シリーズげんきょうです。
僕は言葉遊びが好きなので「元凶」と「現況」をかけています。
呪詛と厭世と怨恨のフルコースであります。
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1984年に産声をあげた僕はすくすくと育ったようです。
常識人の母と非常識人の父との間にできた独り息子は、正邪の狭間を蛇行するように馬齢を重ねてきましたとさ。
3歳以前の記憶などとうに霧消しておりますが、その頃から家庭の不和は極みにあったようでございます。
結婚というのは個人と個人が結ばれること――ではなく、家と家との交わりなのだなあとしみじみ。
亭主関白というのでしょうか? 父はとにかく家庭内では”嫁は俺に口答えするな、従え”という頭でいたようです。
でも見た目はそんな風にはとても見えないんですよ。
背も160センチちょっとあるくらいの痩せ形。ちょっと重い荷物を担いだらすぐに息切れするような体質ですし。
どうも挙式の前に、両親や兄姉から吹き込まれていたらしいんですね。
”結婚は最初が肝心だ”と。
それをどう捉えたのか、まるで犬や猫を飼う際にアルファ症候群にならないように自分が躾けるべきだとでも考えたのでしょう。
亭主は絶対! 嫁は下僕! をそのまま実行したということですね。
どういうことかと言うと、たとえば母が夕餉の用意をします。
新婚なのでいきなり上手には作れません。
時間がかかってやっと食卓に並べた料理を、父は一口食べるなり明らかに不愉快そうな顔をして端を置きます。
で、無言のまま外出して30分ほどして戻って来た彼は、近所のスーパーの袋に総菜を詰め込んでいた……という具合です。
料理に関して言えば、
”おかずは必ず3品以上出せ”とか”豆腐は嫌いだから出すな”とか逐一の指示を出していたそうです。
それもハッキリした口調ではなく、蚊のなくような声――冬彦さんみたいなイメージで――で不快感を露にするんですね。
母、泣きました。
あまりに心ない言葉の連続に泣きました。
本性が分かったならさっさと離婚すればよかったのかも知れませんが、そうもいかない背景がございました。
僕には母方の祖父がおりません。
母が小学校に上がったあたりに病死しています。
彼女には弟がひとり(つまり僕の叔父)。
祖母は女手ひとつで姉弟を成人させたわけですね。
で、今はどうか知りませんが乱暴な言い方をすれば、女親だけの家庭というのは舐められやすいのです。
結婚にあたり家具などの必要な物を揃えたのは全部母方の祖母でした。
(父側曰く、そういうのは嫁側が用意するのが常識、だそうです)
安い買い物ではありません。
特に片親でここまでしてもらったという負い目のあった母は、それを裏切る恰好となる離婚の相談をすることもできず……。
とうとう僕を産んでしまいました。
よく生まれたモンだなあと感心します。
この夜の営みにさえ、この夫婦には尋常ならざる雰囲気が漂っていたそうですから。
生々しい表現は避けますが、まあ父が……巧くなかったんですね。
ハウツー本で得た知識で何とか進めようとするのですが、その本には相手方の反応にまでは言及していなかったらしく、
母が少し体を動かしたことに対して、
「まるで商売女だな」
と、あまりにも辛辣な御言葉をおかけになったそうです。
さすがにこの台詞はこれ限りでしたが、不躾な夜は何度か続きました。
その結果、僕がこの世界に降り立つことになったのです。
誠に偶然の産物だったのだろうと思います。
さて、子が生まれれば離婚はさらに難しくなります。
ここが母の2度目の大きな失敗でしょう。(1度目はもちろん、父と結婚してしまったこと)
家庭内の不和は相変わらず、僕は鎹になるどころか、母が離婚をしにくくなった足枷として日々を送ることになりました。
もちろん当時の僕に足枷などという意識は毛ほどもありませんでしたが。
内弁慶というのはこういう事を言うのでしょうか。
父は関白ぶりをいかんなく発揮し、家庭にある1円の金さえ徹底して管理しました。
母は月曜日に1万円を渡されます。
これで1週間を過ごし、次の月曜にもまた1万円を渡します。
インプレストシステムみたいなものでしょうか。
彼は一応、「途中で足りなくなったら言ってくれ」と添えるらしいのですが、本当に足りなくなって切り出すと露骨に嫌な顔をしたそうです。
当時の母は夫の手取りがいくらなのかを知りません。
前述のように明細等は全て自分が管理、母の手許には1万円のみがあるからです。
この生活は新婚当初のことであって数年後には家計としてきちんと口座に入金されるようになりましたが……。
明細は相変わらず分からないので父がいくらか差し引いてから入金していたものと思われます。
当時の情勢や職業、年齢から考えて月1○万円は少ないでしょうから。
(ちなみにこの金額、今も変わってません……)
さてここで2000日ほど時間を早送りします。
特に大きな病にも罹らず、僕は5歳になりました。同年代に比べるとかなりの短身です。
決定的な軋轢ができたのは今もってこの時だろうと確信が持てます。
実は核家族だった僕たち。
父方は加古川、母方は神戸中部、そして我が父母は僕とともに神戸南部に居を構えていました。
この頃に同棲の話が出ていました。
内容は僕たち3人が母方の祖母と息子(前述の叔父)との5人暮らしをする、というものでした。
場所は近く神戸北中部。
マンションの1階にある2世帯分を工事してぶち抜き、7部屋にもなる大きな新居となるハズでした。
祖母の話ではやんちゃ盛りの僕が家中ではしゃいでも階下に迷惑をかけないように1階に定めたとのこと。
確かに昔の僕は今では考えられないくらいに活発でした。
この案には当初、父も賛同しています。
引っ越しとなるわけですから従って校区も変わり、母は新居を校区にもつ小学校への入学手続きをとりました。
さて、同居まであと1ヶ月に迫った時のことです。
母が姑に電話をかけました。
引っ越し祝いに贈り物を貰っていたのでそのお礼のためです。
普通ならそのやりとりだけで終わるハズなのですが、姑曰く、
「あなたたちはいいかも知れないが、うちの息子は本当に同居に賛成しているのか?」
とのこと。(本当はこんな固い言い方じゃなくて播州弁がちょっと混じってます)
賛成しているからこそここまで手続きが進んでいるわけですが、その言葉に疑問を持った母はその日、父に問いました。
「もしかして義母さん、同居に反対している?」(本当はこんな固い言い方じゃなくて神戸弁です)
するとなぜか父、激怒。(以下標準語でまいります)
「母さんが反対しているハズがないだろう! 今から電話してたしかめる」
で、本当に問い質したそうです。
「反対なんかしてないって言ってるぞ」
「でも今日の電話で、”旦那は同居に賛成してるのか”って訊いてきたから、義母は快く思ってないのかと……」
「母さんはそんな質問した覚えはないと言ってる!」
「でも確かに……」
「お前、僕の母さんをウソツキ呼ばわりするつもりかっ!」
という展開になったそうです。
で、激昂収まらず父は、
「気分が悪いっ! もう同居の話もやめだ! 引っ越しはしないからなっ!」
と吐いて捨てて終了。
感情の高ぶりによる一時的な暴言かと思いきや、その言が撤回されることはなく、ついに予定日になっても彼は動きませんでした。
結局どうなったかと言うと同居の話はおじゃん。
母は新学区の小学校に編入取りやめの申請(ドタキャンだったので相当怒られたそうです)。
祖母や叔父はいったいいつ引っ越してくるのかと催促三昧。
もともと5人で住む予定だった大きな家には、今でも祖母と叔父の2人が暮らしています。
ここで問題になったのが金銭です。
2世帯分の特別工事で作った大きな家はそれ自体がもちろん高額な買い物でした。
おまけに当時は金利も高く、ローン返済当初は月額支払いのほとんどを利息が占めるという状態でした。
同居にあたり月々の返済額は祖母叔父側と僕たちの側で折半。
ただしそれ以外の食費やら何やらはすべて祖母叔父側で持ち、娘夫婦は将来のために貯金しなさいという話で一致していました。
僕の側からすれば大きな家の家賃半分を支払うだけで後は一円も負担しなくていいという、かなり不公平な費用配分でした。
ところが父がキレて同居が流れ、この大きな家の返済は祖母叔父が全額支払い続けています。
こちらはというと市営の住宅で数年過ごした後、震災直後に戸建てを買ってそこに住んでいます。
金銭的な問題はさておいて、これによる負担の殆どは母が被る恰好となりました。
入学手続きのごたごたもこなしたし、父からは同居できなくなったのは自分の母親をウソツキ呼ばわりしたからだと言われ、
祖母からは同居する予定だったからこんな大きな家を買ったのに無駄になったと罵られ……。
今日に至っております。
ではその間、父側は何をしていたかというと――。
何もしませんでした。
まるで他人事のようにその件には一切触れなかったのです。
父方の祖母もまるで責任を感じていないようで、あっちにこっちにと年寄りの道楽よろしく旅行しまくってます。
さすがに同居予定だった本人たる父はいくらか罪悪感を持っているだろうと思いきや、さにあらず――。
「シリーズげんきょう 02 に続く」
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2010年5月28日 23時14分
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