それが崩れだした……というか、何かおかしいと感じ始めたのは高校1年生くらいだったでしょうか。
相変わらず休みになるとお泊まりに行っていました。
僕は宿題をさっさと済ませるタイプなので、長期休みが半分を切る前には殆どの課題を終わらせていました。
これで怠惰な日々を貪るのに集中できる……と。
当然祖母との会話も多くなるわけですが、ようやく精神の発達が見られた僕はやりとりの中にひっかかるものを見つけました。
祖母が娘についてよく思っていないと窺わせる発言が散見されたのです。
普段の会話にも母の短所を論い、貶めることしばしば。
そんなこと僕に聞かせてどうするんだと思いましたね。
(思い返せば僕が幼い頃から言っていたのですがこの時まで気付きませんでした)
僕自身、感受性に乏しくて冷たい人間だという自覚はあるのですが、それでも祖母が本人のいないところで母の陰口を叩くところは、
見聞きしていて不愉快でした。
祖母にも母にも大恩はありますが、順列をつけるならどうしても母が一等に、祖母が次点になります。
……そういう経緯がありましたから高校卒業前後から祖母とは疎遠になりました。
思えば祖母の年代からして、『子は親に従うもの、親は子に何をしても(あるいはしなくても)よい』という考えがあったかもしれません。
儒教的な思考といいましょうか。その思想が子や孫に受け継がれなかったのは幸いです。
ともかくも無関係なように思えて、何かと板挟みだった僕。
この関係、永いこと続きます。




「シリーズげんきょう 05 に続く」
2011年1月17日 22時49分 | 記事へ | コメント(0) |
| シリーズげんきょう |
2010年12月24日(金)
シリーズげんきょう03
 外では建物が倒壊していたり隆起陥没の甚だしい路面が剥き出しになったりしていましたが、ひとまず片づけを終え、
落ち着きを取り戻した僕たちは自宅に戻ることにしました。
といってもすぐに元の生活に、というわけにはいきません。
執拗に余震が起こるし、授業は再開していないしでてんやわんや。
ひとまず危険は去ったものの、親からも先生からも建物の近くは歩くなと言われておりました。
しかし住居はマンションの9階。
棟と棟を繋ぐ渡り廊下は引き裂かれ、エレベータは止まったり動いたりの繰り返し。
損傷の度合いが最も小さい階段を使って帰宅するのは、なかなかに辛いものです。
復旧が目に見えてきたのは半年ほど経ってからでしょうか。
あの時、ベランダから俯瞰した風景は黒と赤しかありませんでした。
深夜の、ほとんど明かりのない暗いビル群に点々と灯るのは炎です。
一夜明け、陽光の下に見えたのは今度は灰一色でした。
それが少しずつ元の姿を取り戻してゆくのであります。
この家に住み続けることもできるのですが、なにしろそう広くない市営のマンションでございます。
僕が中学、高校と進級するにつれ部屋が必要だろうということで引っ越しの話が持ち上がりました。
折りしも消費税率が3%から5%に上がる時期でもあったので、中学入学を目前にした冬に引っ越したのでありました。
今度は徒歩15分くらいの距離にある戸建てです。
賃貸ではなく購入です。
今の僕なら絶対に購うなと言っていたでしょうね。過ぎ去った事にはどうしようもありません。
引っ越しの際はその家ばかり見ていてはダメです。
ちゃんと周りもチェックしませう。
でないと毎朝毎夕、ヘンな踊りと太鼓の音で精神的に追い詰めてくるヘンな宗教とお近づきになるかもしれませんから。
何を信仰しているのやら天○教……。
信教の自由とはいえ、近隣への迷惑行為の常態……ハッキリ言って五月蠅いし、寒いものを感じます。
僕は宗教が嫌いなんですね。
有名なものから如何わしいものまで。
あれは単なるグループでしかなく、共通しているのはそのグループの埒外に対しては無遠慮に非常識をぶつけてくるところ。
どうも余所と対立したいがために群れているとしか思えないんですけど、熱心な信者さんはそのあたり、どうお考えなのでしょう。
ともかくも戸建てでの新生活がスタート。
と言ってこれまでと違うのは住む場所だけです。
家の中は相変わらずでございますから。
御通夜のような食卓。
僕と母は他愛もない会話をしますが、父は黙々と食べます。
せっかくの料理にソースやら醤油やらドバドバかけて食べます。
そして締めは決まって御茶漬けをします。
けっこう失礼な奴だなと、精神的に成熟してきた僕は分かってきたのであります。
なら妻の料理なんかいらんやん。
味覚が鈍いのかわざわざ濃い味付けにするなら、ソースや塩をおかずにすればよろしい。
っていうか値段の高いモノばかり目の色変えて食べるな。卑賤な男め。
などと憤懣やるかたない想いが数年。
彼の呆れ果てた浅ましい姿は御正月にも拝むことができました。
年末年始の過ごし方はそれぞれなのですが大抵の場合、僕と母はわんこを伴って祖母宅にお邪魔していました。
正直、蟠りは解けていませんが中立たる孫(つまり僕)が祖母や叔父の前に姿を現すのはなんら不自然なことではありません。
真正面からの衝突はないまでも、過ごす数日にはギクシャクした雰囲気がありました。
その間、彼はどうしていたかというと勿論、自分の親元に帰省します。
向こうのほうが居心地は遥かにいいでしょう。(家でもかなり奔放に振る舞っていますが)
3人兄弟の末っ子である父は幼い時からずいぶん甘やかされていたようです。
眉を顰めたくなる”常識”を次々と繰り出す母の庇護を一身に受けていたということですね。
その感覚が抜けきらないまま成人しちゃって就職しちゃって結婚しちゃったからこうなっちゃったんです。
常に下にも置かない待遇でないと満足できない彼は、親元に帰りかけてすごすごと戻ってきました。
どうやら年始、お客さんだらけで全然構ってもらえないらしいのです。
ワイワイガヤガヤで騒がしく落ち着けないからとか。
それは勝手にしてくれればいいのですが、その彼がちゃっかり上がり込んだのが母方祖母宅。
1銭も支払いしていない姑宅に普通に上がり込み、しかも年始の挨拶すらしません。
厚顔無恥も極まりないのですが、祖母は祖母でなにやってんのか丁寧に食事を用意したりします。
マゾヒストですか、貴女は?
貴女がどれほど負債を背負わされたか、娘がどれほど心身を窶したか。
それを考えれば食餌どころか箒逆さに追い返すのが当然の反応なのでは?
そうは思っても家主は僕ではないし、この件には殆ど関与していないので口出しはできません。
僕にできるのはお手伝いくらいです。
お正月料理と言えばお節です。
お節といえば有頭エビが出ます。
いえ、僕は慈姑のほうが数倍好きなんですけどね。
前にも書いた気がするのですが彼はとても図々しい性格なので、まるで目の敵のようにエビを狙います。
黒豆とか小鰯には見向きもしません。
無心に殻を破って貪る様は向かいから見ていて実に恥ずかしいものです。
挨拶らしい挨拶もせず、三が日をだらだらと過ごし、出されるものを黙って食べ、そして帰る。
この男、相当な大物です。
何か手伝おうという気も一切ナシ。
上げ膳据え膳のVIP待遇に甘んじていました。
本当に怖い人ですよ、多くの意味で。
なんかもう文化どころか出身国すら違うんじゃないのかと思ったり。(どこの国とは言いませんが)
厚黒学でも専攻していたのかもしれません。
僕自身、傲岸不遜、慇懃無礼、非道冷酷な面がありますが、実父たる彼はその遥か高みにおわします。



「シリーズげんきょう 04 に続く」
2010年12月24日 20時25分 | 記事へ | コメント(0) |
| シリーズげんきょう |
2010年12月16日(木)
シリーズげんきょう02
 本人の口からあの大きな家に関する話はまったく出ません。
本当に自覚がないのか、意図的に避けているのか……。
で、母方の祖母も責める相手を間違えてるんですよね。
直接の原因となった父たちに怒りの矛先を向ければいいのに、なぜか母を罵るわけです。
母は母でそうして責められ続けてきたものですから、
「自分が余計なこと(電話の件)を言ったせいでこうなったのだろうか」
と、する必要のない自責を繰り返しています。
父の横行は相変わらず。
”男はエライ”というのと、”男は外で働いてるから家では何もしなくていい”という考えを巧く同居させているので、
もやしのような大黒柱がこじんまりと居座るわけですね。
ところで体の小さい人は胆も小さいのか――と問われれば、僕は場合による、と答えます。
これは市営住宅の高層階に住んでいた頃のお話です。
僕が小学3年生くらいの時ですがハッキリと覚えています。
会社の帰り、父が勤務地から少し離れたところで恐喝に遭いました。
夜道、街灯の光が殆ど当たらない横道を歩いていた時のことでした。
若い男に因縁をつけられ、
「お前、いま俺の足踏んだやろ!?」
とすごまれました。
こういう時、関西の言葉は凄いです。
神戸弁や播州弁は、より効果的な恫喝の仕方を模索した結果成立した方言ではないかと思うくらいです。
で、家中では尊大不遜な父も一歩外に出ればカーレッジくん。
迫られてビビった彼は言われるままに財布を差し出します。
幸い暴行沙汰にはならなかったものの父、なんとそのまま帰宅。
真っ青な顔をして彼はひと言。
「お金とられた……」
そうそう。
言い忘れておりましたがこの男、昔から外部の人とは割とハキハキ喋りますが、家族相手には蚊の鳴くような声しか出しません。
最近では”いただきます””ごちそうさま”を歌い終わった演歌歌手のように吐く声しか聞いたことがありません。
閑話休題。
母は父を連れて現場近くの交番に行きました。
(この時の彼女の心情はどのようなものだったのでしょうね……)
警官さんは呆れていました。
普通、事が起こったらすぐに駆け込むべきなのに愚かにもおめおめと自宅に戻ってきてるわけですから。
発生からかなり時間が経っています。
警官への情況の説明は父がぼそりぼそりと呟き、横にいた母がそれを聞き取って伝える……というあまりにも滑稽なやりとりだったそうです。
傲岸不遜な彼がこの時ばかりは塵埃にも劣るような存在に見えました。
一通りの手続きが終わり帰宅。
父、いまだ顔面蒼白。
こういう事態で心神を患ったのでしょう、彼は、
「飛び降りそうだ……」
と呟きます。
今にして思えばこの時、放っておけば良かったのでしょうね。
自殺しそうなのを止めずに本当に死んでしまったら法的には咎があるのでしょうか?
(教唆……はしてませんね。自殺幇助とか? そのあたり暗い僕には分かりません)
あんまりビクビクするので医大に連れて行きました。
処方はよく覚えていませんが薬を出され、感情を高ぶらせないようにと言われた気がします。
入院はしないまでも状況が状況なので母方祖母と叔父が付き添うことになりました。
そこまでしなくていいのにね。
あなた方に負債を負わせた相手なんですから。
このへんの感覚が僕にはよく分からないんですね。
怨嗟の情を持って迎え撃つべきだと思うのですが、まさか付き添いなんて……。
父もその厚意を平然と受けていましたし……。
なんだこの人ら……と思いましたね。
まともな性質の人間なら父の立場にある時、まず同居を蹴って高い買い物をさせてしかもその支払いまで全て押しつけているという負い目と、
そんな自分に病院まで付き添ってもらったという二重の負い目を感じるハズなんですよね。
しかし流石、この男。
この件すら何も感じていませんでした。
喉元過ぎれば熱さを忘れる。
精神が落ち着いてくるとまたいつもの”彼”に戻りました。
潔すぎます。
過去は振り返らないというか、もはや過去なんて概念さえ存在していないかのような御人です。
(いちおう祖母にお礼は言っていましたが)

そんなこんなで1年が経過します。
歴史的な出来事が起こりました。
午前5時46分。地震です。
マンションの9階は大きく揺れました。
その時の揺れと音は今でも覚えていますが、僕の場合は幸いなことにトラウマにはなっていません。
家具どころか壁・天井が揺れる音はSFC「弟切草」で主人公が浴室に閉じ込められた際、ガラス戸を乱暴に扱って地震が起こった時の
効果音と全く同じでした。
ニュースなどでは最も被害の大きかった長田区がよく映りますが、お隣の兵庫区も大打撃を受けました。
高層階という眺望の良さはこういう時には裏目に出て、惨状たるや筆舌に尽くしがたいものがありました。
ブラウン管が画面を下にしてテレビ台に乗っているのを見た時は子供ながらに肝を冷やしました。
当時、ちょうどテレビの前に布団を敷いて寝ていたので運が悪ければ23インチに押し潰されていたかもしれません。
足の踏み場もないくらいの散乱ぶり。
とても生活できるものではありませんし、片づけるにしても数日を要します。
呆然としながら夜明け。
かろうじて無事だった戸棚には黒糖フーク○エがひとつつみ。
それを3人で食べて途方に暮れていると、母方祖母から電話がありました。
この時は電気が通じてたんですね。
話を聞くとなんと祖母宅では鉛筆立てが倒れただけで済んだとのこと。
バスで十数分の距離だというのにここまで被害の度合いが違うのは、そのマンションが斜面の中ほどにあり、
しかも一旦地階に潜ってから入口が現れる……という構造だったのです。
ですから祖母宅はマンションの1階ではあるのですが、地面の高さから見れば地下1階なのです。
その構造のお陰で揺れは小さくなり、災禍を免れたとのことでした。
暫くの話し合いの後、僕たち3人は祖母宅にお邪魔することになりました。
当時の僕は同居の話もそれが反故にされたことも知らなかったので、”おばあちゃんの家に行けてラッキー”
という程度にしか思っていませんでした。
今となってはトンデモナイ行為だったと考え至ります。
祖母や母がどんな想いで1ヶ月ほどを過ごしたのか……。
ぐちゃぐちゃになった部屋から着替え他、生活に必要な一式を運び込んで文字通り”転がり込んだ”僕たちを、
祖母はどう思っていたのでしょうか。
祖母宅でお世話になりながら、何度も自宅に通って片づけの毎日です。
落ち着いてくると学校も再開します。
といって授業はありません。
毎朝、教室でクラス全員の無事を確認するように点呼をとり、支援物資を受け取って帰る――というだけです。
カップラーメン1個の有難味を一番強く感じた瞬間でした。
既に15年経った今、僕はその有難味を忘れてしまっています。
そこが人間である僕の愚かさなのですが、この愚かさは後天的な要素だけでなく親から受け継いだ部分もあるのかもしれません。



「シリーズげんきょう 03 に続く」

2010年12月16日 21時57分 | 記事へ | コメント(0) |
| シリーズげんきょう |
2010年05月28日(金)
シリーズげんきょう01
シリーズげんきょうです。
僕は言葉遊びが好きなので「元凶」と「現況」をかけています。
呪詛と厭世と怨恨のフルコースであります。
明るくて前向きで楽しいお話希望の方はブラウザの「戻る」どころか「閉じる」をクリックされることをお勧めします。


 1984年に産声をあげた僕はすくすくと育ったようです。
常識人の母と非常識人の父との間にできた独り息子は、正邪の狭間を蛇行するように馬齢を重ねてきましたとさ。
3歳以前の記憶などとうに霧消しておりますが、その頃から家庭の不和は極みにあったようでございます。
結婚というのは個人と個人が結ばれること――ではなく、家と家との交わりなのだなあとしみじみ。
亭主関白というのでしょうか? 父はとにかく家庭内では”嫁は俺に口答えするな、従え”という頭でいたようです。
でも見た目はそんな風にはとても見えないんですよ。
背も160センチちょっとあるくらいの痩せ形。ちょっと重い荷物を担いだらすぐに息切れするような体質ですし。
どうも挙式の前に、両親や兄姉から吹き込まれていたらしいんですね。

”結婚は最初が肝心だ”と。

それをどう捉えたのか、まるで犬や猫を飼う際にアルファ症候群にならないように自分が躾けるべきだとでも考えたのでしょう。
亭主は絶対! 嫁は下僕! をそのまま実行したということですね。
どういうことかと言うと、たとえば母が夕餉の用意をします。
新婚なのでいきなり上手には作れません。
時間がかかってやっと食卓に並べた料理を、父は一口食べるなり明らかに不愉快そうな顔をして端を置きます。
で、無言のまま外出して30分ほどして戻って来た彼は、近所のスーパーの袋に総菜を詰め込んでいた……という具合です。
料理に関して言えば、
”おかずは必ず3品以上出せ”とか”豆腐は嫌いだから出すな”とか逐一の指示を出していたそうです。
それもハッキリした口調ではなく、蚊のなくような声――冬彦さんみたいなイメージで――で不快感を露にするんですね。
母、泣きました。
あまりに心ない言葉の連続に泣きました。
本性が分かったならさっさと離婚すればよかったのかも知れませんが、そうもいかない背景がございました。
僕には母方の祖父がおりません。
母が小学校に上がったあたりに病死しています。
彼女には弟がひとり(つまり僕の叔父)。
祖母は女手ひとつで姉弟を成人させたわけですね。
で、今はどうか知りませんが乱暴な言い方をすれば、女親だけの家庭というのは舐められやすいのです。
結婚にあたり家具などの必要な物を揃えたのは全部母方の祖母でした。
(父側曰く、そういうのは嫁側が用意するのが常識、だそうです)
安い買い物ではありません。
特に片親でここまでしてもらったという負い目のあった母は、それを裏切る恰好となる離婚の相談をすることもできず……。
とうとう僕を産んでしまいました。
よく生まれたモンだなあと感心します。
この夜の営みにさえ、この夫婦には尋常ならざる雰囲気が漂っていたそうですから。
生々しい表現は避けますが、まあ父が……巧くなかったんですね。
ハウツー本で得た知識で何とか進めようとするのですが、その本には相手方の反応にまでは言及していなかったらしく、
母が少し体を動かしたことに対して、
「まるで商売女だな」
と、あまりにも辛辣な御言葉をおかけになったそうです。
さすがにこの台詞はこれ限りでしたが、不躾な夜は何度か続きました。
その結果、僕がこの世界に降り立つことになったのです。
誠に偶然の産物だったのだろうと思います。
さて、子が生まれれば離婚はさらに難しくなります。
ここが母の2度目の大きな失敗でしょう。(1度目はもちろん、父と結婚してしまったこと)
家庭内の不和は相変わらず、僕は鎹になるどころか、母が離婚をしにくくなった足枷として日々を送ることになりました。
もちろん当時の僕に足枷などという意識は毛ほどもありませんでしたが。
内弁慶というのはこういう事を言うのでしょうか。
父は関白ぶりをいかんなく発揮し、家庭にある1円の金さえ徹底して管理しました。
母は月曜日に1万円を渡されます。
これで1週間を過ごし、次の月曜にもまた1万円を渡します。
インプレストシステムみたいなものでしょうか。
彼は一応、「途中で足りなくなったら言ってくれ」と添えるらしいのですが、本当に足りなくなって切り出すと露骨に嫌な顔をしたそうです。
当時の母は夫の手取りがいくらなのかを知りません。
前述のように明細等は全て自分が管理、母の手許には1万円のみがあるからです。
この生活は新婚当初のことであって数年後には家計としてきちんと口座に入金されるようになりましたが……。
明細は相変わらず分からないので父がいくらか差し引いてから入金していたものと思われます。
当時の情勢や職業、年齢から考えて月1○万円は少ないでしょうから。
(ちなみにこの金額、今も変わってません……)




 さてここで2000日ほど時間を早送りします。
特に大きな病にも罹らず、僕は5歳になりました。同年代に比べるとかなりの短身です。
決定的な軋轢ができたのは今もってこの時だろうと確信が持てます。
実は核家族だった僕たち。
父方は加古川、母方は神戸中部、そして我が父母は僕とともに神戸南部に居を構えていました。
この頃に同棲の話が出ていました。
内容は僕たち3人が母方の祖母と息子(前述の叔父)との5人暮らしをする、というものでした。
場所は近く神戸北中部。
マンションの1階にある2世帯分を工事してぶち抜き、7部屋にもなる大きな新居となるハズでした。
祖母の話ではやんちゃ盛りの僕が家中ではしゃいでも階下に迷惑をかけないように1階に定めたとのこと。
確かに昔の僕は今では考えられないくらいに活発でした。
この案には当初、父も賛同しています。
引っ越しとなるわけですから従って校区も変わり、母は新居を校区にもつ小学校への入学手続きをとりました。
さて、同居まであと1ヶ月に迫った時のことです。
母が姑に電話をかけました。
引っ越し祝いに贈り物を貰っていたのでそのお礼のためです。
普通ならそのやりとりだけで終わるハズなのですが、姑曰く、
「あなたたちはいいかも知れないが、うちの息子は本当に同居に賛成しているのか?」
とのこと。(本当はこんな固い言い方じゃなくて播州弁がちょっと混じってます)
賛成しているからこそここまで手続きが進んでいるわけですが、その言葉に疑問を持った母はその日、父に問いました。
「もしかして義母さん、同居に反対している?」(本当はこんな固い言い方じゃなくて神戸弁です)
するとなぜか父、激怒。(以下標準語でまいります)
「母さんが反対しているハズがないだろう! 今から電話してたしかめる」
で、本当に問い質したそうです。
「反対なんかしてないって言ってるぞ」
「でも今日の電話で、”旦那は同居に賛成してるのか”って訊いてきたから、義母は快く思ってないのかと……」
「母さんはそんな質問した覚えはないと言ってる!」
「でも確かに……」
「お前、僕の母さんをウソツキ呼ばわりするつもりかっ!」
という展開になったそうです。
で、激昂収まらず父は、
「気分が悪いっ! もう同居の話もやめだ! 引っ越しはしないからなっ!」
と吐いて捨てて終了。
感情の高ぶりによる一時的な暴言かと思いきや、その言が撤回されることはなく、ついに予定日になっても彼は動きませんでした。
結局どうなったかと言うと同居の話はおじゃん。
母は新学区の小学校に編入取りやめの申請(ドタキャンだったので相当怒られたそうです)。
祖母や叔父はいったいいつ引っ越してくるのかと催促三昧。
もともと5人で住む予定だった大きな家には、今でも祖母と叔父の2人が暮らしています。
ここで問題になったのが金銭です。
2世帯分の特別工事で作った大きな家はそれ自体がもちろん高額な買い物でした。
おまけに当時は金利も高く、ローン返済当初は月額支払いのほとんどを利息が占めるという状態でした。
同居にあたり月々の返済額は祖母叔父側と僕たちの側で折半。
ただしそれ以外の食費やら何やらはすべて祖母叔父側で持ち、娘夫婦は将来のために貯金しなさいという話で一致していました。
僕の側からすれば大きな家の家賃半分を支払うだけで後は一円も負担しなくていいという、かなり不公平な費用配分でした。
ところが父がキレて同居が流れ、この大きな家の返済は祖母叔父が全額支払い続けています。
こちらはというと市営の住宅で数年過ごした後、震災直後に戸建てを買ってそこに住んでいます。
金銭的な問題はさておいて、これによる負担の殆どは母が被る恰好となりました。
入学手続きのごたごたもこなしたし、父からは同居できなくなったのは自分の母親をウソツキ呼ばわりしたからだと言われ、
祖母からは同居する予定だったからこんな大きな家を買ったのに無駄になったと罵られ……。
今日に至っております。
ではその間、父側は何をしていたかというと――。
何もしませんでした。
まるで他人事のようにその件には一切触れなかったのです。
父方の祖母もまるで責任を感じていないようで、あっちにこっちにと年寄りの道楽よろしく旅行しまくってます。
さすがに同居予定だった本人たる父はいくらか罪悪感を持っているだろうと思いきや、さにあらず――。



「シリーズげんきょう 02 に続く」
2010年5月28日 23時14分 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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